↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
見難い火傷の子  作者: 清風
362/624

鉄道国物語(警備兵のひとりごと)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子362




鉄道国物語(警備兵のひとりごと)




深淵ダンジョン第十六エリア/第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。



警備兵という仕事は、人を捕まえる仕事だと思われている。


それも間違いではない。

だが実際には、捕まえるより先に、崩れない順番を守る仕事だ。

誰を先に止め、誰を後ろへ下げ、どこで手を出さず、どこで初めて手を出すか。

その順番を間違えると、ただの確認が騒擾になり、ただの拘束が暴力になる。

国境駅の警備というのは、そういう細い線の上に立つ仕事だ。


その朝、私は東方国境駅の警備隊詰所で、夜勤明けの兵から引継ぎを受けていた。

詰所の机には冷めた茶と、昨夜の巡回記録、

それにまだ封の切られていない乾パンの袋が置かれていた。

窓の外は白みはじめていたが、構内灯はまだ消えていない。

こういう時間の駅は、静かなくせに油断ができない。

人間は眠いときほど、余計なことをする。


分隊長が入ってきたのは、私が革手袋の縫い目を確かめていたときだった。

背の高い男で、朝でも襟元まできっちり留めている。

あの人は命令を短く言う。

短い命令ほど、面倒な朝だ。


「第二線待機。第九東方連絡、緊急対応三」

「理由は」

「保護対象未成年。切符紛失、のち第三者所持。焼損あり」

「拘束対象は」

「現時点で一名。商人風の男。共犯の可能性あり」

「武装は」

「不明。だから先に抜くな」


私は返事をして立ち上がった。

緊急対応三。

国境駅でその言葉が出ると、空気の硬さが一段変わる。

列車事故でも火災でもない。

もっと静かで、もっと面倒な種類の異常だ。

紙一枚、印ひとつ、供述ひとつで、人間の立場がひっくり返る。

そういう朝に兵が呼ばれる。


第二線へ出ると、駅員たちが封鎖柵を据え、審査官が書類箱を抱えて並び、

保護局員が小声で確認をしていた。

駅長はホームの中央で腕を組み、停止位置を見ている。

あの人は兵隊に余計なことをさせない。

それだけで、こちらとしてはやりやすい。


分隊長が配置を決める。

「扉が開いても、先に入るのは審査官と保護局だ。

俺たちは後ろから締める。

対象が暴れない限り、ホームで拘束具は使うな。

見物人を寄せるな。

線路側へ逃げたら二名で追え。

単独で走るな」

「了解」

「それと」

分隊長は少しだけ声を落とした。

「相手が子どもでも、先に触るな。保護局の手順を待て」

「了解」


子ども相手の案件は嫌いだ。

兵隊の手は、だいたい大きすぎる。

押さえるための手であって、安心させるための手ではない。

だから順番がいる。

順番があるうちは、まだ現場は壊れていない。


遠くで汽笛が鳴った。

第九東方連絡が平野の向こうから近づいてくる。

蒸気の白い尾が朝の空に細く伸び、その下を黒い機関車が引いてくる。

定刻に近い。

緊急対応三を抱えた列車が定刻で来るというのは、

運転士も車掌も持ちこたえているということだ。

現場が崩れるときは、たいてい列車より先に人間の声が崩れる。


列車が第二線へ入る。

ブレーキの鳴き、連結器のきしみ、蒸気の吐息。

私は三号車の扉脇に立ち、乗降段を見た。

窓の向こうには、こちらを見ている客と、見ないふりをしている客がいる。

どちらも珍しくない。

国境前では、人はだいたいその二つに分かれる。


車掌が先に降りてきた。

顔色は悪くない。

帽子も曲がっていない。

ああいう人間が前にいると、兵は余計な力を使わずに済む。

次に審査官と保護局員が乗り込み、こちらは一歩遅れて扉の外を固める。

順番どおりだ。

順番どおりなら、まだ大丈夫だ。


しばらくして、商人風の男が降ろされた。

四十前後、上着は地味だが手入れがいい。

靴だけが妙に新しい。

両脇をこちらで挟んだが、拘束具はまだ使わない。

男は腹を立てた顔をしていた。

怯えている顔ではない。

こういう顔の者は、自分が何をしたかより、誰に止められたかを気にする。


「こちらへ」

私が言うと、男は鼻で笑った。

「大げさだな」

「そう思うなら静かに歩け」

「子どもの切符一枚で兵隊まで出すのか」

私は答えなかった。

答える義務がないときは、黙っているほうがいい。

兵隊が言葉を足すと、たいていろくなことにならない。


男を所定位置に立たせ、視線だけで手元と足元を見る。

武器らしい膨らみはない。

だが、慣れている。

こういう手合いは、刃物より先に口で時間を稼ぐ。

時間を稼げば、誰かが焦る。

誰かが焦れば、順番が崩れる。

順番が崩れたところで、自分だけ被害者の顔をする。

何度か見たやり口だった。


それから、少女が降りてきた。

保護局員が左右につき、抱えず、自分の足で降ろしている。

それはよかった。

抱えられると、見物人はすぐに“弱い者が連れていかれる場面”として覚える。

自分で歩いていれば、まだ手続きの形を保てる。


少女は小さな鞄を胸の前で抱えていた。

泣いてはいなかった。

震えてもいない。

ただ、ホームへ降りたとき、一度だけ周囲を見た。

逃げ道を探す目ではなかった。

どこへ連れていかれるかを先に測る目だった。


私はそういう目を知っている。

戦のあとの検問所で、村ごと移された者たちの中に、たまにいた。

大人が怒鳴り、子どもが泣くなかで、何も言わずに兵の立ち位置だけ見ている者。

ああいう者は、怖がっていないのではない。

怖がるより先に、怖いことが起きる順番を覚えてしまっている。


保護局員が少女に何かを尋ね、審査官が書類を開く。

車掌が横で短く説明している。

私は少し離れた位置から、男と見物人の両方を見ていた。

兵隊の目は二つしかないが、現場では四つ分くらい働かせる必要がある。


「黒い手袋の人、だそうです」


近くで保護局員がそう言うのが聞こえた。

私はそちらを見た。

少女が何か話したらしい。

黒い手袋。

この朝、こちらの隊で黒手袋を使っている者はいない。

駅員も審査官も、今見える範囲にはいない。

なら列車内か、乗車前か、あるいは別の車両か。

ひとつ言えるのは、商人の男だけで終わらない可能性があるということだった。


分隊長もそれを聞いたらしく、私に目配せした。

私は小さくうなずいた。

男の単独犯と決めつけるには早い。

だが、だからといって今ここで網を広げすぎれば、列車全体が騒ぐ。

騒げば、本当に見たいものが見えなくなる。

兵隊の仕事は、全部を捕まえることではない。

まず崩さないことだ。


見物人の一人が縄の近くまで寄ってきたので、私は一歩前へ出た。

「下がれ」

それだけ言う。

相手は文句を言いかけて、やめた。

制服というのは便利だ。

中身が立派だからではない。

相手が勝手に意味を見てくれるからだ。


しばらくして、商人の男は別室へ回されることになった。

私はもう一人と一緒にその脇についた。

男は歩きながら言った。

「俺は拾っただけだ」

「そうか」

「証拠もないくせに」

「それを決めるのはお前じゃない」

「兵隊のくせに賢そうなことを言う」

私は少しだけ笑った。

「兵隊だから順番を気にするんだ」


男はそれきり黙った。

黙らせたかったわけではない。

ただ、余計な言葉を増やさせないほうが、現場は長持ちする。


別室の前で引き渡しを終え、私はもう一度ホームへ戻った。

第二線にはまだ蒸気の匂いが残り、封鎖柵の向こうで駅員が見物人を散らしている。

少女は保護局員と審査官に囲まれ、椅子に座らされていた。

小さな鞄はまだ手放していない。

ああいう持ち方をする者は、荷物を持っているのではない。

自分の残りを抱えているのだ。


警備兵という仕事は、人を捕まえる仕事だと思われている。

それも間違いではない。

だが本当は、誰かを“危険だから”という一言で乱暴に扱ってしまわないために、

崩れない順番を守り続ける仕事なのだ。

その朝、私たちが囲んでいたのは犯人だけではなかった。

子ども一人の行き先を、誰かの都合で勝手に消させないための、

ぎりぎりの手順そのものだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。