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見難い火傷の子  作者: 清風
351/643

ハーピーの不満

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子351




ハーピーの不満




深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層

青銅の時代

この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


匠一が呼びかけると、空気がざわりと揺れた。


次の瞬間、上空に幾つもの影が現れる。

ひとつやふたつではない。

翼、翼、翼。

羽音が重なり、風が渦を巻き、空そのものが群れに覆われたように見えた。


先頭にいるのはハーピークイーン。

その後ろに、二十九羽。


総勢三十羽のハーピーたちは、いつものような気まぐれな軽さではなく、明らかに刺だった空気をまとっていた。


「……ずいぶん揃ってるな」


匠一がそう言うと、あちこちから声が飛ぶ。


「そりゃ揃うでしょ」

「言いたいことあるし」

「むしろ今まで黙ってたの、えらくない?」

「気づいてなかったの、そっちだけじゃない?」


好き勝手に飛んでくる言葉は、どれも棘だらけだった。


匠一は小さく息を吐く。

呼び出した瞬間からこれなら、機嫌が悪いどころの話ではない。


群れ全体が不満を抱えている。


「静かにしなさい」


高く澄んだ声が落ちると、ざわめきが少しだけ収まった。

ハーピークイーンが、ゆるやかに翼を打って前へ出る。

完全に静まったわけではない。

だが少なくとも、話の芯を通す程度には群れがまとまる。


クイーンは匠一を見下ろし、わずかに目を細めた。


「皆、思うところがあるのよ」

「見れば分かる」

「なら話は早いわ」


その一言を合図にしたように、また周囲から不満が漏れ出す。


「モルペーたちは呼ばれてるのに」

「深淵ダンジョンの中のバビロンにまで行ってるんでしょ?」

「私たち、あの救助に動いたよね?」

「モルペーとテレースを助けるために」

「なのに、その後に呼ばれるのはモルペーたちだけ」

「私たちは終わったら外?」

「助ける時だけ必要だったの?」


最後の一言に、あちこちから同意の羽音が重なった。


匠一は黙ってそれを受ける。


捕まっていたのはモルペーと、その姉のテレース。

ハーピーたちは救助される側ではなく、救助する側として動いた。

だからこそ、あの一件でできた繋がりを、自分たちなりに確かなものだと思っていたのだろう。


にもかかわらず、その後に深淵ダンジョン内のバビロンへ呼ばれているのはモルペーたちだけ。

救助に加わったハーピーたちは、一度も呼ばれていない。


三十羽もいれば、その不満は個人の拗ねでは済まない。

群れ全体として、「自分たちは一時的な協力者でしかなかったのか」と受け取っていても不思議ではなかった。


「理由がないわけじゃない」 匠一が言うと、群れのざわめきが少しだけ弱まった。

「最初に呼ばなかったのは、安全上の問題だ」


何羽かが顔をしかめる。

だがクイーンは遮らず、先を促すように顎を引いた。


「深淵ダンジョンは普通の環境じゃない。八倍サイズの危険領域だ。

しかも三畳紀、ジュラ紀、白亜紀の環境が混ざってる。

あそこにお前たちを召喚した場合、危険が及ぶ可能性が高かった」


群れの中に、微妙な揺れが走る。


「それは……」

「まあ、危ないのは分かるけど」

「呼ばれて即危険地帯は嫌」

「そこは別に無茶してほしいわけじゃない」


反発一色だった空気に、わずかな逡巡が混じる。

最初の判断に理があること自体は、完全には否定できないらしい。


だが、それで終わるはずもなかった。


「でも」 クイーンが静かに口を開く。

「最初はそうだったとして、その後は?」


その一言で、群れの空気がまた鋭くなる。


「そう、それ」

「ずっと危ないままだったわけじゃないでしょ」

「モルペーたちは呼ばれてるのに」

「私たちはずっと呼ばれないまま」

「救助に動いたのに、その後は関係なし?」

「終わったら切り離し?」


匠一は答えず、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。


そこが問題だった。


最初に危険だから除外する。

その判断自体は間違っていない。

だが、その後状況が変わっても、見直しをかけなかった。

深淵ダンジョンへの対応、バビロン側との調整、モルペーたちの受け入れ、他にも優先すべきことは山ほどあった。


その結果、ハーピーたちは「危険だから一時的に外した相手」ではなく、「その後の繋がりに組み込まれなかった相手」になっていた。


「……再評価が遅れた」 匠一は低く言った。

「危険だから除外したまま、状況が変わっても見直しを後回しにした」


一拍の沈黙。


次の瞬間、群れが一斉にざわめいた。


「後回し?」

「それって」

「忘れてたってことじゃない」

「私たち三十羽まとめて?」

「救助に使って終わり?」

「ひどくない?」

「思い出しもしなかったってこと?」


羽音が荒れる。

空気が波立つ。

怒りと、呆れと、傷ついた気配が一度に膨らんだ。


「静かに」


クイーンの声が落ちる。

それでも完全には収まらない。

だが、群れはどうにか踏みとどまった。


クイーンは匠一を見据えたまま、静かに問う。


「否定できるの?」

「……できない」


その答えに、今度はざわめきではなく、低い失望が広がった。


「うわ」

「最悪」

「ほんとに忘れてたんだ」

「私たち、便利に使われただけ?」

「助ける時には数に入れて」

「終わったら数に入れないんだ」

「それは嫌」


あちこちから漏れる声は、怒りだけではなかった。

むしろ傷ついた響きの方が強い。


匠一はそこでようやく、群れ全体の不満の重さを正確に理解した。


最初から危険だから呼べないと言われるのと、危険だから外したまま、その後も思い出されなかったのとでは意味が違う。

まして今回は、救助に動いた側だ。

協力した時には数に入っていたのに、その後の関係には入っていないと感じれば、不満が出るのは当然だった。


「私たちは、あの子たちを助けるために飛んだのよ」 クイーンが言う。

その声は静かだが、群れの全員の思いを背負っていた。

「捕まっていたのはモルペーとテレース。

そこは分かっているわ。

けれど、あの救助に動いたのは私たちも同じ。

助ける時には数に入れて、その後は数に入れない。

それで不満を持たないと思うの?」


匠一は数秒黙り、それから短く言った。


「……悪かった」


群れがぴたりと止まる。

羽音まで一瞬途切れた。


匠一が素直に謝るとは思っていなかったのだろう。

三十羽分の視線が、まとめてこちらに向く。


「最初に呼ばなかった判断自体は変えない。あの時点では危険だった」

「……ええ」 クイーンが応じる。

「そこは分かるわ」

「だが、その後の見直しを怠ったのは俺の落ち度だ。お前たちを、その後の関係の中にどう組み込むかを考えるのが遅れた」


言葉にしながら、匠一は自分でもその歪さを再確認していた。


誰を呼ぶか。

誰は危険だから呼ばないか。

いつなら呼べるか。

誰を継続的な関係の中に置くか。


全部、自分一人の判断に寄りすぎている。

最初は合理的でも、状況が変わった時に更新が漏れる。

そうなれば、呼ばれる側と呼ばれない側の差は、そのまま不公平になる。


「じゃあ、これからは?」 群れの中から声が上がる。

「また後回し?」

「今度は思い出す?」

「私たち、ちゃんと数に入るの?」


匠一は群れ全体を見上げた。


「無条件には呼ばない。安全の確認は要る」

「そこは譲らないんだ」

「譲る気はない。危険な場所に放り込むために呼ぶつもりはないからな」


何羽かが不満そうに羽を鳴らしたが、真正面から反発する声は出なかった。

そこに関しては、群れも完全には否定できないのだろう。


「ただ」 匠一は続ける。

「お前たちを最初から選択肢の外に置くことはしない。

救助の時だけの関係で終わらせるつもりもない。そこは改める」


群れのざわめきが、今度は少し違う色に変わる。

疑い、様子見、わずかな期待。


「……ほんとに?」

「また忘れたりしない?」

「三十羽いるんだけど」

「一羽二羽じゃないんだけど」


最後の言葉に、匠一はわずかに口元を引いた。


「分かってる」

「ほんとに?」

「さっき嫌というほど分かった」


それでようやく、群れの空気が少しだけ緩んだ。

完全に機嫌が直ったわけではない。

だが、最初の刺々しさ一色ではなくなっている。


クイーンが翼をたたみ、静かに言う。


「なら、次は忘れないことね」

「努力する」

「努力、じゃ困るのだけれど」

「善処はする」

「それも微妙ね」


周囲から、くすくすと小さな笑いが漏れた。

怒気ばかりだった空気に、ようやく少しだけ隙間ができる。


だが匠一の中では、別の問題がはっきり形を取り始めていた。


今回の件は、単にハーピーたちが拗ねた、で済む話ではない。

召喚に頼った運用が、自分個人の判断に依存しすぎている。

そのせいで、危険判断も再評価も属人的になり、結果として取りこぼしや不公平が生まれる。


三十羽規模の群れを相手にして、なおさらそれが明確になった。

一度判断を外せば、抜け落ちるのは一人ではない。

群れごとだ。


「何を考えているの?」 クイーンが問う。


匠一は短く答えた。


「仕組みが要ると思っただけだ」

「仕組み?」

「毎回、誰を呼ぶ呼ばないで偏りが出るようじゃ駄目だ。召喚だけに頼るのは限界がある」


群れのあちこちで首が傾く。

意味を測りかねている顔も多い。


だが匠一の中では、方向だけはもう見えていた。


危険な領域と地上を繋ぐ手段を、個別召喚以外に持つこと。

属人的な判断に頼り切らずに済む接続基盤を作ること。


ワープゲート研究。


その必要性を、匠一はこれまで以上にはっきりと感じていた。


「で?」 群れの中から、今度は少しだけ調子の戻った声が飛ぶ。

「今日は何の用で呼んだの?」

「まさか謝るためだけじゃないでしょ」

「三十羽まとめて愚痴られに来たわけじゃないよね?」


あちこちから笑い混じりの声が重なる。


匠一は小さく息を吐いた。


「……用はある」

「ほら」

「やっぱり」

「最初からそう言いなさいよ」


群れの空気が、今度は明確に変わる。

不満はまだ残っている。

だが少なくとも、自分たちが完全に外に置かれているわけではないと、その場の全員が感じ取っていた。


匠一はハーピークイーンを見上げ、それから群れ全体へ視線を向ける。


「話をする。お前たち三十羽にできることも含めてな」


一瞬の静寂。


次の瞬間、群れ全体の羽がざわりと揺れた。

さっきまでの不満とは違う、期待を含んだざわめきだった。


クイーンがわずかに笑う。


「ようやく、そこまで来たのね」


その言葉に、匠一は何も返さなかった。

だが少なくとも今回は、群れを最初から選択肢の外に置くつもりはなかった。

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