深海都市開通
見難い火傷の子408
深海都市開通
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
開通式の朝、深海都市はまだ新しい光をまとっていた。
耐圧殻の外側には、深い青とも黒ともつかない海がどこまでも広がっている。
遠くを漂う発光生物の群れが、都市外壁に沿ってゆるやかな帯を描き、
そのたびに透明な観測窓へ淡い色が差し込んだ。
人工の灯りと深海の光が重なり合い、都市全体が静かな祝祭の中に沈んでいるように見える。
中央駅舎は、その祝祭の中心だった。
深海駅という呼び名ではもはや収まりきらない。
中央コンコースからは展望回廊、研究区画、宿泊区画、商業区画、保守区画へと通路が伸び、
さらにその先には海底都市中央ホールへ続く大回廊が接続されている。
駅を核にして都市が組み上がったのだと、一目でわかる構造だった。
「……本当にできたんすね」
ダンは中央コンコースの高い天井を見上げながら、半ば呆れたように言った。
「図面の上では何度も見ましたけど、実物になるとやっぱり変な感じしますよ。
深海駅どころか、もう完全に都市じゃないですか」
「最初からそのつもりだった」
「知ってます」
「なら問題ない」
「問題ないで済ませる規模じゃないんすよ」
匠一はいつも通りの顔で、開通式用に整えられた中央通路を見渡していた。
来賓用の導線、一般客の待機列、保安要員の配置、式典後の移動経路。
祝賀の場でありながら、彼の目は相変わらず設備と運用の確認に向いている。
「カルタゴ側の到着列車は定刻だな」
「そこ確認するんですね、まず」
「開通式で列車が遅れるのはよくない」
「まあ、それはそうですけど」
ダンが窓の外へ目を向けると、海底外壁の向こうを一本の光が走っていくのが見えた。
新設された海底回廊を通って、最初の式典列車がゆっくりと中央駅へ近づいてくる。
深海の闇の中を進むその姿は、地上の列車とはまるで違って見えた。
走るというより、海の底を切り開いて滑ってくるようだった。
「こうして見ると、ラスボラスゲートやジブラルタルゲートともまた違いますね」
「あちらは海峡を貫くための構造だ。こっちは海底都市を核にした路線だ」
「同じ“ゲート”でも趣が違う、と」
「そうだ」
匠一は短く答えた。
「この路線はここで終わらない。さらに北へ延びる。ヘルヴェティア、ガリア、そしてブリタニアへ」
「開通式の朝から次の延伸の話してる……」
「ガリアとブリタニアの間には、オケアヌス・ブリタニクスゲートを置く」
「やっぱりその名前で行くんですね」
「悪くない」
「仮称のまま押し切る気だこの人」
そんなやり取りをしているうちに、中央コンコースの空気が少しずつ変わっていった。
来賓が到着し始めたのだ。
各地の代表、技術者、研究者、商人、投資家、軍関係者までいる。
観光都市の開通式というには、顔ぶれが少し重い。
だがそれも当然だった。
深海は景色のためだけにあるのではない。
鉱物資源その他の天然資源の宝庫であり、しかもなお手つかずの地。
この都市は観光拠点であると同時に、研究拠点であり、物流拠点であり、海底開発圏の前線基地でもある。
だからこそ、誰もがこの場所を見に来る。
「静かにしてるわけないっすよね、そりゃ」
「何がだ」
「各国ですよ。カルタゴ、リゴリア、キルヌス、エトルリア、
その下にあんな海底領域があるってわかったら」
「だから先に路線を通した」
「言い方が強いんだよなあ……」
匠一は否定しなかった。
文明圏の真下に、別の世界が眠っていた。
それを最初に見つけ、最初に線を引き、最初に駅を置いた者が主導権を握る。
それは観光計画というより、ほとんど開発史の第一頁だった。
やがて、式典開始を告げる鐘音が都市全体に響いた。
中央ホールへ向かう人の流れが動き出す。
ダンも匠一の後について、大回廊を進んだ。
回廊の外壁は一部が透明化されており、その向こうに深海の闇が広がっている。
ところどころに発光する生物が漂い、まるで都市そのものを見物しに来ているようだった。
「こういうの見ると、ちょっとだけ観光資源って言葉もわかる気がします」
「ちょっとだけか」
「だって普通の景色じゃないですし」
「普通ではないから価値がある」
「その理屈で本当に都市まで作る人、あんまりいないと思いますよ」
中央ホールは、海底都市の心臓部にふさわしい規模だった。
巨大な円形空間の天井には光導管が幾重にも走り、青白い光が柔らかく降り注いでいる。
客席は段状に広がり、正面の舞台は海を背負うように設計されていた。
舞台後方の大観測窓の向こうには、深海そのものがある。幕も背景画もいらない。
海の底そのものが、この都市最大の舞台装置だった。
「……これは、たしかに派手っすね」
「都市の最初の夜だからな」
「まだ朝ですけど」
「比喩だ」
「便利だなあ、その一言」
来賓が着席し、一般客も順に席を埋めていく。
ざわめきは期待に満ちていた。
新都市の開通式というだけでも十分な見世物だが、今日の目玉はそれだけではない。
「本当に来るんですか」
「来る」
「セイレーン四姉妹」
「ああ」
ダンは半信半疑のまま舞台を見つめた。
海の歌姫として名高いセイレーン四姉妹。
深海都市の誕生を告げる歌い手として、これ以上ない客人だった。
照明が落ちる。
ホールが静まり返った。
次の瞬間、舞台の中央に淡い光が満ち、その中に四つの影が浮かび上がった。
長い衣装の裾が水の流れのように揺れる。
青、白、銀、薄紫。
海の色をそれぞれまとった四人の姉妹は、
まるで最初からこの深海都市のために用意されていた存在のように見えた。
最初の一声が響いたとき、ダンは思わず息をのんだ。
歌声は高くも低くもなく、ただまっすぐにホールを満たした。
壁に反響し、天井を伝い、観測窓の向こうの海へまで染み出していくような響きだった。
二声、三声、四声と重なるたびに、音は厚みを増し、都市全体がその歌に包まれていく。
「……すごいな」
ダンの口から、素直な言葉が漏れた。
匠一は何も言わない。
ただ舞台を見ていた。
その横顔は、珍しく少しだけ満足そうだった。
セイレーン四姉妹の歌は、単なる余興ではなかった。
それは祝賀であり、宣言であり、都市の誕生を海そのものへ告げる儀式のようでもあった。
観測窓の向こうで、発光生物の群れがゆっくりと集まり始める。
歌に引かれたのか、偶然なのかはわからない。
だがその光景は、あまりにも出来すぎていた。
「……あれ、演出じゃないですよね」
「違うな」
「違うんだ」
「だが悪くない」
「この人ほんと、だいたいのことを“悪くない”で済ませるな……」
歌は続く。
深海の静けさと、人の作った都市の灯りと、海の歌姫たちの声。
そのすべてが重なったとき、ダンはようやく実感した。
これはもう、ただの駅ではない。
ただの観光施設でもない。
人が海の底へ降り、そこに留まり、働き、集まり、歌を聴く。
そういう場所が、本当にできてしまったのだ。
深海都市。
研究回で図面の上にしかなかったものが、今は目の前で息をしている。
歌が終わると、一拍遅れて大きな拍手が巻き起こった。
ホール全体が揺れるほどの歓声だった。
来賓も一般客も、研究者も商人も、立場を忘れて舞台を称えている。
「開通式っていうか、こけら落としですね、もう」
「そのつもりだ」
「最初から全部決めてたんだろうなあ……」
匠一は小さくうなずいた。
「交通だけでは都市は完成しない。
人が来て、留まり、何かを見て、何かを聴いて、また来たいと思う。
そこまで行って初めて都市になる」
「今日はずいぶん都市計画家みたいなこと言いますね」
「今日は、ではない」
「前からでしたっけ」
「前からだ」
ダンは苦笑した。
たしかにそうかもしれない。
匠一は最初から、線を引くだけの人間ではなかった。
線の先に何を作るかまで考えているからこそ、深海の底に駅を置こうなどと言い出したのだ。
ホールの外では、次の列車が到着する時刻が近づいていた。
開通式を見に来た客だけではない。
研究者も、商人も、技術者も、観光客も、この都市へ降りてくる。
今日を境に、ここは特別な式典会場ではなく、日々人が行き交う場所になる。
祝祭は始まりにすぎない。
その先には、資源をめぐる争いもあるだろう。
海底領域の調査も進むだろう。
カルタゴ、リゴリア、キルヌス、エトルリアの思惑も、
ヘルヴェティア、ガリア、ブリタニアへの延伸計画も、いずれこの都市へ流れ込んでくる。
深海と言えど、結局はダンジョンだ。
ダンのその見立ては、案外間違っていないのかもしれない。
ただし違うのは、ここにはもう入口だけでなく、駅も、広場も、ホールも、歌もあるということだった。
海の底に築かれた新しい都市は、そうして最初の一日を迎えた。




