空の役目
見難い火傷の子352
空の役目
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
ざわめきは、期待と疑いが半分ずつだった。
匠一の「お前たち三十羽にできることも含めてな」という一言で、群れの空気は確かに変わった。
だが、さっきまで不満をぶつけていた相手の言葉を、そう簡単に全面信用できるほど単純でもない。
「で、何?」
「今さら雑用とか言わないよね」
「危ないから駄目、でも役目もない、だったら怒るけど」
「もう怒ってるでしょ、十分」
あちこちから飛ぶ声に、匠一は軽く肩をすくめた。
「雑用を頼むつもりはない」
「じゃあ何」
「先に言っておくが、モルペーたちの代わりをさせる話でもない」
「……ふうん」
その一言で、群れの反応が少し変わる。
露骨に身構えていた何羽かの羽先が、わずかに下がった。
匠一は続けた。
「モルペーたちはモルペーたちで、深淵ダンジョン内のバビロンで役割を持ってる。そこを崩すつもりはない」
「じゃあ私たちは?」
「別の役割だ」
クイーンが目を細める。
「別、ね」
「ああ。お前たちにしかできない役目がある」
その言葉に、群れ全体がぴたりと静まった。
さっきまで好き勝手に飛んでいた声が、一瞬だけ止まる。
匠一はその反応を見てから、言葉を継いだ。
「飛べることだ」
「……は?」
「何それ」
「今さら?」
「私たちが飛べるのは見れば分かるでしょ」
案の定、すぐにざわつく。
だが匠一は構わず続けた。
「見れば分かる、で終わらせてたのが問題だった。
モルペーたちは地上寄りだ。
小回りが利くし、あいつらなりの軽さと可愛さがある。
だが空間を大きく使うことはできない」
「空間を大きく?」
「上だ」
匠一は上空を指した。
「お前たちは三十羽いる。しかも飛べる。地上だけで完結する連中にはできない見せ方がある」
群れの中で、何羽かが顔を見合わせる。
まだ意図を掴みきれていないが、少なくとも「雑用」ではなさそうだと感じ始めている。
クイーンが静かに問う。
「具体的には?」
「空中演出だ」
「……演出?」
今度は、ざわめきの質が変わった。
怒りでも皮肉でもなく、純粋な戸惑いに近い。
「モルペーたちが前に出るなら、お前たちは上を使える。
編隊を組んで飛ぶ。
旋回する。
交差する。
高度差を使って隊形を変える。
三十羽いれば、地上だけじゃ出せない立体感が作れる」
「それって」
「バックダンサーみたいな?」
「後ろで踊るだけ、ってこと?」
その言い方には、まだ少し警戒が混じっていた。
匠一は首を横に振る。
「添え物にするつもりはない。空を使う役目だ。
地上の動きに合わせて、上空で舞台全体を広げる。
モルペーたちが中心なら、お前たちは空間そのものを担当する」
その表現に、群れの空気がまた少し変わる。
空間そのものを担当する。
それは単なる後ろ役ではなく、舞台の一部を任される言い方だった。
「……へえ」
「ちょっと面白そう」
「三十羽で?」
「三十羽だから、でしょ」
今度は前向きな声が混じり始める。
匠一は頷いた。
「少数じゃできない。三十羽いるから意味がある。
上空で円陣を組むこともできるし、二列三列に分かれて交差飛行もできる。
低空、中空、高空で層を分ければ、地上から見た時の迫力も出る」
「何か急に具体的」
「考えてたの?」
「今まとまった」
それを聞いて、群れのあちこちから笑いが漏れる。
さっきまでの刺々しさとは違う、軽い笑いだった。
クイーンはまだ慎重だった。
「つまり、私たちに空の見せ場を作る、と」
「そうだ」
「モルペーたちの代わりではなく」
「代わりじゃない。役割が違う」
「私たちにしかできない形で」
「ああ」
クイーンは少し黙り、それから周囲を見回した。
群れの反応を確かめているのだろう。
もう露骨な反発は少ない。
むしろ、試してみたいという気配の方が強くなっている。
「やってみる?」 誰かが言った。
「今?」
「別にいいけど」
「飛ぶだけならいつでもできるし」
「どうせなら見せてみたい」
匠一は少しだけ口元を緩めた。
「話が早いな」
「飛ぶ話だからね」
「そこは早いよ」
「で、どうするの?」
匠一は少し考え、それから上空を見上げた。
「まずは単純でいい。三隊に分かれろ」
「三隊?」
「低空、中空、高空だ。十羽ずつ」
「おお」
「それっぽい」
「何か急に雑技団っぽくなってきた」
その言葉に、何羽かがくすくす笑う。
だが動きは早かった。
三十羽のハーピーたちは、こういう時の切り替えが妙に速い。
さっきまで不満をぶつけていたのが嘘みたいに、群れが三つに割れていく。
低空に十羽。 中空に十羽。 高空に十羽。
その中心に、クイーンが少し高めの位置で浮かぶ。
「次」 匠一が言う。
「まずは外周を回れ。
低空は広く、中空は少し狭く、高空はさらに狭く。
三重の輪を作る感じだ」
「了解」
「やるよ」
「ぶつからないでよー」
「誰に言ってるの」
羽音が重なり、三つの輪が空に描かれる。
地上から見上げると、それだけでかなりの迫力だった。
低空の輪が大きく広がり、中空がその内側を回り、高空がさらに小さく締める。
三層の円が別々の速度で回ることで、空に立体的なうねりが生まれる。
「……なるほど」 匠一は小さく呟いた。
思った以上に見栄えがいい。
「次は?」 クイーンが上から問う。
「次は交差だ。低空と中空を左右に割れさせろ。高空はそのまま中央で待機」
「左右って、あっちとこっち?」
「そうだ。合図で中央を横切れ。ぶつかるなよ」
「誰に言ってるのよ」
「念のためだ」
群れの中から不満そうな声が上がったが、どこか楽しげでもあった。
匠一が手を上げる。
「――今」
左右に分かれた二隊が、一斉に中央へ走る。
羽音が鋭くなる。
ぶつかる、と思う寸前で、片方がわずかに上へ、もう片方が下へずれた。
交差した瞬間、中央上空で待機していた高空隊が一斉に翼を広げる。
空が、開いた。
「おお……」 思わず漏れた声は、匠一だけのものではなかった。
群れの中からも、地上から見上げる自分たちの動きに感心したような声が上がる。
「何これ、ちょっとすごくない?」
「上からだと分かりにくいけど、下から見ると映える」
「三十羽いると違うね」
「これ、面白いかも」
さっきまでの不満が、目に見えて別の熱に変わっていく。
クイーンがゆるやかに降りてきた。
完全には着地せず、匠一の目線より少し高い位置で羽ばたきを保つ。
「悪くないわね」
「だろう」
「最初からそういう話をしなさい」
「今した」
「遅いのよ」
ぴしゃりと言われたが、声色はもう完全な怒りではなかった。
匠一は上空を見上げる。
三十羽のハーピーたちは、さっきまで「呼ばれない側」の顔をしていた。
だが今は違う。
自分たちの飛行が、ただの移動ではなく、役割になり得ると分かった顔をしている。
それは大きかった。
モルペーたちと競合しない。 代わりでもない。
ハーピーたちには、ハーピーたちにしかできない見せ方がある。
その事実が、群れ全体の空気を変えていた。
「もっとできるよ」
「今の三重輪、最後に一気に開いたら綺麗じゃない?」
「交差の後に急上昇も入れたい」
「低空隊が最後に地面すれすれを流れるのもあり」
「クイーン中心で隊形変えるのも映えそう」
次々に案が飛び出す。
さっきまで愚痴を言っていたのと同じ口とは思えない勢いだった。
匠一はそれを聞きながら、内心で苦笑する。
「乗ってきたな」
「そりゃそうでしょ」
「飛ぶのは得意だし」
「しかも三十羽まとめて使えるなら、いろいろできる」
「今さら気づいたの、ほんと遅い」
最後の一言だけは、しっかり刺してくる。
だがもう、それは責めるためだけの棘ではなかった。
クイーンが翼を軽く打つ。
「ただし」 その一言で、群れが少し静まる。
「これを本当に役目にするなら、毎回その場の思いつきでは困るわ」
「……ああ」
「呼ぶ、呼ばない。危ない、危なくない。そういう判断が全部あなた一人の気分次第では、また同じことになる」
匠一は黙って頷いた。
まさにそこだった。
今回こうして役割の形が見えたとしても、運用が今まで通りなら、またどこかで抜ける。
誰を呼ぶか、いつ呼ぶか、どこまで関わらせるか。
その全部が自分一人の判断に依存している限り、再び偏りは生まれる。
「継続して関わるなら、安定した往来手段が要る」 匠一は言った。
「毎回個別召喚で調整するのは限界がある」
「やっぱりそこに行くのね」 クイーンが目を細める。
「仕組み、だったかしら」
「ああ。必要だ」
危険な領域と地上を繋ぐ手段。
個別召喚に頼り切らず、属人的な判断の偏りを減らす接続基盤。
ワープゲート研究。
さっきまでは必要性の確認だった。
だが今は違う。
必要なだけではない。
実際に、そこへ繋ぐべき相手と役割が見えた。
「ふうん」 クイーンは小さく笑う。
「じゃあ私たちの愚痴も、少しは意味があったのね」
「かなりあった」
「素直ね、今日は」
「今日はな」
その返しに、群れのあちこちから笑いが起きる。
上空では、まだ何羽かが試しに旋回を続けていた。
三重の輪がほどけ、また別の形に組み替わる。
誰に言われるでもなく、三十羽の群れはもう、自分たちの飛び方を「見せ方」として考え始めている。
匠一はそれを見上げながら、静かに息を吐いた。
呼ばれない側の不満から始まった話だった。
だが終わってみれば、見えてきたのは不満そのものではない。
そこに役割を与え、継続的な関係へ変える道筋だった。
「で?」 群れの中から声が飛ぶ。
「次はいつやるの?」
「モルペーたちにも見せる?」
「絶対びっくりするよね」
「というか、あの子たちと合わせたらもっと映えそう」
匠一は少し考えてから答えた。
「まずは安全な形を詰める。その上で、合わせる」
「慎重」
「当然だ」
「でも、やる気はあるんだ」
「ああ」
その答えに、群れの空気がまた明るく揺れた。
クイーンは満足げに頷く。
「ならいいわ。今度は、ちゃんと私たちを数に入れなさい」
「分かってる」
「三十羽まとめてよ」
「嫌でも忘れない」
それには、さすがに群れ全体が笑った。
羽音が重なる。
今度のそれは、不満のざわめきではなく、期待に浮き立つ群れの音だった。




