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見難い火傷の子  作者: 清風
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407/469

海底はダンジョンか

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子407



海底はダンジョンか



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


「深海の景色も、観光資源にはなる」


匠一がそう言い出したとき、ダンはまた始まった、という顔をした。


「いや、景色って……海の底っすよね?」

「海の底だ」

「暗いし、冷たいし、圧力すごいし、普通は“見に行こう”ってなる場所じゃないでしょう」

「だからこそだ」


匠一は平然としていた。

机の上には図面が広がっている。

既存路線の延伸案、海底地形図、資源分布の推定図、そして見慣れない断面図。

どれもこれも、どう見ても穏当な観光計画の資料には見えなかった。


「普通の人間が見られない景色には価値がある。空の上が観光資源になるなら、海の底も同じだ」

「いや、同じではない気がするんすけど」

「非日常という意味では同じだ」

「雑にまとめましたね?」


ダンの突っ込みを受け流しながら、匠一は海底断面図の一点を指で叩いた。


「問題は、景色だけでは弱いということだ」

「お、そこはちゃんと考えてたんすね」

「駅を作るなら、降りた先が要る」

「駅」

「ああ、深海駅だ」

「さらっと言いましたけど、今とんでもない単語が出ませんでした?」


匠一は気にしない。

最初から気にしていない顔だった。


「列車は人を運ぶ。人を運ぶなら、行く先が必要だ。

深海の景色を見るだけでは、乗客は途中で満足してしまう。

だが、降りる理由があれば話は別だ」

「その“降りる理由”って何です?」

「深海水族館」

「結局そこ行くんすか」


ダンは思わず言ったが、匠一はむしろ当然だと言わんばかりにうなずいた。


「深海そのものを見たあとで、深海生物を展示として見る。

順番として自然だ。

展望回廊、研究区画、宿泊区画も併設できる」

「それもう駅っていうか、施設じゃないですか」

「複合施設だな」

「駅の顔で出てくる規模じゃないんすよ」


匠一は新しい図面を広げた。

円形の中央区画からいくつもの回廊が伸び、その外周を耐圧殻が取り囲んでいる。

駅舎というより、海底基地か都市の核に近い。


「深海駅は単独では成立しにくい。だから観光拠点にする」

「深海水族館、展望回廊、研究所、売店、宿泊施設……」

「必要なら保守区画と緊急避難区画も置く」

「必要どころか絶対要るやつですね」


ダンは図面をのぞき込み、しばらく黙った。

黙ったまま、別の紙束を引き寄せる。

そこには海底資源の推定分布が記されていた。


「……これ、観光だけの話じゃないですよね」

「もちろんだ」


匠一の返答は早かった。


「深海は鉱物資源その他の天然資源の宝庫だ。しかも、その多くはまだ手つかずのまま残っている」

「手つかず」

「最後の未開域と言ってもいい」

「観光地の話してたはずなのに、急に国家事業みたいになってきたな……」


だが、図面を見ればわかる。

観光だけでここまで大がかりな路線計画は立てない。

輸送量、保守拠点、採掘設備搬入路、研究施設連絡線。

どれもこれも、遊覧列車の延長では済まない規模だった。


「景色を見るためだけに海底へ降りるわけじゃない」

「資源開発」

「研究」

「都市建設」

「そうだ」


匠一は淡々と言った。


「人が深海に滞在し、働き、やがて住む。そのための環境整備が必要になる」

「深海版テラフォーミングってやつですか」

「海底居住化計画、と呼んだほうが正確だな」

「言い換えてもやってることの規模は変わらないんすよ」


ダンは椅子にもたれ、天井を見上げた。


「深海駅を作って、深海水族館を作って、研究所を作って、資源開発して、そのうち都市になる、と」

「自然な流れだ」

「自然かなあ……」

「人が集まれば都市になる」

「海の底でも?」

「海の底でもだ」


匠一の声には、妙な確信があった。

できるかどうかを考える前に、必要ならやる、という種類の確信だ。

ダンはそれを知っている。

知っているからこそ、嫌な予感もしていた。


「で、その海底都市、どこに作るつもりなんです?」

「候補地はすでに絞ってある」


匠一は地図を広げた。

カルタゴ、リゴリア、キルヌス、エトルリア。

既存の路線がそれぞれを結び、その下に青く塗られた広大な海域が横たわっている。


「この海底下だ」

「……思ったより真下だった」


遠い外洋の果てではない。

文明圏のすぐ足元。

人々が都市を築き、交易し、争い、行き交ってきたその真下に、別の世界が眠っていた。


「カルタゴ、リゴリア、キルヌス、エトルリアを通る路線の海底下に、広大な未踏査領域がある。

資源分布も濃い。地形的にも拠点建設に向く」

「そんな場所が今まで放っておかれたんですか」

「深海だからな」

「身もふたもない」


だが、実際その通りだった。

近くにあることと、到達できることは別だ。

足元に海があっても、その底に都市を築けるわけではない。

だからこそ、そこは長く手つかずだった。


「ラスボラスゲートやジブラルタルゲートとは違う趣がある海域だ」

「またゲートの話が出てきた」

「路線はさらに北へ延ばせる。ヘルヴェティア、ガリア、そしてブリタニアへ」

「話がどんどん大きくなる……」

「ガリアとブリタニアの間には、オケアヌス・ブリタニクスゲートを置く」

「もう名前まで決まってるんですか」

「仮称だ」

「仮称の段階で強すぎるんですよ」


ダンはしばらく黙り込んだ。

机の上には、深海駅、深海水族館、海底都市、資源開発、北方延伸、海峡ゲート。

並んでいる単語だけ見れば、どう考えても一つの計画書に収まる内容ではない。


それでも匠一は、全部を一本の線として見ているらしかった。


「……いや、待ってください」


ダンはようやく、いちばん根本的な違和感を口にした。


「深海だの海底都市だのって言ってますけど、これ結局、ダンジョンじゃないっすか?」


部屋が一瞬だけ静かになった。


匠一は眉ひとつ動かさない。


「未開域という意味では近いな」

「認めるんすね」

「資源があり、未知があり、危険があり、攻略の余地がある。定義としてはそう外れていない」

「いや、そんな冷静に分類されると逆に困るんですけど」

「ならなおさら路線が要る」

「発想が攻略側じゃなくてインフラ側なんすよ」


匠一は図面の上に新しい線を引いた。

海底下を貫き、駅予定地を結び、やがて中央拠点へ収束する一本の線。

迷宮を攻略するための道ではない。

人を運び、物を運び、都市を生むための線だった。


「誰がどう呼ぼうと構わない」

「気にしないんですね」

「重要なのは、そこに行く手段があるかどうかだ」

「ダンジョンでも?」

「ダンジョンにも駅は必要だろう」

「必要かなあ!?」


思わず声を上げたダンをよそに、匠一はすでに次の図面へ移っていた。

深海駅中央区画の断面、展望回廊の配置、耐圧殻の厚み、研究区画と観光区画の分離、緊急時の閉鎖機構。

頭の中ではもう、海底都市は完成に近いところまで進んでいるのだろう。


ダンはため息をついた。


深海の景色が観光資源になる、という話から始まったはずだった。

そこに深海駅が生え、深海水族館が併設され、資源開発が加わり、海底都市が建設され、

ついには文明圏の真下に眠る巨大な“海底ダンジョン”へと話が膨らんだ。


だが不思議と、完全な絵空事にも思えなかった。


匠一が図面を引いている限り、無茶な構想はたいてい、無茶なまま終わらない。


「……で、開通式とかやるんですか」

「やる」

「やるんだ」

「都市の誕生だからな。ただ線を通すだけでは弱い」

「また何か呼ぶ気でしょう」

「セイレーン四姉妹を招く」

「急に華やかになったな!?」


匠一はようやく、少しだけ満足そうな顔をした。


「深海都市の最初の夜を飾るには、ちょうどいい」

「いや、ちょうどいいの基準がもうわからないんすけど」


ダンのぼやきは、図面をめくる音にかき消された。


海の底には、まだ誰のものでもない富と未知が眠っている。

その入口は、思っていたよりずっと近くにあった。

そして匠一は、その入口に駅を作ろうとしていた。


深海と言えど、結局はダンジョンだろ――そんな突っ込みなど、最初から気にしていない顔で。

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