鉄道国物語(利用客のひとりごと)
見難い火傷の子363
鉄道国物語(利用客のひとりごと)
深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
利用客というものは、列車に乗るだけの人間だと思われている。
それはだいたいそのとおりだ。
金を払い、切符を持ち、席に座り、目的地まで運ばれる。
線路がどこを通り、誰が信号を切り替え、どの規定で国境を越えるかなんて、
たいていの客は知らないし、知らなくても困らない。
困るのは、列車が止まったときだけだ。
その朝、私は第九東方連絡の二号車に乗っていた。
東方国境駅まで行き、そこから先の市で古い測量器具を受け取る予定だった。
商売というほど大きな話ではない。
壊れた水路の勾配を見直すための器具で、遅れれば困るが、死ぬほどではない。
そういう用事で列車に乗るとき、人は自分を善良な客だと思いがちだ。
私もそうだった。
バビロン中央駅の朝は、いつも煤と湯気と人いきれで白い。
荷運び人夫が怒鳴り、売り子がまだ眠そうな声で茶を売り、
郵便吏が封印袋を数え、兵役帰りらしい若者が欠伸を噛み殺している。
私は二号車の窓側に席を取り、鞄を膝に置き、発車前のざわめきをぼんやり聞いていた。
列車に乗るときの私は、だいたい何も見ていない。
見ているつもりで、自分の用事のことしか考えていない。
発車してしばらくは、いつもの東方線だった。
市街を抜け、平野へ出る。
乾いた土、灌漑水路、遠くの低い丘。
客たちもそれぞれの朝をしていた。
向かいの席の巡礼風の男は数珠を繰り、通路側の母親は子どもに固いパンをちぎって渡し、
斜め前の役人風の男は書類を開いたまま舟をこいでいた。
私は窓に映る自分の顔を見て、寝不足だなと思っていた。
その程度の朝だった。
最初に異変を感じたのは、車掌が三号車へ入っていったあと、なかなか戻ってこなかったときだ。
車掌というのは、普段はいるのかいないのかわからないくらい静かに車内を通る。
だが、長く同じ場所に留まるときは、たいてい何かある。
しかもそのあと、乗務補助らしい男が三号車のほうへ急いでいった。
二号車の客たちは、誰も何も言わなかった。
言わなかったが、耳だけはそちらへ向いていた。
やがて、三号車との境の扉が半分だけ閉められた。
それで車内の空気が変わった。
国境へ向かう列車では、扉の閉まり方ひとつで客の顔つきが変わる。
誰かが小声で「検札か」と言い、別の誰かが「密航者じゃないか」と返した。
私はそのとき初めて、自分の上着の内ポケットに切符があるのを指で確かめた。
そういうものだ。
他人の不運の気配を感じると、人はまず自分の紙を探す。
しばらくして、車掌が二号車へ戻ってきた。
顔色は変わっていない。
だが、変わっていないこと自体が、かえって何か起きている証拠に見えた。
ああいう仕事の人は、顔に出さないようにしているときほど、もう決めている。
「お客様、切符と通行証をお手元にご準備ください」
そう言われた瞬間、車内の全員が少しだけ固くなった。
まだ国境駅ではない。
それなのに再確認が入る。
それだけで、ただの遅れでは済まないとわかる。
巡礼風の男は数珠を止め、母親は子どもの口元のパン屑を乱暴に拭い、
役人風の男はようやく目を覚ました。
私も切符を出した。
紙はちゃんとある。
印字も読める。
それなのに、持っている手が少し汗ばんでいた。
人間というのは妙なもので、自分の切符があると確認したあとでも、
安心するより先に、切符のない誰かのことを考える。
いや、正確には違う。
考えるのではなく、考えないようにする。
そのほうが楽だからだ。
列車の中では、他人の事情に深入りしないのが礼儀だと、みんな半分本気で信じている。
残り半分は、面倒を避けたいだけだ。
私は三号車のほうを見た。
扉の小窓越しに、座席のあいだに立つ車掌の肩と、警戒した顔の乗務補助が見える。
その向こう、窓際に小さな影がひとつあった。
子どもだとわかったのは、その影が大人たちの肘や肩よりずっと低い位置にあったからだ。
泣いている様子はない。
騒いでもいない。
それがかえって気になった。
子どもが騒がないときは、たいてい周りの大人のほうが勝手に意味をつける。
「何があったんでしょうね」
向かいの巡礼風の男が、私にではなく、空気に向かって言った。
私は肩をすくめた。
「さあ」
「保護局の子じゃないかという話です」
「どこで聞いたんです」
「聞こえたんですよ。聞こえるように言ってる人がいる」
そういうことはある。
列車の噂は、誰かが広めるというより、誰かが拾いやすい形で落とす。
密航者、偽造旅券、保護対象、盗難。
言葉だけが先に歩き、事情はいつも後ろから来る。
私はそれ以上、話を続けなかった。
続ければ、自分もその噂の一部になる気がした。
やがて列車は速度を少し落とした。
窓の外の土は赤みを増し、遠くに国境駅の給水塔が見えはじめる。
そのころには、車内の誰もが自分の切符を一度は触っていたと思う。
見せろと言われる前に出している者、懐の位置を何度も確かめる者、
連れの分まで数え直す母親。
誰も口にはしないが、みんな知っている。
切符はただの紙じゃない。
なくした瞬間に、客は客でなくなる。
車内放送用の鐘が鳴った。
車掌の声が響く。
保安確認のため、一時的な車内確認を実施する。
切符および通行証を準備し、係員の指示に従うこと。
文句を言う者はいなかった。
顔をしかめる者はいた。
だが本気で逆らう者はいない。
国境前の列車でそれをやる意味を、みな知っているからだ。
私はまた三号車のほうを見た。
今度は扉が少し開き、その隙間から商人風の男の横顔が見えた。
上着は地味だが、靴だけが妙に新しい。
誰かに挟まれて立っている。
怒っている顔だった。
困っている顔ではない。
私はその顔を見て、ああ、この人は自分が止められたことに腹を立てているのだなと思った。
何をしたかではなく、誰に止められたかに腹を立てる顔というのがある。
そのすぐ近く、窓際にいた子どもが少しだけ見えた。
小さな鞄を抱えていた。
こちらを見ているのか、窓の外を見ているのかはわからない。
ただ、じっとしていた。
あの静かさは、子どもの静かさではなかった。
大人が勝手に騒ぐあいだ、先に黙ることを覚えた者の静かさだった。
私はそのとき、ひどく居心地が悪くなった。
何もしていないのに、何かを見て見ぬふりしている気がしたからだ。
だが、では何をするのかと問われれば、何もできない。
私はただの利用客で、切符を持ち、席に座り、目的地へ運ばれるだけの人間だ。
そう思えば楽だった。
楽だが、その楽さはたぶん、誰かが面倒を引き受けてくれている上に成り立っている。
列車は国境駅第二線へ入った。
ホームには警備隊、審査官、保護局員が並び、封鎖柵まで出ていた。
そこまで見えたとき、二号車の空気は完全に変わった。
誰も大声を出さない。
誰も立ち上がらない。
ただ、自分の切符を持つ手だけが少し強くなる。
他人の不運を見ているとき、人は静かになる。
静かになって、自分は違う側にいると確かめたがる。
停車してしばらくしてから、私は窓越しに、少女がホームへ降りるのを見た。
保護局員が左右につき、抱えずに歩かせている。
それはたぶん、丁寧な扱いなのだろう。
だが、丁寧であることと、やさしいことは違う。
少女は泣いていなかった。
助けを求める顔でもなかった。
もう何かが遅いと知っている者の顔だった。
その顔を見たとき、私は自分の切符を握っている手を、少しだけ恥ずかしく思った。
持っている者の手だ。
通れる者の手だ。
止められていない者の手だ。
それだけのことで、こちら側に立っていると思っていた。
利用客というものは、列車に乗るだけの人間だと思われている。
それはだいたいそのとおりだ。
だが本当は、列車が止まったとき、自分がどちら側の沈黙に立つのかを試される人間でもある。
あの朝の私は、結局何もしなかった。
ただ、自分の切符を確かめ、窓越しに子どもを見ていただけだ。
それでも、その静かな目だけは、目的地に着いたあとも長く頭から離れなかった。




