表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見難い火傷の子  作者: 清風
PR
387/503

新設された飛行学校、帰って来ました

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子387




新設された飛行学校、帰って来ました




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


五日目の昼過ぎ。

試験場外縁の空気は、妙に静かだった。


森の前に設けられた簡易の待機所では、数人の監督者が無言で持ち場についている。

戻ってきた受験生の確認、失格者の回収、時刻の記録。

やることは多いはずなのに、そこにある空気は張り詰めていて、余計な声を許さなかった。


森の奥で、枝葉が大きく揺れた。


がさ、がさ、と重たい音が続く。

監督者の一人が顔を上げる。

別の一人は、手元の記録板に視線を落としたまま、時刻を確認する準備をした。


獣か。

それとも受験生か。


次の瞬間、草と枝をかき分けて、一人の影が現れた。


カナタだった。


上着の袖は途中で裂け、裾には泥がこびりついている。

頬には乾いた血が細く筋を引き、手の甲にも浅い擦り傷がいくつも走っていた。

靴は泥を吸って重く、足取りも軽くはない。

それでも、歩みは止まっていなかった。


倒れそうなほど消耗しているわけではない。

だが、余裕があるようにも見えない。

五日という数字の中に、自分をきっちり収めて戻ってきた者の顔だった。


カナタは待機所の前まで来ると、一度だけ息を整えた。

それから監督者へ向き直り、短く告げる。


「帰って来ました」


声は掠れていたが、はっきりしていた。


監督者の一人が時刻を確認し、記録板に何かを書き込む。

別の一人がカナタの全身を見て、怪我の程度を確かめた。


「自力歩行可能。意識清明。重篤な外傷なし」


事務的な確認だった。

労いも賞賛もない。

だが、それでよかった。


ここはそういう場所だ。


カナタは小さく息を吐いた。

その瞬間になってようやく、肩から余計な力が抜ける。


五日目。

間に合った。


順調なら三日。

崩れを見込んでも五日。

そこまでは想定の内側だ。

六日目に入れば失格。

帰れても、それは見積もりを守れなかったということになる。


だからこの帰還は、ただ生きて戻ったというだけではない。

自分で立てた数字を、最後まで現実の中で維持したということだった。


「水を」


言われて、カナタは差し出された水筒を受け取った。

一気には飲まない。

喉を湿らせる程度に含み、少し置いてからもう一口だけ飲む。


その様子を見ていた監督者が、わずかに眉を動かした。


「習っているな」


「……痛い目は見たくないので」


答える声は乾いていた。

だが、冗談を言う余力が少しだけ戻っていた。


待機所の端には、すでに戻っていた受験生が何人か座っていた。

その中には、明らかに途中で回収されたのだと分かる者もいる。


腕を吊った者。

足に固定具を当てられた者。

顔色が悪く、毛布にくるまっている者。

命はある。

だが、試験を続けられる状態ではない。


骨の散る水場を思い出し、カナタは視線を伏せた。


あそこは水場ではなかった。

失格地点だった。


水がある。

それだけで助かった気になる。

だが、見つけたことと使えることは違う。

近づけることと、近づいていいことも違う。


危険を越えた者が強いのではない。

危険を見て、越えない者が残る。


この試験が見ていたのは、たぶんそこだ。


「受験番号」


呼ばれて、カナタは顔を上げた。

番号を告げると、監督者は記録板をめくり、淡々と確認する。


「一次試験での帰還見積もりは五日以内。装備選択との整合性も大きな破綻なし。二次試験、帰還確認」


そこで言葉が一度切れた。


ほんのわずかに間を置いてから、監督者は続ける。


「仮合格」


カナタは瞬きをした。

それだけだった。


飛び上がることも、声を上げることもない。

ただ胸の奥で、張り詰めていたものが少しだけほどける。


仮合格。

まだ終わりではない。

だが、少なくともここで切られはしなかった。


「次の指示があるまで待機」


「はい」


短く答えて、カナタは空いている場所へ腰を下ろした。

座った途端、足の裏から鈍い痛みが上がってくる。

ふくらはぎも重い。

肩も背中も、自分で思っていた以上に固まっていた。


四日目の夜、たき火の前で呟いた言葉を思い出す。


――あと一日か。


あの時は、まだ火の向こうに闇があった。

今は違う。

森の外にいる。

地面は同じように硬いのに、もうそれだけで別の場所みたいだった。


ふと、少し離れたところで別の受験生が戻ってきたらしく、小さなざわめきが起きた。

監督者の声。

担架を運ぶ音。

誰かの押し殺した呻き。


助かったのだろう。

だが、無事ではない。


命は拾われる。

けれど、判断を誤った分だけ削られる。

この試験は、そういう形でできている。


カナタは膝の上で手を組み、静かに息を吐いた。


爆炎パーティなら、こういう時でも散歩帰りみたいに「ただいま」と言うのかもしれない。

帰還を報告ではなく、日常にしてしまうような連中だ。


自分はまだ違う。


「帰って来ました」と言った。

そう言うので精一杯だった。


だが、それでいいとも思う。

今はまだ、帰還を当然にはできない。

だからこそ、数えて、見積もって、外さないように戻ってくるしかない。


いつか。

本当に帰ることを当たり前にできる日が来たなら、その時はもっと別の言葉が口をつくのかもしれない。


だが今はまだ、そこまでではない。


森の奥を見やる。

巨大な枝葉の向こうに広がる青銅の時代は、何も言わずそこにあった。


生きるものすべてが八倍の大きさで存在する世界。

その中で、自分は小さく、未熟で、まだ試される側だ。


それでも帰ってきた。


五日で。

自分の足で。

見積もりを抱えたまま。


カナタは目を閉じ、ほんの短い休息のように呼吸を整える。


次がある。

ここで終わりではない。


だが少なくとも今だけは、帰ってきたという事実を、そのまま受け取ってよかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ