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見難い火傷の子  作者: 清風
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398/469

新設飛行学校、卒業式

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子398



新設飛行学校、卒業式



深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。



北棟講堂に入った時、空気はこれまでの訓練の日とはまるで違っていた。

静かだった。

だが、張りつめているというより、整えられている静けさだった。

高い天井からは白い布が垂れ、壇上の背後には新設飛行学校の紋章旗が掲げられている。

左右には細い青銀の旗列。

魔導メガネウラの四枚翅を意匠化したものだろう。

飾りは多くない。

だが少ない分だけ、今日が訓練ではないことがよく分かった。


講堂の長椅子には、正装の卒業生たちが整列していた。

濃紺の式服。

肩章の縁には、課程修了を示す細い銀糸。

胸元にはまだ部隊章ではなく、学校章だけがある。

任地はまだ先だ。

だが、訓練生でももうない。

その中間のような姿だった。


窓の外には、春の終わりに近い光が差している。

実地訓練が始まった頃より、季節は確かに進んでいた。

あれから訓練は続いた。

外周飛行は二周になり、三周になり、風の強い日も、視界の悪い日も飛んだ。

救助課程は複数機連携へ進み、救命医療課程では搬送先変更と夜間条件が加わった。

実機訓練も、低高度保持から外周実地、編隊、救助、搬送へと広がっていった。

一つ一つは長かったはずなのに、振り返ると不思議なくらい短い。

気づけば、卒業式の日になっていた。


カナタは正装の袖口を一度だけ見下ろし、それから前を向いた。

隣にはレイラが座っている。

彼女も同じ濃紺の式服を着ていた。

訓練服の時より輪郭が静かに見える。

だが、背筋の伸び方は変わらない。

変わったのは、そこに無理がなくなったことだった。


「まだ実感がありません」

式が始まる前、レイラが小さく言った。

「分かる」

カナタも声を落とす。

「昨日も飛んでた気がする」

「ええ。

でも、昨日までと同じではないのでしょうね」

「たぶんな」


短い会話だった。

それ以上は要らなかった。

ここまで来る間に、互いの沈黙の意味はだいたい分かるようになっていた。


やがて講堂の前方で鐘が一つ鳴る。

全員が立つ。

教官たちが入場する。

補助教官たちに続いて、匠一が壇上中央へ進んだ。

いつも通りの歩き方だった。

訓練室でも、格納庫でも、離着陸場でも見てきた歩き方。

だが今日は、その同じ歩き方が少し違って見えた。

教える側として立つ最後の日だからかもしれなかった。


開式。

校長代理による式辞。

課程修了の確認。

新設飛行学校第一期修了生としての認定。

言葉は簡潔だった。

この学校らしく、飾りは少ない。

だが、その少なさがかえって重かった。

余計な祝辞より、ここまで積んだ時間の方がずっと大きい。


卒業証書授与が始まる。

一人ずつ名前が呼ばれ、壇上へ進む。

足音だけが講堂に響く。

カナタの名が呼ばれた時、胸の奥で何かが一度だけ強く打った。

立つ。

歩く。

壇上へ上がる。

匠一の前で止まる。


近くで見ると、匠一の表情はいつもとほとんど変わらなかった。

厳しくもなく、優しくもない。

ただ、見ている。

訓練の時と同じように、こちらがどう立っているかを見ている目だった。


証書が差し出される。

厚い紙ではない。

薄い金属繊維を漉き込んだ、折れにくい修了証だ。

受け取る。

その瞬間、ようやく少しだけ実感が来た。

終わったのではない。

渡された。

そういう感覚だった。


席へ戻る途中、視界の端にレイラが見えた。

彼女は前を向いたまま、ほんのわずかに目だけでこちらを見た。

何も言わない。

だが、それで十分だった。


全員への授与が終わる。

講堂は再び静かになる。

そこで匠一が一歩前へ出た。

卒業訓示。

たぶん全員が、それを待っていた。


「卒業は許可であって、保証ではない」


最初の一言で、講堂の空気がさらに静まった。

祝いの言葉ではない。

だが、この学校ならそうだろうと誰もが思っていた。


「お前たちは飛べる者になったのではない。

任される者になっただけだ。

飛行、編隊、救助、救命、実機、実地。

ここで通した手順は、現場で通すためにある。

学校を出た後、記録は残る。

だが、記録より先に結果が残る」


誰も動かない。

その言葉は、訓練の総括というより、これから先の現実そのものだった。


「助けたいと思うことは否定しない。

だが、助けたいだけの者は現場で数を減らす。

一人で帰るな。

見失うな。

崩れるな。

帰投まで終えて任務だ」


講堂の静けさが、少しだけ重くなる。

カナタはその言葉を聞きながら、これまでの訓練の断片を思い出していた。

単独飛行。

編隊。

災害救助。

救命医療。

実機。

実地。

どの課程でも、最後に残るのは同じことだった。

崩れないこと。

戻ること。

終わらせること。


「学校は、お前たちを守る場所だった」

匠一は続ける。

「ここでは失敗は記録になった。

だが外では、失敗は欠員になる。

それを忘れるな。

忘れない者だけが、次を任される」


その言葉は厳しかった。

だが、厳しいだけではなかった。

ここまで教えてきた者が、最後に渡す言葉として必要な厳しさだった。


「卒業を祝う。

だが、安心はするな。

今日から先は、お前たち自身が平常を保て」


それで訓示は終わった。

長くはなかった。

だが、十分だった。

祝辞というより、最後の確認。

それがこの学校にはふさわしかった。


式は続く。

修了徽章の授与。

胸元に付けられる小さな銀青の徽章。

四枚翅を簡略化した意匠の中央に、細い線で飛行路が刻まれている。

派手ではない。

だが、訓練生章より少しだけ重い。

実際の重さではなく、意味の方が。


レイラが徽章を受け取る時、彼女はほんの一瞬だけそれを見下ろした。

その視線は短かったが、珍しく感情が表に出ていた。

誇らしさというより、確認に近い。

本当にここまで来たのかと、自分で確かめるような目だった。


式の後半では、配属先の大枠が告げられた。

正式な任地は後日通達。

だが、救助飛行課程修了者、搬送医療課程修了者、外周警戒課程修了者など、進路の方向は示される。

カナタの名は救助飛行と搬送補助の両課程に入っていた。

レイラは救助飛行と実地観測補助。

互いに少し違う。

だが、完全に離れてもいない。

それが少しだけ現実味を持って胸に落ちた。


閉式の鐘が鳴る。

全員が立つ。

教官たちが退場する。

匠一は最後まで振り返らなかった。

それがかえって、この学校らしかった。

見送られるためではなく、送り出すために立っていたのだと分かる。


講堂の空気が少し緩む。

ようやく、式が終わったのだと身体が理解し始める。

周囲では小さな声が交わされ、証書を見下ろす者、徽章に触れる者、ただ黙って立っている者もいた。

泣く者は少ない。

この学校では、感傷より先に次が来る。

だからかもしれなかった。


カナタも席を立つ。

手の中の修了証は薄いのに、妙に存在感があった。

紙ではなく、責任のように感じる。


「卒業ですね」

隣でレイラが言う。

「そうみたいだ」

「まだ、終わった感じはしません」

「終わりじゃないんだろ」

「ええ。

たぶん、ようやく始まるのでしょうね」


その言い方に、カナタは少しだけ笑った。

レイラもごくわずかに口元を緩める。

訓練の最初の頃なら、こんなふうに並んで話すこともなかったかもしれない。

だが今は、同じ空を越えてきた者同士の距離があった。


講堂の外へ出る。

春の終わりの光が、石畳の上に明るく落ちていた。

空は高い。

訓練室の投影空域でも、格納庫の天井でもない、本物の空だ。

実地訓練で見上げた時より、今日は少しだけ遠く見える。

近づいたからではない。

これから自分たちが、その下で結果を残す側になるからだろう。


北棟の向こうには格納庫の屋根が見える。

その先には離着陸場。

さらに外周空域。

訓練で使った場所が、校地の中に静かに並んでいる。

飛び始めた場所。

揃って飛んだ場所。

助けるために飛んだ場所。

生かして渡すために飛んだ場所。

本物の機体に乗った場所。

本物の空へ出た場所。

その全部が、今日で終わるわけではない。

ただ、守られた課程としては終わる。


石段を下りながら、カナタは胸元の徽章に一度だけ触れた。

冷たい。

小さい。

だが、そこに刻まれた四枚翅の線は、これまでの訓練のどの記録よりもはっきりしていた。


「配属、どうなると思う」

カナタが聞く。

レイラは少し考えてから答えた。

「近い場所ではないかもしれません」

「だろうな」

「でも、同じ空域を飛ぶことはあるでしょう」

「あるかもな」

「その時は、見失わないようにします」


それは冗談のようでいて、冗談ではなかった。

カナタは頷く。

「こっちもだ」


風が吹く。

講堂前の旗が小さく鳴る。

空は広い。

訓練で何度もそう思った。

だが卒業の日の空は、広いだけではなかった。

そこへ出ていくことの重さが、ようやく形を持って見えていた。


飛べるようになった、とはまだ思わない。

助けられるようになった、とも言い切れない。

ただ、任される側へ来たのだとは分かる。

それで十分だった。


新設飛行学校の講堂を背に、卒業生たちは少しずつ石畳の上へ散っていく。

それぞれの任地へ向かう前の、短い猶予のように。

カナタも歩き出す。

隣にはレイラがいる。

だが、この並びもずっと続くわけではない。

だからこそ、今だけはその歩幅を意識せずにいられた。


帰投まで終えて任務。

その言葉は、訓練の締めではなく、これから先の始まりとして胸の中に残っていた。

空は今日も高い。

そしてその高い空の下で、自分たちはもう、教えられる側ではなく、任される側として歩き始めていた。

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