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見難い火傷の子  作者: 清風
353/641

匠一の研究公開試験(内々の公開)

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子353




匠一の研究公開試験(内々の公開)




深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


研究棟の前室は、朝だというのに妙に薄暗く感じられた。

窓はある。

灯りも足りている。

だが、そこに集まった面々が皆、声を潜めているせいで、空気そのものが沈んでいるようだった。


長机の上には記録板が並び、封蝋の押された書類束が端に寄せられている。

壁際には執事オートマタ、ヴァレットとレギスが二体、無駄のない姿勢で待機していた。

扉の向こう、さらに奥が試験区画だ。

今日行われるのは公表前の確認試験。

名目は内々の公開。

だが実際には、見せる相手を極限まで絞った、ほとんど身内だけの立会いだった。


匠一は机の端に立ち、最後の名簿を見ていた。

爆炎パーティの面々。

ギルド長ヨイショ。

オルディス校長。

被験者セリア。

補助要員としてのオートマタ。


それだけだ。


「……工場長夫妻は呼ばないのか?」


最初に口を開いたのは、ダンだった。

軽い調子で言ったつもりなのだろうが、その場では妙に響いた。


匠一は名簿から目を離さずに答えた。


「呼ばない」


「信用してないってわけじゃないだろ」


「してるよ」


即答だった。

あまりに迷いがなかったので、問い返した側が逆に言葉を失う。


匠一はそこでようやく顔を上げた。


「信用してるのと、見せるのは別だ」


ヨイショが腕を組む。


「余所の国民だからか」


「それもある」


匠一は否定しなかった。


「でも、それだけじゃない。知っているだけで危険になることがある」


オルディスが静かに眉を上げる。


「ほう」


「この研究は、知れば終わりじゃありません。

知った時点で、その人の立場が変わる。

聞かれた時に黙るか、誤魔化すか、誰かを切るかを迫られるかもしれない。

狙われるかもしれないし、疑われるかもしれない。

だから必要のない人には持たせない」


キールが、苦い顔で鼻を鳴らした。


「知らない方が安全、ってことか」


「そうだ」


匠一は短くうなずく。


「知らなければ、問われても答えようがない。それはその人を守る」


ヨイショが低く言う。


「ずいぶん冷たいな」


「冷たく見えるのは分かってます」


匠一の声は静かだった。


「でも、機密は裏切りで漏れるとは限らない。

慣れとか、善意とか、気の緩みで漏れる。

だから守る癖が要るし、最初から背負わせない癖も要る」


オルディスが小さく息をついた。


「“ここだけの話”を軽く口にする者を遠ざけるのと同じですな」


「ええ。秘密を軽く扱う人は、悪人じゃなくても危ない。

でも本当に危ないのは、その人自身でもあるんです。

知ってしまえば、その人も巻き込まれる」


しばし沈黙が落ちた。


やがてダンが肩をすくめる。


「仲間外れじゃなくて、最初から背負わせないってことなら、まあ分かる」


「そういうことです」


匠一は名簿を閉じた。


「今日ここにいるのは、見せる必要がある人だけです」


その言葉で、前室の空気がさらに引き締まった。


ヴァレットが一歩進み出る。


「セリア、待機区画より移動完了。試験室前にて待機中です」


「通して」


扉が静かに開いた。


入ってきたのは、店で働いている人化ハーピーの一人だった。

ハーピーエアロバティックスの演者ではない。

高い飛行能力よりも、地上での安定行動と指示への追従性に優れた個体。

普段なら高級店の制服に身を包み、客からは人間の店員としか見られていない娘だ。

今日は簡素な試験衣を着ているせいで、かえって年若さが目立った。


セリアは室内を見回し、少しだけ喉を鳴らしてから一礼した。


「おはようございます」


「おはよう」


匠一は答えたが、声はいつもより少し硬かった。


オルディスがセリアを見て、目を細める。


「この方がセリアですかな」


「はい」


匠一が答える前に、ヨイショが感心したように言った。


「言われなきゃ分からんな」


セリアはその言葉に、ほんの少しだけ困ったように笑った。

嬉しいのか、複雑なのか、外からは判別しにくい笑みだった。


匠一は記録板をヴァレットから受け取る。


「体調は」


「大丈夫です。少し緊張してますけど」


「逃げたいほど?」


「……そこまでは」


「なら十分」


短いやり取りだったが、それで少しだけ場が落ち着いた。


ダンが、セリアに向かって軽く手を上げる。


「無理はするなよ」


「はい」


「気分が悪くなったらすぐ言え」


「はい」


「怖かったら中止でもいい」


そこまで言われて、セリアは少しだけ目を丸くしたあと、ふっと笑った。


「皆さん、思ったより優しいんですね」


「思ったよりって何だ」


「怖い人たちかと」


「失礼だな」


そのやり取りに、わずかに空気が緩む。

だが匠一はその緩みを長くは許さなかった。


「試験室に入ります」


全員の表情が戻る。


試験室は白く整えられていた。

中央を広く空け、その両端に二基の枠状構造が据えられている。

扉ではない。

門でもない。

だが、そこには確かに境界があった。


片方は試験用入口。

もう片方は試験用出口。

同じ室内に設置されているが、両者の間には人が普通に歩けばそれなりの時間を要するだけの距離がある。

物理的には離れている。

だが接続が成立している間に限り、その間の距離は零として扱われる。

逆方向もまた同じだ。

移動しているのではない。

離れているはずの二点が、境界面に限って隣接している。

匠一が作ろうとしているのは、そういう通路だった。


壁際には記録用の魔導板。

床には幾重にも安全術式が刻まれている。

派手さはない。

だが、ここにあるものはどれも匠一が積み上げてきた試行錯誤の塊だった。


セリアが入口枠の前に立つ。

ヴァレットが足元の位置を微調整し、袖口の留め具を確認する。

レギスは出口枠の脇に回り、出現位置と安全域を最終確認した。

匠一は補助装置の前に立ち、各系統の数値を順に見た。


「位相固定値」


「正常」


「境界面安定率」


「許容範囲内」


「接続同期率」


「基準値到達」


オルディスが低く問う。


「これは、どこまでを見る試験なのですかな」


匠一は視線を数値から外さずに答えた。


「門を開く試験じゃありません。

接続された二点の距離を零として維持できるか、その再現性を見る試験です。

個人の勘や偶然じゃなく、一定条件下で同じ出口へ通せるかを見る」


ヨイショが眉をひそめる。


「つまり、一方に入って、決めたもう一方から出てくる。それを安定してやれるかってことか」


「そうです」


「成功したら厄介だな」


「失敗しても厄介ですよ」


匠一の返答に、誰も笑わなかった。


セリアが入口枠の前に立つ。

枠の内側には何もない。

だが、向こうの景色だけがわずかに揺らいで見えた。

熱気の上に立つ蜃気楼にも似ていたが、もっと静かで、もっと薄い。

空気の膜。

あるいは次元の壁。

そんなものが、そこに常在していた。


匠一は一度だけ深く息を吸う。


「開始します」


低い駆動音が室内に満ちる。

補助装置の光が順に点り、魔導板に数値が流れ始めた。


「第一段階、接続同期開始。位相反応、安定。境界面揺らぎ、許容範囲。固定負荷、軽度上昇」


入口枠の内側の空気が、ほんのわずかに歪む。

だがそれは門が開くような派手な変化ではなかった。

もともとそこにあった境界が、通過可能な状態へ整えられていく。

そんな静かな変化だった。


ダンが思わず一歩踏み出しかけ、隣にいた仲間に袖を引かれて止まった。


「まだだ」


小声の制止。


匠一は続ける。


「第二段階へ移行。距離零化、固定補助展開。出口座標、再計測」


光が一段強くなる。

空気が張り詰めた。

入口枠の向こう側が、ほんのわずかに遠近感を失う。

奥行きが消えたのではない。

奥行きの意味だけが、そこから抜け落ちたような違和感だった。


同時に、室内の反対側にある出口枠の内側にも、同じ揺らぎが立つ。

離れているはずの二つの境界が、今この瞬間だけ、互いに隣り合っている。

そうとしか思えない気配が、試験室全体に満ちた。


オルディスが息を呑む。

ヨイショは腕を組んだまま、目だけを細める。

爆炎パーティの面々は、普段の軽口を完全に失っていた。


匠一の指が記録板の上を走る。


「固定値、維持。境界面安定率、上昇。同期率……」


一瞬、数値が跳ねた。


室内の空気が凍る。


入口枠の揺らぎがぴくりと乱れた。

ヴァレットが即座に補助術式の待機状態へ移る。

出口側ではレギスが一歩だけ姿勢を低くし、出現補助の構えを取った。


匠一は数値を見たまま、低く言う。


「慌てなくていい。補正域内だ」


自分に言い聞かせるような声だった。


数秒。

あるいは十数秒。

誰にも正確な時間感覚はなかった。


やがて数値の揺れが収束する。


「……固定、安定」


匠一の声が、今度ははっきりと響いた。


光がゆっくりと落ちていく。

駆動音も静まる。

最後に二つの枠の内側の揺らぎだけが、静かな膜のように残った。


匠一はセリアを見る。


「行けますか」


セリアは入口枠を見つめ、それから小さくうなずいた。


「はい」


「向こうへ歩いてください。

走らなくていい。

止まらなくていい。

いつも通り、一歩ずつ」


「はい」


セリアは息を整え、入口枠へ向かって歩き出した。

一歩。

二歩。

三歩。


境界面の直前で、ほんのわずかに足が止まりかける。

だがセリアはそのまま踏み込んだ。


水に入るような抵抗はなかった。

壁を抜けるような衝撃もなかった。

ただ、空気の密度が一瞬だけ変わったように見えた。


次の瞬間、セリアの姿は入口側から消えた。


ダンが息を呑む。

オルディスの指先がぴくりと動く。

ヨイショは黙ったまま、室内の反対側へ視線を走らせた。


そして、ほとんど間を置かず。


離れた出口枠の内側で空気が揺れ、セリアがそのままの歩調で現れた。


止まって現れたのではない。

転がり出たのでもない。

入口へ踏み込む直前の一歩の続きが、そのまま出口から出た後の一歩になっていた。

まるで室内の長い距離だけが、そこから切り取られて消えたかのようだった。


レギスが即座に一歩寄る。


「出現安定。転倒なし」


セリアは二歩、三歩と進んでから、ようやく振り返った。

自分が出てきた出口枠と、遠く離れた入口枠を見比べる。

その目が大きく見開かれた。


「……え」


それは演技ではなかった。

自分で歩いた。

その感覚はある。

だが、間を移動した感覚だけがない。

その食い違いが、彼女自身の驚きとして顔に出ていた。


「気分は」


匠一が問う。


セリアはまだ少し呆然としたまま答える。


「少し、耳が変な感じはします。

でも……ちゃんと歩いたはずなのに、間がありませんでした」


オルディスが思わず前へ出る。


「本当に、同じ歩みのまま……」


ヨイショが低く言う。


「見間違いじゃないな」


ダンが出口側と入口側を見比べ、乾いた息を吐いた。


「消えて、出た、じゃない。

繋がってやがる」


匠一は記録板を見下ろした。

一度確認する。

もう一度確認する。

別系統の記録も照合する。


誰も急かさない。

急かせる空気ではなかった。


やがて匠一は顔を上げた。


「初めから想定していた閾値内で推移。

接続の乱れは一回、補正域内で収束。

距離零化、維持成功。

出口座標、固定達成。

再現性条件も満たした」


オルディスが静かに問う。


「つまり」


匠一は短く息を吐いた。


「……ゲート試験成功だな。」

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