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見難い火傷の子  作者: 清風
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395/479

新設飛行学校、魔導メガネウラ救命医療訓練

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子395




新設飛行学校、魔導メガネウラ救命医療訓練




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


北棟訓練室に入った時、ナノ街区の上空はこれまででいちばん複雑に見えた。

崩れた建物群と煙の流れる被災区画はそのまま残っている。

だが今日は、それに加えて搬送地点の先に白い天幕が設けられていた。

簡易野戦医療所を模した区画だろう。

緑の搬送標識はそこへ続き、途中には高度制限、減速指示、安定飛行区間を示す細い光帯が浮かんでいる。

飛ぶだけでも、救うだけでも足りない。

そういう訓練だと、見ただけで分かった。


前に立った匠一が、上空の光帯を見上げたまま言った。


「本日より救命医療訓練に入る」


訓練生たちの空気が静かに締まる。

災害救助訓練の時よりも、声を立てる者はいなかった。

救助の先に何があるか、前回で少しは分かっている。

拾い上げて終わりではない。

運んで終わりでもない。

生きたまま渡すところまでが仕事になる。


「初期課程は搬送中の最低限処置のみ。

要救助者収容、状態確認、優先順位判定、止血または気道確保、安定飛行維持、医療所への引き渡し。

治療は求めない。延命を求める。

引き渡せる状態まで保て」


補助教官が訓練区画を指し示す。

被災区画から搬送地点、そして白い天幕までの経路が一本ではない。

最短経路と、揺れの少ない安定経路が分けて表示されている。

速ければいいわけではない。

そのことが、最初から形になっていた。


「救命は万能ではない」

匠一の声は平坦だった。

「優先順位だ。

全部やろうとする者から間に合わない。

血だけ見るな。呼吸だけ見るな。

一つの異常に引かれて全体を失うな」


誰も動かない。

だが、その言葉は前回よりも重く落ちた。

救助では、まだ“助ける”という形が見えやすかった。

だが医療は違う。

全部を救えないこと、全部はできないことを、最初から認めさせる。


「飛行を崩して処置した者は、処置していないのと同じだ」

匠一は続ける。

「治すな。保て。

生きて渡して初めて救命だ」


その一言で、訓練室はさらに静かになった。

カナタは無意識に息を浅くした。

治すな。保て。

簡単な言葉だが、たぶん実際には難しい。

目の前で苦しんでいるものがいれば、何かしたくなる。

だが、何かしたいことと、今やるべきことは違う。


「組み合わせは記録順。

飛行担当と処置担当を分ける。

一回目は固定、二回目で交代」


補助教官が掲げた記録板に、番号と役割が並ぶ。

カナタは自分の番号を探し、隣にレイラの番号を見つけた。

今回も同じ組だった。

一回目はカナタが飛行担当、レイラが処置担当。


レイラが小さく言う。

「役割が分かれる分、編隊より明確ですね」

「その代わり、片方が崩れたら両方終わる」

「はい。処置が正しくても、飛行が乱れれば意味がない」

「逆も同じだな」

「ええ」


短い会話の中で、もう訓練の形は見えていた。

一人で全部はやらない。

だが、分けたからといって楽になるわけでもない。

相手が何をしているかを消さず、自分の役割を崩さない。


接続が始まる。

意識が沈み、ナノホムンクルスの身体へ切り替わる。

石畳の感触。

空気の軽さ。

そして今日は、搬送機の形が少し違っていた。


小型魔導メガネウラの胴体中央がわずかに広げられ、後部に簡易収容槽が増設されている。

完全な医療機ではない。

だが一名を横たえ、最低限の処置を行うには足りる。

側面には固定帯、止血具、簡易呼吸補助具、状態表示板。

どれも簡素だが、使う順番を間違えれば意味がないことが見て取れた。


補助教官の声が降る。

「初回課題。被災区画より要救助者一名を収容。

搬送中に状態変化あり。

処置担当は優先順位を判断し、必要最低限の処置を実施。

飛行担当は安定飛行区間を維持し、処置可能な揺れに抑える。

最短経路を選んでもよいが、状態悪化時は評価を下げる場合がある」


最短でも、評価が下がる。

その一文が、この訓練の厳しさをよく表していた。


「二十三番、二十四番、前へ」


カナタとレイラが進み出る。

搭乗。

カナタは前席、レイラは後部処置区画へ入る。

視界の端に翅。

前方には被災区画。

後ろには、まだ空の収容槽。


「準備確認」

「二十三番、良し」

「二十四番、良し」


一拍。


「離陸」


機体が浮く。

高度二。

保持。

被災区画へ進入。


救助訓練で使った経路だが、今日は見え方が違った。

回収して終わりではない。

この後、機内で処置が始まる。

ならば進入の時点で、帰りの飛び方まで考えなければならない。

狭いが最短の経路を使うか。

少し遠回りでも揺れの少ない経路を取るか。

判断は、回収前から始まっていた。


要救助者は瓦礫の脇に倒れていた。

今回は吊り上げではなく、低高度停止からの収容。

地上班役の人形が補助し、収容槽へ滑り込ませる。

レイラが固定帯を留める。

その瞬間、状態表示板に赤い光が点いた。


「出血大、意識混濁、呼吸浅い」

レイラが読み上げる。

声は落ち着いている。

「優先は呼吸確認、その後止血」

「了解」

カナタは短く返し、機首を搬送経路へ向けた。


最短経路は右。

狭い路地の上を抜ける。

安定経路は左。

少し長いが、障害物が少なく、減速帯も広い。


一瞬だけ迷う。

だが迷いは長く取れない。

後ろで処置が始まるなら、揺れの少ない方がいい。

カナタは左へ機首を切った。


「安定経路を取る」

「妥当です」

レイラの返答は短い。

その間にも、後部で固定具の音がした。


「呼吸補助具装着。反応遅い」

「揺れは」

「今は許容範囲です。維持してください」


維持してください。

その一言が、飛行担当の役割をはっきりさせた。

速く飛ぶことではない。

処置できる空を保つことだ。


カナタは出力を細かく刻む。

魔導メガネウラは応答が早い。

だからこそ、荒く扱えばすぐ揺れる。

高度を一定に。

加減速を薄く。

旋回は大きく。

前方標識だけでなく、機体の震えそのものを読む。


後ろでレイラの声が続く。

「気道確保。呼吸浅いまま。

止血具準備。固定帯追加」


処置の内容は分かる。

だが振り返らない。

飛行担当が後ろを気にしすぎれば、前を失う。

それでも、後ろの状況を消してはいけない。

声だけで状態を掴む。

前を主に、後ろを副に。

編隊訓練で覚えた認識の配分が、ここでもそのまま使われていた。


搬送の中盤、状態表示板の赤が一段強く点滅した。

レイラの声が少しだけ速くなる。

「出血増加。止血に入ります」

「揺れを減らす」

カナタはさらに出力を薄くした。

速度は落ちる。

だが今はそれでいい。

速さより、処置が通ることの方が優先だ。


「圧迫開始。……反応あり。

もう少し安定を」

「了解」


安定。

言葉にすれば簡単だ。

だが、飛行中の安定は止まることではない。

止まれば遅れる。

急げば揺れる。

その中間を保ち続ける。

それが難しい。


前方に白い天幕が見えてくる。

簡易野戦医療所。

搬送地点まであと少し。

だが、近づいた時ほど気が緩みやすい。

カナタはそこで一度、呼吸を整えた。

最後まで崩さない。

帰投まで終えて救助。

なら、引き渡しまで終えて救命だ。


「状態」

「呼吸浅いままですが維持。止血は通っています。

引き渡し可能」

「了解」


搬送地点へ進入。

減速帯。

高度一。

低高度停止。

地上班役の人形が待機している。

レイラが固定帯を外し、受け渡し準備に入る。

カナタは機体を揺らさないよう、最後の停止を薄く作る。


「受け渡し」


要救助者が地上班へ渡る。

状態表示板の赤が、ようやく点滅から点灯へ変わった。

安定化したという判定なのだろう。


「二十三番、二十四番。課題達成。

経路選定良好。飛行安定良好。処置優先順位良好。飛行時間算入」


記録の声が落ちる。

カナタはそこで初めて、深く息を吐いた。

救助訓練の時とは違う疲れだった。

見たいものに引かれないだけでは足りない。

相手が処置できる空を保つ。

そのために、自分の飛び方を変える。

それが思った以上に難しかった。


着地後、レイラが後部区画から降りてくる。

「安定していました」

「そっちは」

「全部はできませんでした」

「でも優先は通したんだろ」

「はい。呼吸と出血だけです。

他にも気になる表示はありましたが、手を出しませんでした」

「それでいいんだと思う」

レイラは少しだけ目を伏せた。

「分かっています。

でも、見えるとやりたくなります」


その言葉に、カナタは頷いた。

たぶん全員そうなのだ。

見えた異常に手を出したくなる。

だが全部に手を出せば、どれも中途半端になる。

この訓練は、その衝動を抑えるためにある。


次の組が上がる。

一組は最短経路を選んだ。

判断自体は間違いではない。

だが狭い路地の上で減速が細かくなり、後部処置区画が揺れる。

処置担当が止血具を落とし、再装着に手間取った。

搬送は間に合ったが、状態表示板の赤は強いままだった。


「課題一部未達。飛行安定不足。処置遅延」


別の組は、飛行は安定していた。

だが処置担当が表示板の異常を全部追おうとした。

呼吸、出血、固定、意識確認。

順番を詰め込みすぎて、どれも浅くなる。

結果として止血が遅れ、搬送時の状態が悪化した。


「優先順位不良。処置過多」


処置過多。

その評価は、訓練生たちの間に小さな緊張を走らせた。

やりすぎることも失敗になる。

助けたい気持ちが、そのまま正解ではない。


午前の後半、課題は少しだけ変わった。

今度は飛行担当と処置担当を交代する。

カナタが後部、レイラが前席。


搭乗し直し、再び離陸。

今度はカナタが収容槽の横に立つ。

視界が狭い。

前方は見えない。

機体の揺れと、状態表示板と、要救助者の身体だけが世界になる。


収容後、表示板が点く。

「胸部圧迫傷、呼吸不安定、意識あり」

カナタは一瞬、全部を見ようとして、すぐにやめた。

優先順位。

まず呼吸。

その次に固定。

出血は大きくない。

なら後回しでいい。


「呼吸補助に入る」

「了解」

前からレイラの返答。

声は落ち着いている。

飛び方も正確だ。

だが正確だからこそ、わずかな揺れがはっきり分かる。

処置する側に回ると、飛行の質が手に取るように伝わってくる。


「少し揺れる」

カナタが言う。

「減速帯に入る。三呼吸待って」

レイラの返答は早い。

その通り、数秒後に揺れが薄くなる。

処置が通る。


その時、カナタは少しだけ分かった。

飛行担当と処置担当は分かれているが、やっていることは別ではない。

片方が空を作り、片方がその空の中で命を繋ぐ。

どちらかだけでは成立しない。


搬送地点へ着き、引き渡しを終える。


「二十三番、二十四番。課題達成。

役割交代後も良好。飛行・処置連携良好」


記録の声が落ちる。

連携良好。

その評価は、単独飛行や編隊訓練とはまた違う重みがあった。


接続が切れ、寝台の上で身体を起こす。

今日は目よりも、頭の奥が疲れていた。

何を見て、何を捨てるか。

その選別を続ける疲れだった。


レイラも起き上がり、静かに息を吐いた。

「全部やらない方が難しいですね」

「分かる」

「見えると、手を出したくなります」

「でも出しすぎると、優先が遅れる」

「はい。

救命というより、選別の訓練でした」


その言い方に、カナタは少し考えてから頷いた。

たしかにそうだ。

だが冷たい意味ではない。

限られた時間と揺れる空の中で、何を先に守るかを決める。

それはたぶん、命を軽く見るためではなく、繋ぐために必要な厳しさなのだ。


前へ出た匠一が、訓練生たちを見渡す。


「救命医療は、全部を治す技術ではない」

静かな声だった。

「全部を治せると思うな。

全部を拾えると思うな。

限られた時間と手で、引き渡せる状態まで保つ。

それができる者だけが、次を任される」


誰も口を開かない。

その言葉は、訓練のまとめというより、もっと先の現場の現実だった。


「助けたいと思うことは否定しない。

だが、助けたいだけの者は現場で数を減らす。

優先順位を守れ。

手順を守れ。

飛行を守れ。

その上で渡せ」


訓練室は静かだった。

ナノ街区の上空には、白い天幕へ続く光帯がまだ浮かんでいる。

被災区画から医療所へ。

その短い距離の中に、思っていたよりずっと多くの判断が詰まっていた。


補助教官が記録板を持って前へ出る。

「午後は状態変化増加条件下での搬送訓練、ならびに搬送先変更時の経路再選定を行う。

十分後に集合」


搬送先変更。

また一段、難しくなる。

最初に決めた正解が、途中で正解ではなくなる。

そういう訓練だ。


カナタは立ち上がり、上空の光帯を見た。

最短経路。

安定経路。

白い天幕。

そのどれもが、ただの道ではなくなっていた。


飛ぶだけなら、空は広い。

助けるために飛ぶ時、空は狭くなる。

そして生かして渡すために飛ぶ時、空はさらに細くなる。

その細い道の中で、何を優先し、何を捨てず、何を捨てるか。

それを間違えないこと。

たぶんそれが、今の自分たちに求められている。


十分後。

短い休憩の間に、カナタは頭の中で手順をなぞり直した。

収容。確認。優先順位。処置。安定飛行。引き渡し。

全部やらない。

必要なものを落とさない。


治すな。保て。

生きて渡して初めて救命だ。


その言葉は、今日の訓練が終わっても、しばらく頭の中に残り続けそうだった。

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