新設飛行学校、魔導メガネウラ実地訓練
見難い火傷の子397
新設飛行学校、魔導メガネウラ実地訓練
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
北棟の外へ出た時、空は思っていたより広かった。
格納庫の中で見上げる天井の高さとは違う。
訓練室の投影空域とも違う。
遮るものの少ない本物の空が、校地の上にそのまま広がっている。
朝の光はまだ斜めで、地上の建物や塔の影を長く引いていた。
風がある。
強くはない。
だが、格納庫内の整えられた空気とは違う、向きの定まらない流れだった。
校地外周には、実地訓練用の離着陸場が設けられていた。
白線で区切られた発進区画。
高度標識塔。
外周空域を示す浮遊標。
遠方には、目標確認用の色旗と反射板がいくつか立てられている。
訓練用に整えられてはいる。
だが、それでも格納庫内よりずっと“外”だった。
魔導メガネウラが四機、発進区画に並んでいる。
翅を休めたまま朝の光を受ける姿は、格納庫で見た時よりもさらに生き物じみていた。
屋外では機体の輪郭が空へ溶ける。
大きいのに、空の中では小さく見える。
そのことが、かえって怖かった。
広い場所では、物の大きさも距離も、簡単に感覚を裏切る。
匠一が離着陸場の前に立つ。
背後には外周空域を示す浮遊標、その向こうには校地の外壁と、さらに先の荒野が見えていた。
「本日より実地訓練に入る」
声はいつも通り平坦だった。
だが、屋外ではその平坦さがよく通る。
余計な響きがない分、言葉だけが風の中へ真っ直ぐ出ていく。
「格納庫内で保てた平常を、外でも保てるかを見る。
課題は単純。
離陸、指定高度まで上昇、外周空域一周、地上目標確認、帰投、着陸。
旋回は緩く取れ。
風を消そうとするな。
流されることと、流されっぱなしでいることは違う」
訓練生たちは静かに聞いている。
実機訓練の時よりも、むしろ緊張は深いように見えた。
本物の機体に乗ることは、もう昨日やった。
だが今日は、その機体で外へ出る。
空間そのものが変わる。
それがどれほど大きいか、全員なんとなく分かっていた。
「外は訓練場ほど親切ではない」
匠一は続ける。
「目印が多い場所ほど、基準は少ない。
地上を見すぎるな。空だけ見るな。
広い空で軸を失う者は多い。
帰投できて初めて実地だ」
最後の一言が、朝の空気の中で少し重く残った。
帰投できて初めて実地。
飛ぶことではなく、戻ること。
この学校はやはりそこを外さない。
補助教官が前へ出て、外周空域の図を示す。
離陸場から北塔を基準に上昇。
高度二で外周標識へ進入。
東側の反射板、南側の赤旗、西側の石塔を順に確認。
その後、離陸場へ戻る。
単純な周回だ。
だが、単純だからこそ誤魔化しが利かない。
「二十三番、二十四番、前へ」
カナタは一歩前へ出る。
隣ではレイラも同時に動いた。
今回も同じ組だが、飛ぶのは一機ずつ。
先にカナタ、次にレイラ。
実機訓練ではレイラが先だった。
今日は逆だ。
発進区画へ向かう。
屋外で近づく実機は、格納庫内とはまた違う圧があった。
空が広い分、機体の輪郭がはっきりしない。
そのせいで、距離感が少しずつ狂う。
近いのか遠いのか、一瞬だけ分からなくなる。
カナタはそこで足を止めず、搭乗台を上がった。
操縦席に座る。
固定具が肩と腰を締める。
前方視界は格納庫内よりずっと広い。
広すぎると言ってもいい。
目印が多い。
塔、壁、旗、遠くの岩地、空の色の層。
だが多いからこそ、どれを基準にするかを決めなければならない。
「接続確認」
「二十三番、良し」
地上索が外れる。
風が機体の側面を撫でる。
まだ浮いていないのに、外の空気はすでに機体へ触っている。
「出力一」
低い唸り。
座面から振動が上がる。
格納庫内で感じたものと同じはずなのに、屋外では音が散る。
その分、振動と風圧の方が強く意識に残る。
「出力二」
四枚翅の根元が動く。
空気が押される。
だが格納庫内のように壁へ反射して返ってこない。
風は外へ逃げる。
その代わり、自然の風が横から混じる。
機体がわずかに右へ引かれた気がした。
まだ浮いていない。
それでも、外ではもう“まっすぐ”が一つではない。
「離陸」
カナタは急がず出力を上げた。
床が離れる。
高度一。
保持。
その瞬間、格納庫内との違いがはっきり分かった。
止まっているつもりでも、空気が止まっていない。
機体の周囲を流れるものが常にある。
自分が動かなくても、外界が動いている。
高度二まで上昇。
北塔を基準に取る。
塔は動かない。
まずそれを軸にする。
その上で、視界の端に外周標識を入れる。
地上を見すぎない。
空だけ見ない。
匠一の言葉を思い出す。
「外周進入」
機首を北東へ向ける。
進む。
格納庫内の短距離直進とは違う。
前へ出ても、終端が近づいてこない。
空が広い分だけ、自分がどれだけ進んでいるのかが曖昧になる。
速度感覚が薄い。
その代わり、地上の流れ方で進みを読むしかない。
右から風。
機体が少し流される。
カナタは反射的に戻したくなった。
だが戻しすぎれば揺れる。
風を消そうとするな。
流されることと、流されっぱなしでいることは違う。
ほんの少しだけ修正する。
進路を戻す。
完全に消さない。
保つ。
東側の反射板が見える。
朝日を受けて白く光る。
確認。
そのまま緩い旋回へ入る。
格納庫内では感じなかった遠心の薄い圧が、身体の横へかかる。
大きく回る。
急がない。
旋回中に高度を失わない。
南側の赤旗。
確認。
風向きが少し変わる。
今度は正面から。
速度が落ちたように感じる。
だが、感じるだけで入力を増やしすぎれば前へ出すぎる。
前方標識と地上の流れ、その両方で読む。
感覚一つに頼らない。
西側の石塔が見えた時、カナタはようやく少しだけ呼吸を整えた。
半周を越えた。
だが、ここで気を抜けば帰投で崩れる。
帰投できて初めて実地。
その言葉が頭の中で繰り返される。
離陸場が見えてくる。
広い空の中では、さっきまで大きく見えた白線が妙に小さい。
近づくほど、逆に距離感が怪しくなる。
着陸点を急いで決めない。
まず進入線。
次に高度。
最後に接地。
順番を崩さない。
「帰投進入」
補助教官の声が遠くから入る。
カナタは減速を薄く作る。
外では、止まるための基準が少ない。
だからこそ、白線だけに頼らず、塔と地面の角度、機首の高さ、影の位置も使う。
見えるものを増やすのではない。
基準にするものを絞る。
高度一。
保持。
白線の上へ。
停止。
着地。
脚が地面に触れた瞬間、ようやく外の風が“乗っているもの”から“当たってくるもの”へ戻った。
カナタはそこで初めて、肩に入っていた力に気づいた。
「二十三番。課題達成。進路維持良好。帰投良好。着地軽微右流れ」
記録の声が落ちる。
右流れ。
自分でも分かっていた。
最後の接地で、風を一つ読み切れていなかった。
だが崩れてはいない。
それで十分だった。
操縦席を降りると、レイラが待っていた。
「どうだった」
カナタが先に聞かれる前に言う。
「広かった」
レイラは少しだけ目を細めた。
「そう見えました」
「格納庫より基準が多いのに、取りにくい」
「ええ。多いと散ります」
「風も、消せない」
「消そうとすると、たぶん崩れますね」
短い会話だったが、それで十分だった。
外では、訓練で覚えたことをそのまま使うだけでは足りない。
どれを基準にするかを、自分で選び直さなければならない。
「二十四番、搭乗」
レイラが前へ出る。
搭乗台を上がり、固定。
接続。
地上索が外れる。
離陸。
上昇。
保持。
ここまでは正確だった。
やはりレイラは速い。
外へ出ても、最初の組み立てが崩れない。
だが外周へ進入した直後、ほんのわずかに機体が内へ寄った。
風ではない。
視線だ。
東側の反射板を早く取りにいった分、進路の軸が一瞬だけ細くなった。
すぐに修正される。
崩れではない。
だが、外ではそういう一瞬が見える。
周回はきれいだった。
南側の赤旗確認。
西側の石塔確認。
帰投。
着地。
「二十四番。課題達成。目標確認良好。外周進入時軽微内寄り」
降りてきたレイラは、やはり表情を大きく変えなかった。
だがカナタが見ると、彼女は先に言った。
「反射板を早く見ました」
「分かった」
「基準にする前に、確認対象として見てしまいました」
「外だと、そうなるんだな」
「はい。
見えるものが多い分、見る順番を間違えます」
その言い方は、いかにもレイラらしかった。
感覚ではなく、順番の問題として捉えている。
だが実際、その通りなのだろう。
外では“何を見るか”だけでなく、“いつ見るか”も重要になる。
次の組が上がる。
一人は広い空に出た瞬間、地上を見すぎた。
高度保持が浅くなり、外周進入で機首が上下する。
別の一人は、風に流されるたびに細かく戻しすぎた。
結果として進路は保てても、機体が落ち着かない。
「高度保持不完全」
「修正過多」
記録は淡々としている。
だが、その淡々さが外の厳しさをよく示していた。
広い空は自由に見える。
だが、自由だからこそ、自分で軸を持てない者はすぐ散る。
午前の終わり近く、全員の初回周回が終わる。
匠一が離着陸場の前へ出た。
背後では、発進区画に戻った魔導メガネウラが翅を休めている。
その向こうには、校地の外壁と、さらに先の荒野。
訓練場の外の世界が、ずっと先まで続いていた。
「外は広い」
匠一が言う。
「広い場所では、基準を失った者から散る。
目印が多いことは助けにならない。
基準にするものを選べ。
選んだら保て」
誰も口を開かない。
全員、自分が何を見て、何に引かれたかを思い返しているのが分かった。
「風は消えない。
地形も消えない。
光も変わる。
その中で飛ぶ。
だから実地だ。
訓練場と同じ飛び方をするな。
訓練場で積んだ平常を、外に合わせて使え」
その言葉は、実地訓練の意味をそのまま言い切っていた。
同じことをするのではない。
積んだものを、外で使える形に変える。
それが必要なのだ。
休憩に入ると、カナタは離着陸場の端から空を見上げた。
高い。
広い。
だが、ただ広いだけではない。
風があり、光があり、遠くの地形があり、目印がありすぎて、基準は少ない。
その中で飛ぶということが、ようやく少しだけ実感として分かってきた。
レイラが隣に来る。
「格納庫の方が簡単でした」
「そうだな」
「でも、外の方が分かりやすいこともあります」
「何が」
「自分が何に引かれるかです。
格納庫では、基準が少なすぎて見えませんでした」
その言葉に、カナタは少し考えてから頷いた。
たしかにそうかもしれない。
外では乱れる要素が多い。
だからこそ、自分の癖もはっきり出る。
地上を見るのか。
目標を急ぐのか。
風を消そうとするのか。
それが全部、空の中に形になる。
補助教官が記録板を持って前へ出る。
「午後は実地再訓練、ならびに高度三保持と外周二周、目標確認追加を行う。
十分後に集合」
高度三。
外周二周。
目標確認追加。
また一段、空が広くなる。
カナタは発進区画に並ぶ魔導メガネウラを見た。
格納庫で見た時より、もう遠く感じない。
だが、扱えるとも思わない。
外へ出た分だけ、機体も空も、まだ自分より大きい。
その大きさを軽く見ないこと。
たぶん、それが今の自分たちに必要な平常なのだろう。
十分後。
短い休憩の間に、カナタは頭の中で手順をなぞり直した。
離陸。上昇。基準確保。外周進入。目標確認。帰投。着地。
見るものを増やさない。
基準を選ぶ。
風を消さない。
流されっぱなしにならない。
帰投できて初めて実地。
その言葉は、朝の風の感触と一緒に、しばらく身体の中へ残り続けそうだった。




