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見難い火傷の子  作者: 清風
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飛行学校第次期生に残す物

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子391



飛行学校第次期生に残す物




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


飛行学校に、初めての修了式がある、と知ったのは春の終わりだった。

新設校である以上、当然ながら先輩はいなかった。

入学した時から、上の学年は存在しない。

だが開校に先立ち、特別課程として短期集中の速成訓練を受けた者たちがいた。

鉄道国の既存部隊から選抜された、実戦経験のある操縦士たちだ。

彼らは新設校の基礎訓練課程を一年かけて修了し、この春、正式に飛行学校第零期生として課程を終える。

カナタがそのことを知ったのは、掲示板ではなく、廊下の立ち話からだった。

「零期生の修了式、俺たちも出るんだって」

同期の一人が言った。

「出るって、何をするんだ」

「受け取るらしい」

「何を」

「知らん。当日になれば分かるって、教官が言ってた」

それだけだった。

それ以上の情報は、誰も持っていなかった。


修了式の朝は、晴れていた。

講堂ではなく、校庭の中央に全員が集められた。

新入生たちは一列に並び、その向かいには零期生たちが立っている。

実戦経験者たちだ。

年齢も体格もばらばらだったが、立ち方の質が新入生とは違った。

どこかに余計な緊張がない。

訓練の空気を、自分の中に既に持っている者の立ち方だった。

匠一は列の端に立ち、両手を後ろで組んでいる。

式次第の説明はなかった。

始まりを告げる号令もない。

ただ、零期生の一人が列から前に出た。

「渡す、と聞いていたので、用意してきた」

中年の男だった。

背は高くないが、肩の幅が広い。

国境輸送の操縦士だったと、後から聞いた。

彼は懐から一枚の紙を取り出した。

折り畳まれた紙は、何度も開いた痕があった。

「訓練中に書いたものだ。落ちかけた時に書いた」

列の誰も動かなかった。

「落ちる前に気づいたことがある。俺はずっと、自分が何を見ていないかを見ていなかった。

見えているものを数えることに慣れすぎて、見えていないものを数えることをしていなかった」

紙を、最前列の新入生に差し出した。

「読まなくていい。ただ、持っていろ。いつか意味が分かる」

新入生は両手で受け取った。

それが始まりだった。

零期生たちは一人ずつ前に出て、それぞれが何かを持っていた。

紙、布切れ、小さな部品、石、折りたたんだ地図。

どれも立派なものではなかった。

むしろ、使い古され、折れ、擦り切れたものばかりだった。

「着陸を三十七回失敗した時の記録帳だ。失敗の種類が全部違う」

「これは訓練中に拾った羽根だ。風の読み方を初めて体で覚えた日のものだ」

「これは何でもない石だが、一番遠くまで飛んだ日に拾った。

お守りにしたが、効果はなかった。でも持っていた」

「これは地図の切れ端だ。迷った場所の地図だ。正しい地図ではない。

俺が迷いながら書いた地図だ。だから持っていけ」


新入生たちの手に、少しずつ何かが渡されていく。

カナタの前に立ったのは、若い女の操縦士だった。

二十代の半ばくらいだろうか。

右手の甲に古傷がある。

「あなたに渡したいのはこれです」

手の平に乗せられたのは、小さな方位磁針だった。

針が、ぐるぐると回っている。

「壊れています」

「知ってる」

「でも持っていてほしい。訓練の最初の頃、これを見て、

使えないと分かった時から本当の訓練が始まりました。

頼れるものが使えない時に、何で帰るかを考え始めた。

あなたはたぶん、もうそれを知っている」


カナタは壊れた磁針を受け取った。

針は相変わらず、落ち着きなく回っていた。

「二次試験で、これを使った」

「知っています。記録を読みました」


カナタは顔を上げた。

「記録を?」

「零期生は全員、一期生の入試記録を渡されました。後輩を知るために」

その事実を、カナタは初めて知った。

「あなたは迷いの森で、磁針が使えないと分かった時に、立ち止まって周囲を確かめた。

急がなかった。

それが正しかった」

「正しかったかどうかは、今でも分からない」

「そうです」

女の操縦士は頷いた。

「分からないまま帰ってくることが、正しいことです。

確信を持って帰った者より、分からないまま帰った者の方が、次に生きる場合がある」

それだけ言って、彼女は列へ戻った。


レイラの前に立ったのは、年嵩の男だった。

物静かな目をした、地形測量専門の操縦士だと、後で聞いた。

「これを渡す」

差し出されたのは、一冊の手帳だった。

薄い。ほとんど白紙だ。

「中に何かあるんですか」

レイラが尋ねた。

「最初の一ページだけある」

レイラは手帳を開いた。

最初のページには、一行だけ書かれていた。


想定外は、必ず来る。

レイラは少しだけ手帳を見たまま静止した。

「残りは白紙です」

「そうだ」

「なぜ」

「お前が書くためだ」


男は続けた。

「想定外が来るたびに、何が起きたかを書け。想定の外を、記録に変えろ。

そうすれば次は想定の内側に入る。

いつか、手帳が全部埋まる」

レイラは手帳を閉じた。

その手が、少しだけ力を込めているのが見えた。

「ありがとうございます」

「礼はいらない。埋めろ」


全員への引き渡しが終わると、零期生たちは再び一列に戻った。

校庭の静けさの中に、海から来る朝風だけが動いていた。

匠一が前に出た。

「零期生の諸君は今日でこの学校を去る。

次の持ち場へ向かう者、部隊へ戻る者、別の課程へ進む者。

それぞれの行き先は違う。

だが今日渡したものは、諸君の手から離れた」


誰も何も言わなかった。

「一期生」

匠一の視線が、新入生の列に向いた。

「今日渡されたものに、価値があるかどうかは、今は分からない。

いつか分かる。

分かった日に、また誰かへ渡せ。それだけだ」

短かった。

だがその短さが、余計なものを一切含まなかった。


修了式の後、校庭に残った新入生たちは、それぞれ手の中のものを見ていた。

カナタは壊れた磁針を手の平に乗せた。

針は今も、ぐるぐると回っている。

使えない。

最初からそうだった。

だが今は、この壊れた針を見る目が、二次試験の森の中とは少し違う。

あの時は、頼れるものが消えた時の焦りだった。

今は、頼れるものがない時に何を使うかを、一度だけ答えた者の目だった。

まだ一度しか答えていない。


これからも答え続けなければならない。

隣に来たレイラが、手帳を開いていた。

最初のページを、もう一度読んでいる。

「書いたか」

カナタが言うと、レイラは首を振った。

「まだです。何を書けばいいか、今日はまだ分からない」

「想定外が来たら書くんだろ」

「そうです。でも」


レイラは少しだけ間を置いた。

「今日のことは、書くべきか迷っています」

「なんで」

「今日は想定外ではありませんでした。渡し物があることは知っていた。

でも、渡された内容は想定外でした。

どちらで書くべきか」


カナタは少し考えた。

「両方書けばいいんじゃないか」

「……そうですね」

レイラは手帳の最初のページをめくり、二ページ目の白紙の上に何かを書き始めた。

小さい字で、丁寧に、でも速く。

カナタは磁針を上着のポケットに入れた。

革に触れる硬さが、ちゃんと手に返ってくる。


重くはない。

だが、持っている。

校庭のスイセンが、朝風に揺れていた。

零期生たちはもう、それぞれの方角へ歩き出していた。

空はまだ遠い。

だが今日、手の中に増えたものがある。

カナタは校舎の方へ歩き出した。

十分後に、訓練が始まる。


………………………………………………………………………………………………


ヘリポートが完成した翌週、最初の問題が出た。

憑依訓練の課題として、初めてナノ街区内での着陸練習が組まれた。

訓練用の小型魔導機をホムンクルスの手で操作し、ヘリポートへ着陸させる。

設計した時には想定していた課題だった。

だが、実際にやってみると、設計図の上では見えなかったものが次々と現れた。


最初に気づいたのは、風向き旗の位置だった。

「旗が見えない」

着陸進入の角度から旗を確認しようとすると、診療所の屋根がちょうど視界を塞ぐ。

風の向きは分かる。

だが、旗を見て確認しようとした瞬間、目線が外れる。

「設計の時に気づけなかったか」

「着陸進入の視点で確認してなかった。俯瞰で見てたから分からなかった」


誰かを責める声はなかった。

それよりも早く、誰かが紙を取り出して書き始めていた。

「旗の位置を変えるか、高さを変えるか」

「高くすると柵の外から見えすぎる。街区の景観と合わなくなる」

「位置を変えよう。診療所の屋根より手前に出す」

改修に半日かかった。

旗の支柱を二本増やし、三角形の配置にした。

どの進入角度からも、少なくとも一本は見える。

翌週の訓練で確認すると、問題は解消していた。



二度目の改修は、着陸面の素材だった。

訓練を重ねるうちに、着陸面の端が少しずつ擦れてきた。

縮尺の関係で素材が薄く、繰り返しの着陸で角が丸くなっていく。

機能に問題はない。

だが、縁の識別がしにくくなってきた。

「塗装を入れよう」

「何色がいい」

「白と黄色で縁を引く。着陸面の中心にも目印を入れる」

「中心の目印、形は何にする」

少し考えてから、カナタが言った。

「スイセンでいいんじゃないか」

「校章と同じか」

「帰るための場所だから」

誰も反論しなかった。


着陸面の中心に、白いスイセンの意匠が入った。

縁は白と黄色で引かれ、夕方の照明でも識別しやすくなった。

この改修の後、着陸の精度が上がった。

目印があることで、機体の位置を確認する手間が減り、

着陸の最終段階に集中できるようになったからだ。

「作った時より、使いやすくなった」

誰かが言った。

「当たり前だろ。使ってみないと分からないことがある」

「でも作った時には、これで完成だと思ってた」

「完成じゃなかったんだな」

「完成は、使い込んだ後にしか来ないのかもしれない」



三度目は、診療所への通路だった。

緊急着陸を想定した訓練が始まった時、通路の幅がまだ足りないことが分かった。

担架を使う想定での通路幅を、設計段階では「十分広い」と判断していた。

だが実際に担架を通すと、曲がり角で詰まる。

「担架を縦にしたまま曲がれない」

「角度が急すぎる」

「壁を削るか、曲がり方を変えるか」

「壁は削れない。既存の建物に干渉する」

「じゃあ、担架の運び方か」

それは設備の問題ではなく、運用の問題だった。


曲がり角の手前で担架を一度傾け、壁に沿わせてから通す。

二人で運ぶ場合の役割分担を決める。

声の掛け方を決める。

設備を変えるのではなく、使う側が変わった。

「でも、次に設計するなら角を変える」

レイラが手帳に書きながら言った。

「ここに書いておく。次に誰かが改修する時のために」

「それ、考察か」

「使ってみて分かったことです。設計図だけでは伝わらない」

手帳の白紙が、少しずつ埋まっていた。

想定外が来るたびに書く、と言っていた。

その通りになっていた。



四度目の改修は、誘導灯だった。

訓練が夜間想定に移った時、誘導灯の光量が足りないことが分かった。

ナノ街区の照明が落ちた状態では、誘導灯が小さすぎて見えない。

「光量を上げるか」

「魔石を変えれば上げられる」

「でも、昼間は眩しすぎないか」

「調光できるようにする」

これは設計の根本から変える必要があった。

誘導灯の台座を作り直し、魔石の出力を段階的に調整できる機構を入れる。


一番手間のかかった改修だった。

三人が設計を担い、四人が製作を担い、二人が検証を担った。

役割は自然に決まった。

誰かが指示したわけではない。

できる者がやる、という形がいつの間にか定着していた。

完成した調光式誘導灯は、昼間は抑えた光で、夜間は明るく光る。

最初の設計よりずっと複雑になっていたが、使いやすさは段違いだった。

「最初にこれを作ればよかったか」

「最初には作れなかっただろ」

「なんで」

「必要だと分かってなかったから。使ってみて初めて分かった」



修了式まで、改修は結局七度に及んだ。

旗の位置。

着陸面の塗装。

通路の運用方法。

誘導灯の調光。

緊急停止用の手動切断索。

夜間識別のための縁の反射素材。

そして最後に、銘板の位置。

最初に付けた銘板は、着陸面の端にあった。

だが訓練を重ねるうちに、着陸した機体が銘板の上に乗ることがあると分かった。

傷つくわけではないが、見えなくなる。


「場所を変えよう」

「どこがいい」

考えた末に、通路の入口脇に移した。

診療所へ向かう人が必ず通る場所だ。

着陸した後、担架を運ぶ時に目に入る場所だ。

ヘリポートを使い終えた後に見える場所。

帰り道に見える場所。

「ここがいい」

誰も反論しなかった。



修了式の前日、カナタは一人で憑依訓練室に残った。

台座に手を置き、ナノ街区を見渡す。

七度の改修を経たヘリポートは、最初に作ったものとは別物に見えた。

旗は三本になり、着陸面にはスイセンが入り、誘導灯は調光できる。

通路は広くなり、銘板は帰り道に移った。

使い込んで、良くなった。

完成した時には分からなかったことが、使うたびに一つずつ分かった。

そのたびに直し、試し、また直した。

その積み重ねが今ここにある。

翌日に引き渡す時、これは完成品ではないとカナタは思った。

完成しているわけではない。

ただ、今できる最善を尽くした状態で渡す。

次の世代が使い始めれば、また問題が出るだろう。

自分たちが気づかなかった問題が出るだろう。

それでいい。

使えば分かる。

直せばよくなる。

銘板の隣に、小さな余白がある。

最後の改修の時に、カナタが提案して作った余白だった。

「次の世代が何か書き足せるようにしておく」

「何を書くんだ」

「分からない。でも、余白がある方がいい」

レイラは手帳を閉じてから言った。

「それは良い考えです」



修了式の日。

ヘリポートの前に、一期生が並んだ。

二期生はまだ入学していない。

だから今日は誰かに渡すわけではない。

ただ、残していく。

匠一が台座の前に立ち、ナノ街区を見下ろした。

ヘリポートに目を止め、しばらく見た。


「七度改修したな」

「はい」

「なぜ七度だ」

カナタが答えた。

「必要が出るたびに直しました。必要がなければ直しませんでした」

「飾りを足したか」

「足していません」

「使えるか」

「使えます」

匠一は少しだけ黙った。

「銘板の隣に余白がある」

「次の世代のために残しました」

「なぜ余白が必要だと思った」

「自分たちが気づかなかったことを、次の世代が気づくからです。

その時に書き足せる場所がいる」

また、少しだけ黙った。

「よし」

それだけだった。

褒め言葉ではなかった。

だが、よしという言葉は、この場所に似合っていた。



一期生が飛行学校を去る日、ナノ街区のヘリポートは台座の上に静かにあった。

着陸面の中心に白いスイセン。

三本の風向き旗。

調光する誘導灯。

広くなった通路。

帰り道に見える銘板。

そして、余白。

使い古しではなかった。

使い込まれて、良くなったものだった。

次の世代がここに着陸した時、余白に何かを書き足すかもしれない。

あるいは、また別の問題を見つけて、八度目の改修をするかもしれない。

それでいい。

使えるものを渡した。

帰れる場所を残した。

続きは、次の者が作る。

飛行学校の第一期生が残したものは、完成品ではなかった。

完成に向かい続けるものだった。

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