ハーピーの不満
見難い火傷の子351
ハーピーの不満
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
匠一が呼びかけると、空気がざわりと揺れた。
次の瞬間、上空に幾つもの影が現れる。
ひとつやふたつではない。
翼、翼、翼。
羽音が重なり、風が渦を巻き、空そのものが群れに覆われたように見えた。
先頭にいるのはハーピークイーン。
その後ろに、二十九羽。
総勢三十羽のハーピーたちは、いつものような気まぐれな軽さではなく、明らかに刺だった空気をまとっていた。
「……ずいぶん揃ってるな」
匠一がそう言うと、あちこちから声が飛ぶ。
「そりゃ揃うでしょ」
「言いたいことあるし」
「むしろ今まで黙ってたの、えらくない?」
「気づいてなかったの、そっちだけじゃない?」
好き勝手に飛んでくる言葉は、どれも棘だらけだった。
匠一は小さく息を吐く。
呼び出した瞬間からこれなら、機嫌が悪いどころの話ではない。
群れ全体が不満を抱えている。
「静かにしなさい」
高く澄んだ声が落ちると、ざわめきが少しだけ収まった。
ハーピークイーンが、ゆるやかに翼を打って前へ出る。
完全に静まったわけではない。
だが少なくとも、話の芯を通す程度には群れがまとまる。
クイーンは匠一を見下ろし、わずかに目を細めた。
「皆、思うところがあるのよ」
「見れば分かる」
「なら話は早いわ」
その一言を合図にしたように、また周囲から不満が漏れ出す。
「モルペーたちは呼ばれてるのに」
「深淵ダンジョンの中のバビロンにまで行ってるんでしょ?」
「私たち、あの救助に動いたよね?」
「モルペーとテレースを助けるために」
「なのに、その後に呼ばれるのはモルペーたちだけ」
「私たちは終わったら外?」
「助ける時だけ必要だったの?」
最後の一言に、あちこちから同意の羽音が重なった。
匠一は黙ってそれを受ける。
捕まっていたのはモルペーと、その姉のテレース。
ハーピーたちは救助される側ではなく、救助する側として動いた。
だからこそ、あの一件でできた繋がりを、自分たちなりに確かなものだと思っていたのだろう。
にもかかわらず、その後に深淵ダンジョン内のバビロンへ呼ばれているのはモルペーたちだけ。
救助に加わったハーピーたちは、一度も呼ばれていない。
三十羽もいれば、その不満は個人の拗ねでは済まない。
群れ全体として、「自分たちは一時的な協力者でしかなかったのか」と受け取っていても不思議ではなかった。
「理由がないわけじゃない」 匠一が言うと、群れのざわめきが少しだけ弱まった。
「最初に呼ばなかったのは、安全上の問題だ」
何羽かが顔をしかめる。
だがクイーンは遮らず、先を促すように顎を引いた。
「深淵ダンジョンは普通の環境じゃない。八倍サイズの危険領域だ。
しかも三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の環境が混ざってる。
あそこにお前たちを召喚した場合、危険が及ぶ可能性が高かった」
群れの中に、微妙な揺れが走る。
「それは……」
「まあ、危ないのは分かるけど」
「呼ばれて即危険地帯は嫌」
「そこは別に無茶してほしいわけじゃない」
反発一色だった空気に、わずかな逡巡が混じる。
最初の判断に理があること自体は、完全には否定できないらしい。
だが、それで終わるはずもなかった。
「でも」 クイーンが静かに口を開く。
「最初はそうだったとして、その後は?」
その一言で、群れの空気がまた鋭くなる。
「そう、それ」
「ずっと危ないままだったわけじゃないでしょ」
「モルペーたちは呼ばれてるのに」
「私たちはずっと呼ばれないまま」
「救助に動いたのに、その後は関係なし?」
「終わったら切り離し?」
匠一は答えず、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
そこが問題だった。
最初に危険だから除外する。
その判断自体は間違っていない。
だが、その後状況が変わっても、見直しをかけなかった。
深淵ダンジョンへの対応、バビロン側との調整、モルペーたちの受け入れ、他にも優先すべきことは山ほどあった。
その結果、ハーピーたちは「危険だから一時的に外した相手」ではなく、「その後の繋がりに組み込まれなかった相手」になっていた。
「……再評価が遅れた」 匠一は低く言った。
「危険だから除外したまま、状況が変わっても見直しを後回しにした」
一拍の沈黙。
次の瞬間、群れが一斉にざわめいた。
「後回し?」
「それって」
「忘れてたってことじゃない」
「私たち三十羽まとめて?」
「救助に使って終わり?」
「ひどくない?」
「思い出しもしなかったってこと?」
羽音が荒れる。
空気が波立つ。
怒りと、呆れと、傷ついた気配が一度に膨らんだ。
「静かに」
クイーンの声が落ちる。
それでも完全には収まらない。
だが、群れはどうにか踏みとどまった。
クイーンは匠一を見据えたまま、静かに問う。
「否定できるの?」
「……できない」
その答えに、今度はざわめきではなく、低い失望が広がった。
「うわ」
「最悪」
「ほんとに忘れてたんだ」
「私たち、便利に使われただけ?」
「助ける時には数に入れて」
「終わったら数に入れないんだ」
「それは嫌」
あちこちから漏れる声は、怒りだけではなかった。
むしろ傷ついた響きの方が強い。
匠一はそこでようやく、群れ全体の不満の重さを正確に理解した。
最初から危険だから呼べないと言われるのと、危険だから外したまま、その後も思い出されなかったのとでは意味が違う。
まして今回は、救助に動いた側だ。
協力した時には数に入っていたのに、その後の関係には入っていないと感じれば、不満が出るのは当然だった。
「私たちは、あの子たちを助けるために飛んだのよ」 クイーンが言う。
その声は静かだが、群れの全員の思いを背負っていた。
「捕まっていたのはモルペーとテレース。
そこは分かっているわ。
けれど、あの救助に動いたのは私たちも同じ。
助ける時には数に入れて、その後は数に入れない。
それで不満を持たないと思うの?」
匠一は数秒黙り、それから短く言った。
「……悪かった」
群れがぴたりと止まる。
羽音まで一瞬途切れた。
匠一が素直に謝るとは思っていなかったのだろう。
三十羽分の視線が、まとめてこちらに向く。
「最初に呼ばなかった判断自体は変えない。あの時点では危険だった」
「……ええ」 クイーンが応じる。
「そこは分かるわ」
「だが、その後の見直しを怠ったのは俺の落ち度だ。お前たちを、その後の関係の中にどう組み込むかを考えるのが遅れた」
言葉にしながら、匠一は自分でもその歪さを再確認していた。
誰を呼ぶか。
誰は危険だから呼ばないか。
いつなら呼べるか。
誰を継続的な関係の中に置くか。
全部、自分一人の判断に寄りすぎている。
最初は合理的でも、状況が変わった時に更新が漏れる。
そうなれば、呼ばれる側と呼ばれない側の差は、そのまま不公平になる。
「じゃあ、これからは?」 群れの中から声が上がる。
「また後回し?」
「今度は思い出す?」
「私たち、ちゃんと数に入るの?」
匠一は群れ全体を見上げた。
「無条件には呼ばない。安全の確認は要る」
「そこは譲らないんだ」
「譲る気はない。危険な場所に放り込むために呼ぶつもりはないからな」
何羽かが不満そうに羽を鳴らしたが、真正面から反発する声は出なかった。
そこに関しては、群れも完全には否定できないのだろう。
「ただ」 匠一は続ける。
「お前たちを最初から選択肢の外に置くことはしない。
救助の時だけの関係で終わらせるつもりもない。そこは改める」
群れのざわめきが、今度は少し違う色に変わる。
疑い、様子見、わずかな期待。
「……ほんとに?」
「また忘れたりしない?」
「三十羽いるんだけど」
「一羽二羽じゃないんだけど」
最後の言葉に、匠一はわずかに口元を引いた。
「分かってる」
「ほんとに?」
「さっき嫌というほど分かった」
それでようやく、群れの空気が少しだけ緩んだ。
完全に機嫌が直ったわけではない。
だが、最初の刺々しさ一色ではなくなっている。
クイーンが翼をたたみ、静かに言う。
「なら、次は忘れないことね」
「努力する」
「努力、じゃ困るのだけれど」
「善処はする」
「それも微妙ね」
周囲から、くすくすと小さな笑いが漏れた。
怒気ばかりだった空気に、ようやく少しだけ隙間ができる。
だが匠一の中では、別の問題がはっきり形を取り始めていた。
今回の件は、単にハーピーたちが拗ねた、で済む話ではない。
召喚に頼った運用が、自分個人の判断に依存しすぎている。
そのせいで、危険判断も再評価も属人的になり、結果として取りこぼしや不公平が生まれる。
三十羽規模の群れを相手にして、なおさらそれが明確になった。
一度判断を外せば、抜け落ちるのは一人ではない。
群れごとだ。
「何を考えているの?」 クイーンが問う。
匠一は短く答えた。
「仕組みが要ると思っただけだ」
「仕組み?」
「毎回、誰を呼ぶ呼ばないで偏りが出るようじゃ駄目だ。召喚だけに頼るのは限界がある」
群れのあちこちで首が傾く。
意味を測りかねている顔も多い。
だが匠一の中では、方向だけはもう見えていた。
危険な領域と地上を繋ぐ手段を、個別召喚以外に持つこと。
属人的な判断に頼り切らずに済む接続基盤を作ること。
ワープゲート研究。
その必要性を、匠一はこれまで以上にはっきりと感じていた。
「で?」 群れの中から、今度は少しだけ調子の戻った声が飛ぶ。
「今日は何の用で呼んだの?」
「まさか謝るためだけじゃないでしょ」
「三十羽まとめて愚痴られに来たわけじゃないよね?」
あちこちから笑い混じりの声が重なる。
匠一は小さく息を吐いた。
「……用はある」
「ほら」
「やっぱり」
「最初からそう言いなさいよ」
群れの空気が、今度は明確に変わる。
不満はまだ残っている。
だが少なくとも、自分たちが完全に外に置かれているわけではないと、その場の全員が感じ取っていた。
匠一はハーピークイーンを見上げ、それから群れ全体へ視線を向ける。
「話をする。お前たち三十羽にできることも含めてな」
一瞬の静寂。
次の瞬間、群れ全体の羽がざわりと揺れた。
さっきまでの不満とは違う、期待を含んだざわめきだった。
クイーンがわずかに笑う。
「ようやく、そこまで来たのね」
その言葉に、匠一は何も返さなかった。
だが少なくとも今回は、群れを最初から選択肢の外に置くつもりはなかった。




