新設された飛行学校への入学を目指す受験生、カナタ
見難い火傷の子384
新設された飛行学校への入学を目指す受験生、カナタ
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
新設された飛行学校への入学を目指す受験生、カナタは、朝の冷えた空気の中を一人で歩いていた。
まだ陽は高くない。
踏み固められた街道の両脇には、丈の低い草と黒ずんだ岩がまばらに続き、その向こうで地平線が白く霞んでいる。
遠く、空の高みを一騎のワイバーンが横切っていった。
思わず、カナタは顔を上げる。
灰青色の翼膜が朝日を受け、金属のような鈍い光を返した。
長い尾が空を裂き、騎乗具の影がその背に小さく見える。
あれに乗る者たちは、既に空を知っている者たちだ。
地上を歩くしかない自分とは違う。
――いや、違わない。
今日を越えれば、自分もあちら側へ行けるかもしれない。
そう思って、肩に掛けた旅嚢の紐を握り直した。
新設された飛行学校。
それは既存の航空戦力を補うためだけの学び舎ではない、と噂されていた。
ワイバーンを駆る技術だけではなく、未だ定まらぬ新しい空の運用を見据えた、実験的な教育機関。
何を育てる学校なのか、何を目指して作られたのか、街では様々な憶測が飛び交っていたが、確かなことが一つだけある。
ここに入れなければ、空には届かない。
街道はゆるやかに上り、やがて石積みの外壁が見えてきた。
その向こうに、訓練塔らしき高い建造物と、巨大な格納舎の屋根がのぞいている。
さらにその奥、朝靄の向こう側に、山のような影がいくつも伏していた。
最初は岩山かと思った。
だが違う。
繋留された大型ワイバーンだ。
喉が鳴る。
カナタは幼い頃から何度もワイバーンを見てきた。
街道の上を飛ぶ伝令騎。
国境へ向かう武装騎。
荷を吊って飛ぶ輸送騎。
空を行く力は、ずっと遠いものだった。
強い者、選ばれた者、あるいは国に必要とされた者だけが持つもの。
だからこそ憧れたし、だからこそ諦めきれなかった。
飛びたい。
その思いだけなら、きっと誰にも負けない。
けれど、願望だけで空に上がれるほど、ワイバーンは優しくない。
空はなおさらだ。
受験案内に記されていた文言を、カナタは何度も思い返していた。
適性試験は、飛行技能の素質のみを問うものではない。
その一文の意味を、彼はまだ正確には理解していない。
だが、ただ操るだけでは足りないのだということだけは分かる。
この学校は、既にある騎手を育てるためだけの場所ではない。
もっと別の何かを見ている。
街道の脇に、傾いた木柱が一本立っていた。
風雨に削られた板が打ちつけられ、黒い塗料で大きく文字が書かれている。
学校へ向かう者への案内板かと思ったが、近づいてみると違った。
警告
この先、危険生物生息域
その下には、箇条書きで短い文が並んでいる。
夜道を行くな
幼獣に近づくな
血のついた荷を晒すな
上を見ずに歩くな
羽音が増えたら伏せろ
死骸を見たら引き返せ
カナタは眉をひそめた。
学校の正門へ続く街道脇に立てるには、妙に物騒な文面だった。
旅人向けの荒野の警告板にしては新しく、板の端には最近打ち直したらしい釘の跡がある。
ただの脅しではないのだろう。
上を見ずに歩くな。
その一文だけが、妙に胸に残った。
獣や虫だけではない。
この土地では、空から来るものにも気をつけろと言っている。
カナタは無意識に空を見上げた。
さっきのワイバーンの影はもうない。
あるのは薄く晴れた朝空と、風に流れる雲だけだ。
それでも、何かに見られているような気がして、背筋の奥がかすかに粟立った。
飛行学校の周辺に、なぜこんな警告板が立っているのか。
ただの学び舎ではないという噂が、胸の奥で少しずつ別の形を取り始める。
空を飛ぶだけでは足りない。
この学校が見ているのは、もっと先だ。
ワイバーンの航空戦力は、すでにこの国にある。
空を駆ける者も、戦う者も、運ぶ者もいる。
それでもなお、新しい学校が必要とされた理由。
その答えの一端が、この荒野の空気の中に滲んでいる気がした。
前方から、受験生らしい少年少女たちの姿が見え始める。
皆、同じ方向へ歩いていた。
緊張した顔で黙々と進む者。
連れと小声で話す者。
新しい外套を着て、場違いなほど胸を張っている者もいる。
カナタは看板から目を離し、再び歩き出した。
門前にはすでに長い列ができていた。
石造りの外壁に囲まれた試験場の前で、受験票を握りしめた少年少女たちが、緊張を隠すように口数少なく並んでいる。
正門脇の受付卓では、濃紺の制服を着た係官たちが淡々と書類を捌いていた。
列の最後尾につき、カナタは胸の前で受験票を握る。
本当にここまで来てしまったのだ、と今さらのように思う。
故郷を出る朝、家族は多くを言わなかった。
無理をするな、とだけ父は言い、母は黙って旅嚢の紐を結び直してくれた。
受かる保証などどこにもない。
新設校ゆえに試験の傾向も読めず、倍率すらはっきりしない。
それでも来たのは、ここを逃せば一生後悔すると思ったからだ。
列が少しずつ進む。
「次、受験番号を確認します」
低く通る声に、列がわずかに動いた。
正門の向こうには、訓練塔、講義棟、格納舎、そして高い観測塔が並んでいた。
どの建物も新しいはずなのに、どこか仮設めいた緊張がある。
完成された学校というより、これから形を決めていくための拠点。
そんな印象だった。
「受験票を」
声をかけられ、カナタははっとして顔を上げた。
受付卓の向こうにいたのは、年若い女性係官だった。
整えられた髪、無駄のない所作、柔らかな声。
だが目だけは驚くほどよく周囲を見ている。
彼女は受験票を受け取ると、名前と番号を一瞬で確認し、脇の帳面に印をつけた。
「カナタさん。試験区分は第一種飛行適性、基礎学科、空間認識、持久判定ですね」
「……はい」
「緊張していますか?」
不意にそう聞かれ、カナタは少しだけ言葉に詰まった。
正直に言えば、している。
喉は乾いているし、手のひらも冷たい。
けれど、ここで弱気な顔を見せたくはなかった。
「少しだけです」
そう答えると、係官はほんのわずかに口元を和らげた。
「それなら大丈夫です。まったく緊張していない人より、たぶん良いです」
受験票のほかに、数枚の書類が返される。
試験会場は整備棟脇の建物二階五号室となっていた。
「門を入って左手の待機棟を抜け、その先です。案内表示に従ってください。試験開始前の私語は控えめに」
「はい」
一礼して、カナタは門をくぐった。
その瞬間、空気が変わった気がした。
外から見えていた以上に、敷地は広い。
石畳の通路の先に訓練棟、講義棟、格納舎、そして高い観測塔が並んでいる。
どの建物も新しいはずなのに、どこか仮設めいた緊張があった。
完成された学校というより、これから形を決めていくための拠点。
そんな印象だった。
受験者の群れが、会場へ向かって次々に吸い込まれていく。
カナタは息を整える。
飛びたい。
その思いは変わらない。
けれど、門へ続くこの道の途中で見た警告板が、胸のどこかに小さな棘のように残っていた。
この先にある空は、ただ憧れるだけで届く場所ではない。
そう思いながら、カナタもまた書類を握りしめ、人の流れの中へ足を踏み入れた。
会場に入ると、整然と机が並べられていた。
机の角には、受験番号と受験者名を書いた紙が貼られている。
カナタは自分の名前を探し、指定された席に着いた。
見回すと、他の受験者たちはすでに何かの冊子を読んでいる。
事前説明か、校則か、それとも試験に関する注意書きか。
気にはなったが、今さら隣を覗き込むわけにもいかない。
やがて監督官が入室し、注意事項が読み上げられた。
続いて筆記試験が配られる。
問題用紙は、開始の合図があるまで伏せておくよう指示された。
カナタもそれに従い、机の上に両手を置いて待つ。
教室の空気が、しんと張りつめた。
「始め」
一斉に紙を返す。
カナタも問題文へ目を落とした。
第一問:迷いの森で遭難。所持品を列挙せよ。
第二問:第一問で挙げた所持品を前提として、帰還可能と見込む日数を理由とともに記せ。
なんだこれ。
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カナタの解答例
第一問
迷いの森で遭難。所持品を列挙せよ。
一、水袋
飲み水の確保は最優先だと思う。森の中に水場があっても、そのまま飲めるとは限らないので、
最初から持てる分は持っておきたい。移動中にも少しずつ飲める。
二、火打石と火口
夜を越すためと、濡れた時に体を温めるために必要。火があれば獣よけや虫よけにもなると思う。
煙を上げれば居場所を知らせることもできる。
三、小刀
枝を削る、紐を切る、食べられるものを処理する、簡単な道具を作るなど使い道が多い。
重すぎず、持っていて損が少ない。
四、丈夫な縄
崖やぬかるみを越える時だけでなく、荷をまとめる、罠ではなく目印を作る、
怪我人がいた場合に固定するなど使える。
森では手が届かない場所に物を引っかける時にも役立つ。
五、布と包帯
怪我をした時の止血や固定に使う。
包帯が足りなければ布を裂いて使える。
火傷や擦り傷でも動けなくなると帰れないので必要。
六、干し肉などの日持ちする食料
空腹で動けなくなるのを防ぐため。
量は多すぎると重いので、数日しのげる程度にする。
腹を満たすためではなく、動く力を切らさないために持つ。
七、方位磁針か方角を見る道具
森では同じ場所を回ることがあると聞く。
帰る方向を見失わないために必要。
太陽が見えない時にも頼れる。
八、外套
寒さと雨を防ぐため。
夜を越す時に体温を奪われるのが危ないと思う。
地面に敷くこともできる。
九、針と糸
服や荷物が破れた時の補修に使う。
怪我の手当てにも使えるかもしれないが、主には装備を保たせるために持つ。
十、紙と炭筆
通った道や見つけた目印を書くため。
焦っている時ほど覚え違いをすると思うので、残せるものがあった方がいい。
森で一番困るのは、帰る方向が分からなくなることと、怪我や寒さで動けなくなることだと思う。
だから武器よりも、水、火、方角、手当てに使える物を優先する。
第二問
第一問で挙げた所持品を前提として、帰還可能と見込む日数を理由とともに記せ。
三日から五日を想定する。
理由は、水と食料を多く持ちすぎると重くなって動けなくなるからだ。
そのため、最初から長期の野営を前提にした準備はしにくいと思う。
持てる量には限りがあるので、無理に森の奥へ進まず、
方角を確かめながら安全な方向へ出ることを優先する。
一日目は現在地の確認と、むやみに動きすぎないことに使う。
日が落ちる前に休める場所を決め、火を確保する。
二日目と三日目で帰る方向を定めて移動する。
もし怪我や悪天候がなければ三日ほどで帰還できる見込みがある。
ただし、迷いの森という名前の通り、普通の森より道に迷いやすいなら、予定通りに進めない可能性が高い。
そのため、余裕を見て五日程度までは耐えられる準備が必要だと思う。
それ以上になると、水と食料が不足し、疲労や判断ミスが増える。
だから長く生き延びることより、早く方角を定めて戻ることを優先する。




