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見難い火傷の子  作者: 清風
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405/469

鉄道国とクラゲ

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子405



鉄道国とクラゲ



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


ダンは、薄青く照らされた水槽の前で足を止めた。


研究棟の一角にあるその観察室は、昼も夜も曖昧だった。

壁際に並ぶ円筒水槽の中を、半透明のクラゲたちがゆっくりと明滅しながら漂っている。

水の揺れに合わせて傘がひらき、閉じ、細い触手が糸のようにたなびく。

その動きには、機械にはない静けさがあった。


その中のひとつを、匠一はじっと見つめていた。


腕を組み、微動だにしない。

呼びかけても気づかない時の顔だ、とダンは思った。

こういう時の匠一は、たいていろくでもないことを考えている。

いや、本人に言わせれば「ろくでもなく見えるだけで、だいたい後で役に立つこと」なのだが。


ダンはため息まじりに口を開いた。


「リーダー、クラゲ見つめて何考えてるんすか?」


匠一は水槽から目を離さないまま答えた。


「今度、空中浮遊線でも作ろうかと思ってな」


ダンは数秒、黙った。


観察室の送風音がやけに大きく聞こえる。

水槽の中では、クラゲが何も知らない顔でふわりと向きを変えた。


「……クラゲ飛ばすんすか?」


「飛ばすんじゃない」


匠一はそこでようやくダンを見た。

目だけが妙に真剣だった。


「浮かせて、運ぶんだ」


「言い方変えても、だいぶ無茶っすよ」


ダンが即答すると、匠一は気にした様子もなく水槽へ向き直った。


「見ろ。こいつらは速くない。だが、無駄がない。

拍動ひとつで姿勢を保ち、流れに逆らいすぎず、必要なぶんだけ進む。

空を走る路線に必要なのは、速度だけじゃない」


「いや、路線って普通はまず速さが要るんじゃないっすか」


「それは地上の話だ」


匠一は水槽のガラス面に指先を軽く当てた。


「洪水のたびに線路が沈む。橋は流される。道路は寸断される。

だったら最初から、水に触れない路線を作ればいい」


「空に?」


「ああ」


「で、その答えがクラゲ?」


「クラゲだ」


断言だった。


ダンは眉をひそめた。

だが匠一のこういう断言は、たいてい頭の中で何段階も先まで組み上がっている時に出る。

思いつきに見えて、本人の中ではもう半分完成しているのだ。


「単体じゃ無理だとしても、連ねればいける」


「連ねる?」


「列車状にする」


ダンは思わず水槽のクラゲを見た。

ひとつ、またひとつと、青白い傘がゆっくり上下している。


「……列車状クラゲ」


「先頭に進行制御。中間に浮遊節。必要箇所だけ駆動個体を置く。全部を動力化する必要はない」


「は?」


「駆動クラゲは全節に要らない。要所だけで編成全体を引けるはずだ」


「いや、まだ作ってもないのに“はず”で話進めてません?」


「だから観察してる」


匠一は平然と言った。


「こいつらは群れないようでいて、流れの中では互いの動きに影響を与える。

拍動の位相を合わせれば、推進効率は上がる。全部が同じ仕事をする必要はない。役割を分ければいい」


ダンは頭をかいた。


「つまり、動くクラゲと、あんま動かないクラゲをつなげるってことっすか」


「そうだ。動力車と付随車みたいなものだな」


「急に鉄道っぽい話になった……」


「最初から鉄道の話をしてる」


匠一は真顔だった。


ダンはしばらく黙り、水槽の中のクラゲを見た。

たしかに、速くはない。

むしろ驚くほど遅い。

だが、その遅さには奇妙な安定感があった。

慌てず、競わず、ただ一定の拍で進む。

もしこれが空に浮かぶなら――いや、浮かんだとしても、そんなものに誰が乗るのか。


「……リーダー」


「なんだ」


「それ、乗り物として遅すぎません?」


「遅いぞ」


「即答っすね」


「鳥より遅いかもしれん」


「もう乗り物の敗北じゃないっすか」


「だが、そのおかげで鳥とぶつからない」


匠一はさらりと言った。


「鳥との衝突事故は、速いから起きる。こっちが鳥より遅ければ、向こうが避けられる」


「そんな理屈あるんすか……」


「ある。少なくとも試す価値はある」


ダンは呆れ半分で笑った。


「洪水には強いけど、台風には弱そうっすね」


「弱いな」


「竜巻にも」


「弱い」


「弱点は認めるんだ」


「認めた上で使いどころを考えるのが設計だ」


匠一は水槽の中の一匹を目で追った。

傘の縁が淡く光り、触手が水流にほどけていく。


「洪水には強い。地上設備への依存が少ないからな。

だが暴風には弱い。台風と竜巻の時は止める。代わりに、平時は誰よりも静かに、誰よりも確実に進む」


「観光路線向きっすね」


「遊覧と都市間輸送の中間だな。急ぐ者には向かない。だが、景色を運ぶ路線にはなる」


景色を運ぶ。


その言い方だけは、少しだけダンの胸に残った。


水槽の中のクラゲは、相変わらず何も知らない顔で漂っている。

こんなものが本当に空を渡るのか。そんな路線が本当にできるのか。

半年前なら、いや、今この瞬間でさえ、冗談にしか聞こえない。


だが匠一は、冗談を冗談のまま終わらせない男だった。


…………………………………………………………………………………………………………


それから半年後。


開通式当日の朝、バビロニア中央駅は異様な熱気に包まれていた。


駅舎正面には祝賀の垂れ幕が何本も下がり、広場には見物客と報道陣があふれている。

露店では記念菓子や模型玩具まで売られていて、まだ朝だというのに祭りのような騒ぎだった。


二階のクラゲ線発着場へ続く大階段は、警備員が列を整理していた。

見上げれば、上層ホームのガラス天蓋の向こうに、淡い青白色の光がゆっくりとまたたいている。


「……できちゃったっすね」


ダンは階段の途中で立ち止まり、半ば呆然とつぶやいた。


「だから言っただろう」


隣を歩く匠一は、いつも通りの顔だった。


「できるって」


「いや、“できる”で本当にできる人、そんなにいないんすよ」


二階発着場に上がった瞬間、ダンは思わず息をのんだ。


そこにいたのは、巨大な列車状くらげだった。


半透明の外殻を持つ複数の節が、柔らかな発光索で連結され、一本の長い編成を形作っている。

先頭節はやや細く、前方へ伸びる触角状の感覚器を備えていた。

中間節は幅広く、内部に客室の灯りが透けて見える。

ところどころに配置された駆動クラゲが、一定の間隔で静かに拍動し、

そのたびに編成全体がごくわずかに上下した。


まるで生き物だった。


いや、実際に生き物なのだろう。

少なくとも、機械だけではない何かだった。


「駆動個体、全部には入れてないんすね」


ダンが言うと、匠一はうなずいた。


「先頭、中央、後部の要所だけだ。全節駆動にすると制御が複雑になるし、効率も落ちる。

浮遊節は浮力維持と客室機能に専念させた」


「本当に列車みたいだな……」


「列車だからな」


また真顔だった。


発着場の向こうでは、駅員たちが最終確認に追われている。

ホーム柵には金色の開通記念章が飾られ、案内板には新しい路線名が明るく表示されていた。


バビロニア中央駅~リディア王国間クラゲ線


その文字を見た瞬間、ダンはようやく実感した。


あの観察室で、クラゲを見ながら「空中浮遊線でも作ろうか」と言っていた男は、

本当にここまで来てしまったのだ。


「リーダー」


「なんだ」


「最初に聞いた時は、正直どうかしてると思ってました」


「今も半分くらいはそう思ってるだろう」


「半分どころじゃないっす」


匠一は小さく笑った。


その時、発車予告の鐘が鳴った。


ホーム全体が静まり返る。

見物客たちが一斉に顔を上げ、子どもが歓声を上げ、報道用の撮影機がいくつも先頭節へ向けられる。


列車状くらげは、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと拍動した。


速さはない。鋭さもない。

空を切り裂くような力強さとは無縁だった。


だが、その遅さには不思議な威厳があった。


急がないことを恥じず、空に道を譲り、鳥よりも遅く、洪水よりも高く、ただ静かに人を運ぶための路線。


クラゲ線は、そういう乗り物だった。


青白い光をまたたかせながら、編成はホームを離れた。

歓声が上がる。発着場のガラス越しに見える朝の空へ、列車状くらげは音もなく滑り出していく。


ダンはその姿を見送りながら、ぽつりと言った。


「……で、次は何考えてるんすか?」


匠一は遠ざかる編成を見たまま答えた。


「深海線だな」


「やっぱりろくでもない」


バビロニア中央駅二階、クラゲ線発着場。


その日、誰もが冗談だと思っていた路線が、ついに空を渡った。

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