鉄道国航空隊入隊式
見難い火傷の子399
鉄道国航空隊入隊式
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
鉄道国中央航空基地の正門をくぐった時、カナタは無意識に歩幅を少しだけ狭めた。
新設飛行学校の校地とは、空気の張り方が違う。
広い。
だが開かれている広さではなく、管理された広さだった。
石畳の進入路はまっすぐ本庁舎へ伸び、その左右には格納庫群、整備棟、資材塔、通信塔が規則正しく並んでいる。
遠くでは実機の翅音が低く重なり、風に混じって金属と油の匂いが流れてきた。
学校にも格納庫はあった。
だがここでは、その一つ一つが訓練設備ではなく、運用のために置かれている。
それだけで景色の意味が変わって見えた。
正門から本庁舎前広場へ続く道には、新入隊員たちが列を作って進んでいた。
濃紺の式服は卒業式のものと似ている。
だが胸元の徽章が違う。
学校章ではなく、鉄道国航空隊の隊章。
翼ではない。
鉄路と空路を重ねた意匠の中央に、細い導管線が走っている。
鉄道国らしい、地上と空を一つの運用として見る紋章だった。
肩章も変わっていた。
訓練課程修了を示す銀糸ではなく、入隊階級を示す細い線章。
まだ最下位の新任線だ。
だが、それでも“訓練生ではない”ことだけははっきり分かる。
カナタは胸元の隊章に一度だけ目を落とし、それから前を向いた。
隣にはレイラがいる。
卒業式の時と同じように静かな顔をしていたが、視線の動きは少し違った。
学校では見慣れたものを確認する目だった。
今は、知らない配置と規律を読み取る目になっている。
「学校より静かですね」
レイラが小さく言った。
「人は多いのにな」
「ええ。
でも、話し声が少ないです」
「訓練じゃなくて、もう勤務の場所だからかもな」
「たぶん」
短い会話のあと、二人はまた前を向いた。
ここでは、まだ何をどこまで話していいのかも分からない。
その分だけ、沈黙が自然だった。
本庁舎前広場は、学校の講堂よりずっと大きかった。
石造りの庁舎を背に、正面には高い旗柱が三本。
中央に鉄道国旗、右に航空隊旗、左に鉄道国運輸総局旗。
航空隊が独立した華やかな軍ではなく、国家運用の一部として置かれていることが、その並びだけで分かる。
広場には新入隊員の整列区画が白線で引かれ、前方には壇上が設けられていた。
壇上の背後には航空隊旗。
その左右には、現役部隊の隊旗が並ぶ。
救助飛行隊、外周警戒隊、搬送支援隊、観測飛行隊。
学校で聞いた課程名が、ここではそのまま実在の部隊名になっていた。
訓練で覚えた言葉が、急に現実の所属へ変わる。
それが思った以上に重かった。
整列。
号令。
全員が一斉に姿勢を正す。
その動きの揃い方が、学校の式典より一段硬い。
教えられた動作ではなく、守るべき規律として揃っている感じがあった。
鐘ではなく、短い金属笛の音が広場に響く。
入隊式が始まる。
まず、航空隊司令部副長官の入場。
続いて各部隊長。
最後に、鉄道国航空隊総監が壇上中央へ進む。
年齢は高い。
だが歩き方に無駄がない。
飾りの多い礼装を着ていても、その人だけは装飾より先に“運用してきた者”の気配があった。
開式。
国旗掲揚。
隊旗掲揚。
宣誓文朗読。
式次第は簡潔だった。
学校の卒業式よりもさらに簡潔かもしれない。
祝うための式ではなく、組み込むための式。
そういう印象だった。
新入隊員代表が前へ出て、宣誓を読み上げる。
鉄道国の空路と鉄路の安全維持。
災害時の救助と搬送。
外周空域の監視。
命令系統の遵守。
帰投までを任務とすること。
その文言の中に、学校で何度も聞いた言葉が混じっていた。
帰投まで。
やはりここでも、それが最後に来る。
宣誓が終わると、総監が一歩前へ出た。
広場の空気がさらに締まる。
「本日付で、お前たちは鉄道国航空隊に入る」
声は大きくない。
だが、よく通った。
広場の隅まで無理なく届く声だった。
「学校を出たことは知っている。
課程を修了したことも知っている。
だが、それはここでの保証にはならない。
卒業は教育の終了であって、運用の開始にすぎん」
その言い方に、カナタは卒業式での匠一の言葉を思い出した。
許可であって保証ではない。
言い回しは違う。
だが意味は同じだった。
学校と航空隊は別の場所なのに、繋がっている。
「航空隊は飛ぶための組織ではない。
飛んだ結果を残すための組織だ。
救助、搬送、警戒、観測。
どの任務でも、飛行は手段にすぎん。
任務を終え、帰投して初めて一件だ」
広場は静かだった。
誰も身じろぎしない。
その言葉は、訓練の延長ではなく、運用の現実として落ちてくる。
「助けたい者は多い。
速く飛びたい者も多い。
だが、助けたいだけの者、速いだけの者は、隊の数を減らす。
規律を守れ。
手順を守れ。
見失うな。
一人で帰るな」
最後の一文で、カナタは胸の奥が少しだけ強くなるのを感じた。
学校で聞いてきた言葉が、ここでは命令として置かれている。
もう教訓ではない。
守るべき規律だ。
「お前たちは今日から隊員だ。
だが、まだ一人前ではない。
配属先で学べ。
現場で覚えろ。
ただし、平常だけは失うな」
訓示はそこで終わった。
長くはない。
だが十分だった。
祝辞ではなく、受領確認に近い。
それがこの場所にはふさわしかった。
続いて、配属区分の一次通達が行われる。
正式な小隊配属は後日。
だが、所属する大隊と任務系統はここで告げられる。
新入隊員たちの間に、目に見えない緊張が走った。
卒業式の時よりも、こちらの方がずっと現実的だった。
どこへ行くかで、これからの毎日が決まる。
名簿が読み上げられる。
救助飛行大隊。
搬送支援大隊。
外周警戒大隊。
観測飛行大隊。
補給連絡飛行大隊。
カナタの名が呼ばれた。
「救助飛行大隊付、搬送支援課程修了者」
胸の中で何かが一度だけ沈む。
重くなったのではない。
位置が決まった。
そんな感覚だった。
訓練で学んだ救助と救命医療が、そのままここへ繋がったのだと分かる。
続いてレイラの名。
「救助飛行大隊付、実地観測補助課程修了者」
同じ大隊。
課程は少し違う。
だが完全には離れない。
カナタは前を向いたまま、ほんの少しだけ息を整えた。
隣にいることが続く保証はない。
それでも、最初の所属が同じだという事実は、思った以上に大きかった。
式はさらに進む。
隊章の正式授与。
卒業式で受けた修了徽章とは別に、航空隊員としての胸章が配られる。
小さな金属章だが、学校章より冷たく見えた。
意匠のせいかもしれない。
あるいは、これが教育ではなく運用の印だからかもしれなかった。
胸章を受け取る。
手の中でわずかに重い。
卒業証より小さいのに、こちらの方が現実味がある。
名簿に載り、所属が決まり、章を受け取る。
その順番で、ようやく“入った”のだと身体が理解していく。
閉式。
金属笛。
号令。
敬礼。
隊旗降下。
教官ではなく、上官たちが壇上を降りていく。
その背中を見送りながら、カナタは学校との違いをはっきり感じていた。
あちらは送り出す場所だった。
こちらは受け取る場所だ。
同じ厳しさでも、向きが違う。
式が終わっても、すぐには解散にならなかった。
新入隊員たちは区画ごとに分けられ、各大隊の案内士官のもとへ集められる。
ここから先は、もう式ではなく手続きだ。
宿舎区画、装備受領、勤務規則、初期配置、仮班編成。
祝う余白はほとんどない。
それがかえって、この組織の本気を感じさせた。
救助飛行大隊の区画へ移動する途中、レイラが小さく言った。
「同じ大隊でしたね」
「そうだな」
「少し安心しました」
その言葉は意外だった。
レイラはもっと淡々としていると思っていた。
カナタが見ると、彼女は前を向いたまま続ける。
「知らない場所で、知っている飛び方を共有できる相手がいるのは大きいです」
「……こっちもだ」
「ただ、同じ班になるとは限りません」
「分かってる」
「ええ。
でも、最初から完全に一人ではない」
その言い方は、たぶん今のカナタの気持ちにも近かった。
学校を出た時より、入隊式の方が一人になる感じが強かった。
だからこそ、同じ大隊にいるというだけで少しだけ足場ができる。
救助飛行大隊の案内士官は、若いが声の硬い男だった。
新入隊員たちを見回し、名簿板を確認してから言う。
「本日よりお前たちは救助飛行大隊付新任要員となる。
課程修了は考慮する。
だが、現場経験はないものとして扱う。
勝手にできると思うな。
できないと思いすぎるな。
指示を聞け。
記録を取れ。
帰投まで気を抜くな」
短い。
だが、これもまた十分だった。
学校の教官たちとは違う。
教えるための言葉ではなく、使うための言葉だ。
その差が、はっきり分かる。
案内に従って宿舎棟へ向かう途中、基地の上空を一機の魔導メガネウラが横切った。
高い。
速い。
だが、見せるために飛んでいるのではない。
どこかへ向かい、どこかから戻る途中なのだと分かる飛び方だった。
訓練飛行とは違う。
空の使い方そのものが違う。
カナタはその機影を目で追いながら、胸元の隊章に一度だけ触れた。
冷たい。
小さい。
だが、その冷たさは卒業式の徽章よりもはっきりしていた。
ここではもう、訓練の記録ではなく、任務の結果が残る。
その中へ自分も入ったのだと、ようやく実感が追いついてくる。
宿舎棟の前で一時停止。
名簿確認。
仮室割り。
仮班番号。
カナタとレイラは同じ棟だが、部屋は別だった。
当然だ。
当然なのに、そこで初めて“学校が終わった”ことが具体的になった。
同じ教室も、同じ寝台区画も、もうない。
これからは同じ基地にいても、別々の勤務表で動く。
「また後で」
レイラが言う。
「おう」
「見失わないでください」
「そっちもな」
それだけ言って、彼女は女子宿舎側の通路へ向かった。
振り返らない。
だが、その歩き方には迷いがなかった。
学校を出て、組織に入っても、彼女は彼女のままだった。
カナタも自分の通路へ向かう。
石壁の廊下。
規則的に並ぶ扉。
窓の外には格納庫の屋根。
その向こうに、鉄道国の空が広がっている。
卒業式の日、空は遠く見えた。
入隊式の日の空は、遠いまま、もっと具体的に見えた。
あの下で飛ぶ。
あの下で戻る。
あの下で結果を残す。
もう訓練ではない。
だが、訓練で積んだものしか頼るものもない。
部屋の前で立ち止まり、カナタは一度だけ深く息を吸った。
油と金属と、少し乾いた石の匂い。
基地の匂いだった。
飛べるようになったから入ったのではない。
任される側に回ったから、ここにいる。
その実感は、卒業証を受け取った時よりも、今の方がずっとはっきりしていた。
鉄道国航空隊。
その名の下に、自分の名前が載った。
それだけで、世界は少し狭くなり、少し重くなった。
だが、その狭さと重さの中で飛ぶために、ここまで訓練してきたのだとも思えた。
帰投まで終えて任務。
その言葉は、学校の教訓ではなく、今日からの規律として胸の中に収まっていた。
そしてその規律と一緒に、カナタの新しい日々が、静かに始まろうとしていた。




