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見難い火傷の子  作者: 清風
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396/476

新設飛行学校、魔導メガネウラ実機訓練

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子396




新設飛行学校、魔導メガネウラ実機訓練




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


北棟格納庫に集められた時、新入生たちは前にここへ来た時よりも静かだった。

あの時は、まだ遠くから見上げるだけだった。

翅を畳んだ巨大な機体は、目標であり、到達点であり、まだ触れてはならないものだった。

だが今日は違う。

格納庫の中央に据えられた魔導メガネウラの周囲には、搭乗台と点検具、接続架台が並べられている。

見学ではない。

訓練の準備だった。


油と金属と魔石導管の匂いが、前よりも濃く感じられる。

近づいた分だけ、機体はさらに生き物じみて見えた。

細長い胴体。

左右に張り出した四枚翅。

翅膜の細かな筋は、ナノ訓練機で見慣れた形のはずなのに、実寸になるとまるで別物だった。

薄いのに大きい。

軽そうに見えるのに、近くに立つと圧がある。

胴体側面を走る魔石導管は、淡い青白い光を脈のように明滅させていた。

静止しているだけで、次の瞬間には空気を裂いて飛び立ちそうだった。


匠一が機体の前に立つ。

いつも通り、両手を後ろで組んだ姿勢だった。

だが今日は、その背後にある実機のせいで、声まで少し硬く聞こえた。


「本日より実機訓練に入る」


ざわめきは起きなかった。

起きるだけの緊張が、もう先に全員の中へ入っていた。


「ここまで来たから乗せる。

飛べるからではない。

規定飛行時間、編隊課程、救助課程、救命医療課程を通過し、

飛行状態を異常として扱わなくなった者から順に実機へ移す」


その言葉は、許可というより確認だった。

ご褒美ではない。

資格の確認。

カナタは無意識に背筋を伸ばした。


「実機は訓練の延長ではない。訓練の結果だ」

匠一は続ける。

「ナノで崩れた者は、ここでも崩れる。

本物の空は、誤認を拡大して返す。

高度、重量、風圧、振動、出力。

どれも縮尺の中では済まない」


格納庫の空気が静まる。

誰も目を逸らさない。

逸らせないのかもしれなかった。


「初回課題は単純化する。

搭乗、接続、地上出力確認、低高度浮上、三呼吸保持、短距離直進、停止、着地。

旋回なし。加速なし。

離陸より着地を先に考えろ」


最後の一言だけ、少し強く響いた。

離陸より着地を先に考えろ。

ナノ訓練でも似たことは教わってきた。

だが実機の前で聞くと、重さが違った。


補助教官が前へ出て、搭乗手順を示す。

足場の位置。

翅への接触禁止範囲。

導管への不用意な接近禁止。

接続索の確認。

操縦席での固定順。

どれも細かい。

だが細かいからこそ、本物なのだと分かる。


「二十三番、二十四番、前へ」


カナタは一瞬だけ息を止めた。

隣を見ると、レイラもすでに前を向いている。

今回も同じ組だった。

ただし今日は編隊ではない。

一機ずつ、順番に乗る。

先にレイラ、次にカナタ。


搭乗台を上がる。

近づくほど、機体の大きさが感覚を狂わせた。

ナノ訓練機と同じ形のはずなのに、距離が違う。

翅の根元の可動節は人の胴ほどもあり、胴体側面の装甲板は肩の高さを越えている。

操縦席へ乗り込むだけで、すでに“機体に入る”という感覚があった。


レイラが先に搭乗する。

固定。

接続。

補助教官が確認を終え、地上索が外される。


「出力一」


低い唸りが格納庫に満ちた。

ナノ訓練機では感じなかった振動が、床を通して足裏に来る。

魔石導管の光が一段強くなる。

機体全体が、静止したまま目を覚ます。


「出力二」


四枚翅の根元がわずかに動く。

風が起きる。

格納庫の空気が押し返され、訓練生たちの制服の裾が揺れた。

ただの準備出力でこれだ。

カナタは喉の奥が少し乾くのを感じた。


「浮上」


レイラ機が床を離れる。

ほんのわずか。

それだけなのに、ナノ訓練とは違う“重さの消え方”があった。

軽くなるのではない。

重いものが、重いまま浮く。

そんな感じだった。


高度一。

保持。

機体は安定している。

だが完全な静止ではない。

微細な振動と、翅の打つ空気の圧が、常に機体の周囲を揺らしている。

その中で、レイラは前を見たまま三呼吸を保った。


「直進」


ごく短い距離。

格納庫内に設けられた白線の上を、機体がゆっくり進む。

速くはない。

だが、実機の低速はナノ訓練機の低速よりずっと速く見えた。

質量があるからだ。

止まるまでの距離も、止める時の怖さも、全部が大きい。


「停止」


レイラ機が減速に入る。

一瞬だけ、機首が細かく揺れた。

だがすぐに収まり、停止。

着地。

脚が床に触れた瞬間、格納庫の空気が少しだけ緩んだ。


「二十四番。課題達成。停止時微振動」

記録の声が落ちる。

レイラは降りてきても表情を大きく変えなかった。

だが、操縦席から足場へ移る時の動きが、ほんの少しだけ慎重だった。

本物の振動が、まだ身体に残っているのだろう。


「どうだった」

カナタが小さく聞く。

レイラは短く答えた。

「重いです」

「見てても分かった」

「応答は早いのに、止まり方は軽くありません。

ナノより、止める前の判断が要ります」

「……だろうな」

「でも、訓練と別物ではありません」

レイラはそう言って、機体を一度振り返った。

「大きくなっただけではないですが、無関係でもないです」


その言葉に、カナタは少しだけ救われた。

別物ではない。

なら、ここまで積んできたものは無駄ではない。


「二十三番、搭乗」


呼ばれて前へ出る。

搭乗台を上がる。

近くで見る実機は、やはり生き物に近かった。

装甲板の継ぎ目。

導管の脈動。

翅膜の薄さ。

どれも作り物のはずなのに、静かな呼吸のように見える。


操縦席に座る。

固定具が肩と腰を締める。

手を置く。

操縦桿はナノ訓練機と似ている。

だが握った時の冷たさと重みが違う。

前方視界は広い。

それでも、機首の長さと翅の存在が、距離感を少しずつ狂わせる。


「接続確認」

補助教官の声。

「二十三番、良し」


地上索が外れる。

その瞬間、逃げ道が一つ減った気がした。


「出力一」


低い唸り。

座面から振動が上がってくる。

ナノ訓練では“機体が応える”感覚だった。

実機では“機体が起きる”感覚だった。

自分が動かす前に、向こうが存在を主張してくる。


「出力二」


風圧。

翅の根元が動き、空気が押される。

操縦席の周囲で、見えない流れが変わる。

身体がそれを先に感じる。

ここで驚くな。

匠一の言葉を思い出す。

飛行状態を異常として扱うな。


「浮上」


カナタは急がず出力を上げた。

床が離れる。

足裏の感覚が消える。

だがナノの時のような軽さではない。

重いものが、支えを失ってなお保たれている。

その不思議さに、一瞬だけ意識が引かれそうになる。

引かれるな。

前を見る。

高度一。

保持。


三呼吸。

一。

機体の震えを読む。

二。

下を見すぎない。

三。

前方標識との位置関係で高さを取る。


保持はできる。

だが、静止しているだけで腕と背中に力が入る。

本物の空気圧が、機体を通して身体へ返ってくる。

ナノ訓練で覚えた“平常”を、ここでもそのまま保てるか。

それが試されているのだと分かった。


「直進」


操縦桿をわずかに送る。

機体が前へ出る。

速い。

いや、速いのではない。

前へ出た時の“出た感覚”が大きい。

質量があるから、動き始めたものがそのまま進もうとする。

カナタは焦って戻しそうになるのを抑えた。

止めるために早く戻せば、今度は揺れる。

進みを作り、進みを薄くする。

ナノ訓練で覚えた通りに。

ただし、もっと早く考える。


白線の終端が近づく。


「停止」


カナタは止めようとせず、進みを削る。

一度で止める。

二度触らない。

機体がまだ前へ行きたがっているのを感じる。

だがそこで慌てて引けば、機首が揺れる。

薄く、薄く。

止まる。


一瞬だけ、機体が前へ残ろうとした。

だが揺れは小さい。

保持。

着地。

脚が床に触れた時、ようやく肩の力が抜けた。


「二十三番。課題達成。停止良好。飛行時間算入」


記録の声が落ちる。

カナタは深く息を吐いた。

できた。

だが“飛べた”という感じではなかった。

崩れなかった。

それに近い。


操縦席を降りると、足場の金属が妙に固く感じられた。

地面に戻ったはずなのに、まだ身体のどこかが浮上の感覚を覚えている。


「どうでした」

レイラが聞く。

「重かった」

カナタは正直に答えた。

「でも、訓練でやったことは使えた」

「はい」

レイラは頷く。

「別物ではないですね」

「ただ、本物だった」

「ええ」


その短いやり取りだけで十分だった。

ナノ世界で積んだものは、確かにここへ繋がっている。

だが繋がっているからといって、軽くなるわけではない。

本物は本物の重さで返ってくる。


次の組が上がる。

一人は浮上の瞬間に下を見すぎた。

高度保持が浅くなり、機首がわずかに上がる。

慌てて戻し、今度は前へ流れる。

着地はできたが、保持は崩れた。


「保持不完全。飛行時間一部算入」


別の一人は、停止でナノ訓練の感覚をそのまま持ち込みすぎた。

止める入力が早い。

機首が細かく前後に振れ、着地で脚を鳴らす。


「停止不良。着地衝撃大」


実機は、誤差を大きく返す。

匠一の言葉通りだった。

ナノで許されたわずかな乱れが、ここではそのまま形になる。


午前の終わり近く、全員の初回搭乗が終わる。

匠一が機体の前へ出た。

背後の魔導メガネウラは、再び翅を休めたまま静かに立っている。

だが、もう最初に見た時の“遠い目標”ではなかった。

触れた。

乗った。

その分だけ、怖さも現実になっていた。


「実機は優しくない」

匠一が言う。

「だが、不親切でもない。

入力したものを拡大して返すだけだ。

崩れた者は、自分の崩れを見ろ。

崩れなかった者は、偶然だと思うな。

手順が通った結果だ」


誰も口を開かない。

全員、自分の浮上と停止を思い返しているのが分かった。


「次段階では高度を上げる。

だが今日の課題は、低く飛ぶことではない。

本物の重量と出力の中でも、訓練で積んだ平常を失わないことだ」


その言葉は、実機訓練の始まりとして十分だった。

派手ではない。

だが、ここから先へ進むために必要な一歩だった。


接続が切れ、寝台ではなく格納庫脇の休憩区画で水を受け取る。

今日はナノ接続ではない。

本物の機体に乗った疲れが、そのまま身体に残っていた。

腕。

肩。

背中。

そして目の奥。

全部が少しずつ重い。


レイラが紙杯を持ったまま言う。

「振動が残ります」

「分かる」

「降りた後もしばらく、身体がまだ機体の中にいる感じがします」

「ナノの時とは違うな」

「はい。

あちらは意識が切り替わりますが、こちらは身体ごと乗っていますから」


その違いは大きかった。

ナノでは認識が主だった。

実機では認識に加えて、身体そのものが試される。

風圧も、振動も、重さも、全部が直接来る。


補助教官が前へ出る。

「午後は実機再訓練、ならびに高度二保持と短距離往復を行う。

十分後に集合」


高度二。

短距離往復。

また一段、空が広がる。

だが広がる分だけ、誤差も大きくなる。


カナタは紙杯の水を飲み干し、格納庫の中央に立つ魔導メガネウラを見た。

四枚翅。

細い胴。

青白く脈打つ導管。

最初に見た時と同じ姿のはずなのに、もう違って見える。

遠い憧れではない。

扱いを誤れば、自分の崩れをそのまま空へ出す機体だ。

だからこそ、乗る意味がある。


十分後。

短い休憩の間に、カナタは頭の中で手順をなぞり直した。

搭乗。接続。出力確認。浮上。保持。直進。停止。着地。

ナノで積んだものを、本物の重さの中でやり直す。

それが今日の訓練だった。


離陸より着地を先に考えろ。

その言葉は、格納庫の匂いと振動と一緒に、しばらく身体の中へ残り続けそうだった。

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