新設された飛行学校、一週間後の二次試験
見難い火傷の子385
新設された飛行学校、一週間後の二次試験
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
一週間は、長いようで短かった。
筆記試験を終えたその日、カナタは自分の答えが良かったのか悪かったのか、最後までよく分からないままだった。
迷いの森で遭難した時に何を持つか。
その装備で何日帰還できると見積もるか。
飛行学校の入学試験とは思えない問いだったが、逆に言えば、あの学校が見ているものは最初からそこにあったのかもしれない。
空を飛ぶ技術だけでは足りない。
危険地帯に出るなら、生きて帰る力が要る。
そう考えれば筋は通る。
だが、受験の場で本当にそんなことを問う学校があるのかと聞かれれば、やはり妙だった。
結果は七日後に掲示すると、試験監督は最後にそう告げた。
通過者には二次試験の案内も送る、と。
その七日後。
カナタは再び、新設された飛行学校の正門前に立っていた。
朝の空気は冷えていたが、門前にはすでに人が集まっている。
前回よりも口数の少ない者が多い。
笑っている者もいないではなかったが、それもどこか上滑りしていた。
筆記を終えた時点で、この学校が普通ではないと、皆うすうす気づいてしまったのだろう。
正門脇の掲示板には、受験番号が縦に並んでいた。
カナタは人の肩越しに目を凝らし、自分の番号を探した。
一段、二段、三段。
思ったより上の方にあったそれを見つけた瞬間、胸の奥で固まっていたものが少しだけほどける。
通っていた。
短く息を吐く。
嬉しい、というより先に、まだ終わっていない、という感覚が来た。
「お、あったか」
すぐ横から声がした。
振り向くと、前回の試験会場で見かけた受験者の一人が、腕を組んだまま掲示板を見上げていた。
年はカナタとそう変わらない。
背は少し高く、日に焼けた顔つきに妙な余裕がある。
「お前も通ったんだな」
「……まあ」
「まあ、って顔じゃないだろ。もっと喜べよ」
そう言う本人も、そこまで嬉しそうには見えなかった。
口元は笑っているが、目が笑っていない。
たぶん、カナタと同じだ。
ここから先の方が厄介だと、もう分かっている。
掲示板の横には、通過者向けの紙が新しく貼り出されていた。
二次試験受験者は、午前第三鐘までに校庭西側の集合場へ集まること。
携行を許可する私物は、事前に指定された範囲に限ること。
試験内容に関する質問には応じないこと。
最後の一文が、やけに目についた。
「感じ悪いな」
隣の受験者がぼそりと言う。
カナタは答えず、貼り紙の下へ視線を落とした。
そこには許可携行品の一覧があった。
水袋一つ。
小刀一本。
火打石。
包帯。
外套。
縄。
乾燥食少量。
方位磁針、またはそれに準ずる方角確認具。
その他、学校側が危険と判断しない範囲の小物。
見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
筆記試験で書かせた内容と、ほとんど同じだった。
ただの想定問題ではなかったのだ。
あれは、二次試験の前提だった。
「……本当にやらせる気か」
今度は、カナタの口から漏れた。
隣の受験者が乾いた笑いをこぼす。
「俺もそう思った。冗談の悪い学校だよな」
冗談ならよかった。
だが、この学校はたぶん冗談でこんなことをしない。
集合場へ向かう受験者たちの足取りは、自然と重くなる。
校舎の裏手を回った先にある西側の広場には、すでに十数人の通過者が集められていた。
前回より人数はかなり減っている。
筆記で落ちた者がそれだけいたのか、それとも最初からここまで絞るつもりだったのか。
広場の前方には、教官らしい大人が三人立っていた。
中央の男は背が高く、灰色の外套を羽織っている。
肩や裾には森の草木を思わせる色の布が縫い込まれていて、遠目には輪郭が妙にぼやけて見えた。
ただ立っているだけなのに、視線を外すと次の瞬間にはそこから消えていそうな気配がある。
男は集まった受験者を一通り見回し、感情の薄い声で言った。
「これより、新設飛行学校第二次試験を行う」
広場の空気が、すっと張る。
「試験場は迷いの森外縁部。受験者は指定地点より入林し、日没前までに帰還せよ」
ざわめきが起きた。
だが男は気にした様子もなく続ける。
「帰還地点は一つではない。森内に設けられた複数の確認所、または出発地点への帰還をもって到達とみなす。詳細は入林前に各自へ通達する」
複数。
つまり、ただ元の場所へ戻ればいいわけでもないらしい。
「試験中、救難信号の使用は認める。使用した時点で失格とする。
また、監督側が帰還不能、あるいは重大な危険状態にあると判断した場合、強制的に救助を行う。この場合も失格とする」
誰かが小さく舌打ちした。
カナタは黙って聞いていた。
予想していたより、ずっと本気だ。
「他受験者への妨害、装備の意図的放棄、指定区域外への侵入は失格。
なお、試験中の行動はすべて記録される」
記録。
どうやって、とは誰も聞かなかった。
聞いても答えないと、貼り紙に書いてあったからだ。
だが、カナタは中央の男の外套をもう一度見た。
森に溶ける色。
輪郭を崩す布。
あれはただの制服ではない。
見られている。
まだ森にも入っていないのに、そんな確信だけが先にあった。
「最後に一つ」
教官の声が落ちる。
「この試験は、速さを競うものではない。
生きて帰るために何を選び、何を捨てるかを見る。
それを履き違える者は、ここで落ちる」
広場が静まり返った。
風が吹き、乾いた草が擦れる。
その音だけが妙に大きく聞こえる。
カナタは無意識に、自分の荷を確かめた。
水袋。
小刀。
火打石。
包帯。
外套。
縄。
乾燥食。
方位磁針。
一週間前、自分で書いた答えが、今はそのまま手の中にある。
あの時は紙の上の話だった。
だが今は違う。
持つ理由も、使う順番も、足りるかどうかも、全部自分で引き受けなければならない。
教官が手を上げる。
「受験番号順に前へ出ろ。試験部屋を割り当てる」
いよいよ始まる。
飛行学校の二次試験。
その部屋が迷いの森へどう繋がるのかは分からない。
だが、もう驚いている暇はなかった。
カナタは列の前へ進みながら、正門前で見た警告板の文を思い出していた。
――迷いの森に入るな。
あれは、部外者への警告だったのだろう。
だが今の自分たちは、まだ森に入ってすらいない。
まともじゃない。
本当に、まともじゃない学校だ。
それでも。
それでもここで落ちるわけにはいかなかった。
受験番号を確認されたあと、カナタは校舎の奥へ通された。
そこには細い廊下がまっすぐ伸び、その片側に小さな扉がいくつも並んでいた。
どの扉にも、白い札で受験番号が貼られている。
人ひとりがようやく入れる程度の幅しかない。
待機室というより、何かを仕分けるための箱のようだった。
無表情な試験官が、受験者たちを見もせずに言う。
「自分の受験番号の扉に入れ。追って指示する」
それだけだった。
カナタは自分の番号が書かれた扉の前で一瞬だけ足を止め、それから取っ手に手をかけた。
扉の並び方そのものが、待機室というより仕分け棚に近かった。
扉は軽く、音もなく開いた。
中は、手を伸ばせば壁に当たるほど狭かった。
椅子がひとつ置かれているだけで、窓も棚もない。
石の壁はひやりと冷たく、扉を閉めた途端、外の気配が嘘のように消えた。
足元には背負い袋が置かれていた。
中を確かめると、水袋、小刀、火打石、包帯、外套、縄、乾燥食、方位磁針。
一週間前、自分が答案用紙に書いたものが、そのまま揃っている。
本当に、あの答えを現実にするつもりなのだ。
カナタは狭い個室の中で、ゆっくり息を吐いた。
壁が近い。
立っているだけで圧迫感がある。
こんな場所で何をさせるつもりなのかと考えた、その時だった。
ふと、甘い香りが鼻先をかすめた。
花のようでもあり、薬草のようでもある。
強い匂いではない。
むしろ淡く、心をほどくような、妙に心地よい香りだった。
緊張でこわばっていた肩から、すっと力が抜ける。
呼吸が深くなり、まぶたが、急に重くなった。
まずい。
そう思った時には、もう遅かった。
視界がゆっくりと揺れ、石壁の輪郭がにじむ。
椅子に手をつこうとした指先からも力が抜けていく。
おかしい。
眠っている場合じゃない。
ここで意識を失うのは――
そこまで考えたところで、意識は暗闇に沈んだ。
次に気がついた時、頬に触れていたのは石の冷たさではなく、湿った土の感触だった。
カナタははっと目を開けた。
薄暗い。
頭上を覆う枝葉の隙間から、鈍い光がまだらに差し込んでいる。
鼻をつくのは土と苔の匂い。
遠くで、鳥とも獣ともつかない鳴き声がした。
跳ね起きる。
背には重みがあった。
背負い袋が、きちんと括りつけられている。
夢ではない。
迷いの森だ。
喉の奥がひやりと冷えた。
立ち上がって周囲を見回しても、見えるのは木、木、木。
人の姿はない。
道らしい道もない。
その時、森のどこか遠くで、低いサイレンが鳴った。
長く、鈍く、腹の底に響く音だった。
カナタはそこでようやく理解した。
二次試験は、あの個室に入った時点で、もう始まっていたのだ。
受験者を眠らせ、位置も分からない森の中へ運び込む。
目が覚めた時には、すでに遭難状態。
一次試験で書かせた答えは、想定ではなかった。
これから自分が置かれる状況を、あらかじめ紙の上で答えさせていたのだ。
カナタは背負い袋から方位磁針を取り出した。
針は落ち着きなく、ぐるぐると回り続けていた。
使えない。
思わず舌打ちしそうになるのをこらえ、カナタは息を吐いた。
ここから帰還する。
それが二次試験か。
冗談みたいな話だった。
だが、冗談では済まない。
カナタは一度だけ深く息を吸い、湿った森の空気を肺に入れた。
まずは、生き残る。
それ以外は、森の中で考えるしかなかった。




