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見難い火傷の子  作者: 清風
364/615

鉄道国物語(密航者のひとりごと)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子364




鉄道国物語(密航者のひとりごと)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。



密航者というものは、隠れるのがうまい人間だと思われている。


それは半分だけ当たっている。

本当にうまいのは、隠れることじゃない。

見つかっても、最初の一瞬だけは「いてもおかしくない者」に見えることだ。

荷運び人夫の顔、補修工の歩き方、寝不足の旅客のうつむき方。

そういうものを借りて、線路の上を少しだけ先へ行く。

密航というのは、姿を消す技じゃない。

他人の当たり前の輪郭を、ほんの少しだけ盗む技だ。


その朝、私は第九東方連絡の荷物車寄りの連結部近くにいた。

正規の切符はない。

通行証もない。

あるのは、荷役夫から買った古い腕章と、煤で汚した上着、

それに「朝の忙しい駅では誰も他人の顔を最後まで見ない」という経験だけだった。

バビロン中央駅から乗り込むのは危ない。

だが、危ない時間帯ほど紛れやすい。

人が多く、怒鳴り声が多く、誰もが自分の荷と時刻だけを気にしている朝なら、

一人くらい余計な人間がいても、すぐには数えられない。


私は最初、荷物車の陰に身を寄せ、発車してから三号車寄りの連結部へ移った。

客席に座るつもりはない。

座れば、そこが自分の場所になる。

場所ができれば、そこから追い出される。

密航者に必要なのは席じゃない。

逃げ道と、見つかったときに一歩だけ遅らせる言い訳だ。


東方国境駅まで行ければよかった。

そこから先は、また別の手を考えるつもりだった。

国境を越えるたびに、やり方は変わる。

変わらないのは、紙を持たない者は、どこへ行っても先に疑われるということだけだ。


私は昔、ちゃんと紙を持っていた。

名前の書かれた札も、通行証も、働き口の証明もあった。

だが戦がひとつ町を焼き、役所がひとつ消え、印を押す人間が死ねば、紙は急に紙切れになる。

それから先は早かった。

昨日まで住民だった者が、今日は流民になる。

明日には不法越境者だ。

人間の身の上というのは、案外、紙より燃えやすい。


列車が平野へ出たころ、私は連結部の隙間から三号車の様子をうかがっていた。

保護対象の子どもがいるという話は、発車前に耳に入っていた。

駅では、隠れている者ほどよく聞く。

聞かなければ、生き延びられないからだ。

保護局の封印札を持った未成年。

そういう客がいる車両は、たいてい面倒が起きる。

だから本当なら近づかないほうがいい。

だが、近づかないと見えないこともある。


最初に気になったのは、商人風の男だった。

発車前には別の位置にいたのに、途中で三号車の窓側へ移っていた。

上着は地味だが、靴だけが妙に新しい。

ああいう男は、旅慣れているように見せるのがうまい。

本当に旅慣れた者は、逆に目立たない。

目立つのは、慣れているふりをしている者だ。


それから、黒い手袋をした人間を一度だけ見た。

三号車と二号車の境あたり、車掌が一号車側へ抜けた少しあとのことだ。

客か、乗務補助か、最初はわからなかった。

黒い手袋は珍しくない。

だが、その手が子どもの席の背に一瞬だけかかったのを見た。

長くは見ていない。

見すぎると、こちらが見られる。

だから私は視線を切った。

そのときは、それだけだった。


しばらくして、車内の空気が変わった。

三号車の扉が半分閉まり、乗務補助が急ぎ足で入っていく。

車掌の声は聞こえないが、動きが変わるとわかる。

何かが起きた。

しかも、ただの忘れ物ではない。

国境前の列車で人の動きが急に静かになるときは、たいてい紙が絡んでいる。


私は反射的に、自分の逃げ道を考えた。

次の停車まであと少し。

だが、そこで飛び降りれば目立つ。

車内確認が始まれば、連結部にいる私は真っ先に怪しまれる。

荷物車へ戻るか、便所脇へ移るか、いっそ客のふりをして空席に紛れるか。

どれもよくない。

密航者にとって最悪なのは、自分とは別の事件で警備が強くなることだ。

自分が原因なら、まだ流れが読める。

他人の事件で現場が固くなると、こちらの予定は全部狂う。


そのとき、三号車の扉の隙間から、小さな声が聞こえた。

「切符が、ない」

子どもの声だった。


私は思わず顔を上げた。

切符がない。

その言葉の重さは、紙を持たない者にはよくわかる。

なくしたのか、盗られたのか、焼かれたのか。

理由はどうでもいい。

国境前で切符がないというだけで、その人間は急に“どこの誰でもない者”に近づく。


私は昔、自分の通行証を検問で破られたことがある。

紙が古い、印が薄い、照会が取れない。

理由はいくつでもつけられる。

兵は命令どおりだったし、役人も規定どおりだった。

だが、規定どおりに紙を失ったあと、人間がどうなるかまでは、誰も面倒を見ない。

だから私は、その子どもの声を聞いたとき、見なかったことにできなかった。


車掌が商人風の男に声をかける。

やり取りは全部は聞こえない。

だが、男の鞄から革の切符入れが出てきたところは見えた。

その瞬間、車内の空気が一段冷えた。

男は何か言い訳をしている。

拾っただけ、たぶんそんなところだろう。

拾っただけで、人の切符が自分の鞄に入るものか。

そう思うが、そういう嘘はいつも、半歩だけ現実に似せてある。


それから、車掌が切符を見て止まった。

焦げ跡でもあったのだろう。

私はそこまでは見えなかったが、男の顔つきと車掌の沈黙でわかった。

ただの盗みでは終わらない。

国境審査を潰すための細工だ。

子ども一人を、国境で“誰でもない者”にするための手つきだ。


私はそのとき、逃げることより先に、黒い手袋のことを思い出した。

商人の男だけではないかもしれない。

だが、今さら車掌に言いに行けば、まず私のほうが捕まる。

「私は密航者ですが、犯人を見ました」と言って信じる者はいない。

信じる前に拘束される。

それはわかっていた。


それでも、何もしないのは嫌だった。

嫌だと思ったのは、その子どもがかわいそうだったからだけではない。

もっと卑しい理由もある。

紙を持たない者が、紙を奪われる場面を見て黙っていたら、

自分がどこまで落ちたのか、あとで言い訳ができなくなる気がしたのだ。


私は連結部から少し移動し、二号車との境の床を見た。

黒い手袋の人間が立っていたあたりだ。

床板の継ぎ目に、何か小さなものが挟まっている。

しゃがむふりをして拾う。

革の切れ端だった。

切符入れの縁か、手袋の当て革か、すぐにはわからない。

だが、焦げた匂いが少しした。


それをどうするか、少し迷った。

持っていれば、見つかったときにこちらが終わる。

捨てれば、何も残らない。

私は結局、三号車の扉脇にある石炭箱の上へ、見えるようで見えすぎない位置に置いた。

車掌か乗務補助が気づけばいい。

気づかなければ、それまでだ。

密航者にできる親切なんて、その程度が限界だった。


やがて車内放送の鐘が鳴り、保安確認が始まった。

私は荷物車寄りへ下がり、息を殺した。

切符と通行証を準備しろという声が、車両をひとつずつ固くしていく。

こうなると、私のような人間には居場所がない。

最初からなかったのだが、ないことがはっきりする。


列車は減速し、国境駅第二線へ入った。

窓の外には警備隊、審査官、保護局員、封鎖柵。

見慣れた光景だ。

見慣れているということは、何度もあちら側に立てなかったということでもある。

私は連結部の陰から、少女が降ろされるのを見た。

泣いてはいなかった。

小さな鞄を抱えたまま、自分の足で降りた。

ああいう歩き方をする子どもは、もう“助けられる側の顔”をしていない。

助けが来ても、まず手順が来ることを知っている歩き方だ。


そのあと、乗務補助が石炭箱の上の革片に気づいたのを見た。

拾い上げ、車掌に渡している。

それで何が変わるかはわからない。

黒い手袋の人間まで辿れるかどうかもわからない。

だが、何も残らないよりはましだと思った。


密航者というものは、隠れるのがうまい人間だと思われている。

それは半分だけ当たっている。

本当は、見つからないように生きるうちに、

誰がどんなふうに“いなかったこと”にされるのかを、嫌でも覚えてしまう人間だ。

あの朝、私は結局、自分の身を守ることしかできなかった。

それでも、子ども一人の切符が奪われる手つきを見て、

せめて何かひとつくらいは線路の上に残しておきたかった。

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