試験後の手応えや今後の生活の話
見難い火傷の子350
試験後の手応えや今後の生活の話
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
翌朝の爆炎ハウスは、前日の祝いの余韻をまだ少しだけ残していた。
といっても、食卓にごちそうが並んでいるわけではない。
朝の匂いはいつも通りで、温かい汁物と焼いたパン、それに簡単な副菜が並んでいる。
けれど、家の中の空気が少し軽い。
昨日まで胸の奥に引っかかっていたものが、ひとつ外れた後の軽さだった。
みいはまだ少し眠そうな顔で椅子に座っていたが、目が合うたびに思い出したように言った。
「みい、ごうかくした」
「したな」
ショータが返すと、みいは満足そうにうなずく。
それを朝だけで三回は繰り返していた。
ショータの方も、表面上はいつも通りだったが、通知の紙を昨夜のうちに二度見返している。
合格だけならまだしも、記述回答が模範例として参照される可能性がある、という一文は、さすがに簡単には飲み込めなかった。
自分では、やるべきことを書いただけのつもりだった。
だが、その「やるべきこと」が、他の受験者にとってはそうではなかったのだろう。
匠一は朝食を配り終えると、二人の前に座った。
「今日は、昨日の結果を踏まえて今後の話をする」
その言い方がいかにも匠一らしくて、ショータは少しだけ背筋を伸ばした。
みいも、なんとなく大事な話だと察したのか、パンを持ったまま姿勢を正す。
「まず、みい」
「うん」
「入園は決まった。問題は、通い始めてからの生活だ」
みいはそこで、ぱちぱちと瞬きをした。
試験に受かったことは嬉しい。
だが、受かった後に何が変わるかまでは、まだぼんやりしている。
「がっこう、いく」
「行く。毎日ではないにしても、決まった時間に出て、決まった時間に戻る日が増える」
「うん」
「朝の支度、持ち物、送り迎え、帰ってからの流れ。そこを曖昧にすると続かない」
みいは真面目な顔で聞いていたが、途中から少しだけ難しそうな顔になった。
言っていることは分かる。
けれど、全部を一度に考えるのはまだ難しい。
ショータが横から補う。
「つまり、受かっただけで終わりじゃなくて、通える形を作らないといけないってことだ」
「かよえるかたち」
「そうだ」
みいはその言葉を口の中で転がすように繰り返し、それからこくりとうなずいた。
匠一は次にショータへ視線を向けた。
「お前の方は、資格を取ったことでできることが増える」
「……ああ」
「だが、できることが増えるのと、何でも抱えていいのは別だ」
ショータは少しだけ苦笑した。
言われる前から、そう来るだろうと思っていた。
「分かってる。資格があるからって、全部一人で回せるわけじゃない」
「分かっているならいい。今回評価されたのは、無理をしない判断も含めてだ」
その一言に、ショータは昨夜の通知を思い出した。
模範例として参照される可能性がある。
そう書かれていたのは、派手な答えを書いたからではない。
帰還を優先し、備えを整え、できる者に合わせすぎない判断を書いたからだ。
それは、匠一のもとで見てきたことでもあり、爆炎ハウスで自分が回してきたことでもある。
「……俺、そんなに特別なこと書いたつもりなかったんだけどな」
ぽつりと漏らすと、匠一は即座に返した。
「現場で必要なことを、現場で必要な順に書けるのは特別だ」
ショータは言葉に詰まった。
褒められているのだと分かる。
だが、匠一の褒め方はいつもこうだ。
大げさではない。
けれど、逃げ道もないくらい真っ直ぐに刺さる。
みいは二人のやり取りを聞きながら、よく分からないなりに嬉しそうだった。
「しょーた、すごい?」
「すごいんだろうな」
「じぶんでいうの?」
「お前が聞くからだろ」
みいがけらけら笑う。
昨日までの緊張が抜けた笑い方だった。
朝食を終えた後、三人は食卓をそのまま使って、具体的な話に入った。
まずはみいの通学についてだ。
「会場まで行って分かったが、幼年部の校舎は思ったより遠くない。ただ、子どもの足だと時間の見積もりは甘くできない」
匠一が地図を広げながら言う。
ショータも昨日の道を思い出していた。
大人なら問題ない距離でも、みいが毎回同じ調子で歩けるとは限らない。
天気、荷物、体調、眠気。
子どもはそういうもので簡単に変わる。
「朝は余裕を見た方がいいな」
「うん。ぎりぎり、だめ?」
「だめだ」
「だめだな」
匠一とショータの声が揃って、みいは少しだけ口を尖らせた。
「なんで」
「お前は途中で気になるものがあると止まる」
「とまらないよ」
「止まる」
「止まるな」
二人に重ねて言われ、みいは不服そうにしながらも反論しきれなかった。
心当たりがあるのだろう。
「それに、入園してしばらくは疲れる。帰りも同じだ。行けるかどうかじゃなく、続けられるかで考える」
匠一の言葉に、ショータは静かにうなずいた。
ここが大事なのだ。
試験に受かることと、生活として回ることは別だ。
昨日はその入口に立っただけで、今日からはその先を考えなければならない。
「送り迎えはどうする?」
ショータが聞くと、匠一は少しだけ考えた。
「固定しすぎない方がいい。誰か一人に寄せると、その者が動けない日に崩れる」
「じゃあ、何人かで回す形か」
「そうだ。基本の担当は決めるが、代替も用意する」
みいはその話を聞きながら、ようやく少し実感が湧いてきたらしい。
「みい、ほんとにいくんだ」
「受かったんだから行くに決まってるだろ」
「うん……」
嬉しそうでもあり、少しだけ不安そうでもある声だった。
ショータはその顔を見て、昨日の朝を思い出した。
分かれ道の手前で、みいが自分の袖を何度も見ていたことを。
「最初は緊張するだろうけど、慣れる」
「しょーたも?」
「俺も最初は慣れてなかった」
「ほんと?」
「ほんとだ」
みいは少しだけ安心したように息を吐いた。
次に話題は、ショータの資格取得後の動きへ移った。
「資格があることで、外から見た時の信用は増す」
匠一が言う。
「依頼の幅も広がるし、拠点管理の判断を任せやすくもなる。ただし、その分だけ声もかかる」
「だろうな」
「そこで浮かれるな。今まで通り、受けるものと受けないものを分けろ」
ショータは苦笑した。
「昨日も似たようなこと言われた気がする」
「大事なことは何度でも言う」
それは確かに匠一らしい。
ショータ自身、資格を取ったからといって急に何かが変わるとは思っていない。
だが、周囲の見方は変わるだろう。
今までなら「若いから」で流されていた場面でも、資格保持者として判断を求められることが増える。
それは嬉しい反面、重さもある。
「模範例の件、外に出るのか?」
ショータが昨夜から気になっていたことを聞くと、匠一は通知の文面を確認してから答えた。
「すぐに名前付きで出るわけではないだろう。だが、試験官の間では印象に残る」
「……そうか」
「嫌か?」
そう聞かれて、ショータは少し考えた。
嫌ではない。むしろ、認められたこと自体は嬉しい。
けれど、自分の答えが「模範」と呼ばれることには、まだ少し落ち着かなさがある。
「嫌じゃない。ただ、そんな大したことした感じがしない」
「それは、お前にとって普通になっているからだ」
匠一の返答は短かった。
ショータはそこで、はっとした。
普通。
昨日、みいの試験でも、その言葉がどこかにあった気がする。
みいの普通は少し違う。
そういう話になるだろうと、なんとなく思っていた。
「みいの方は、どうだったんだろうな」
ショータが言うと、匠一は少しだけ口元を緩めた。
「通知に簡単な所見がついていた」
「え、ほんとか」
「幼年部だからな。保護者向けの簡単な記録だ」
匠一は紙を取り出し、必要な部分だけ読み上げた。
「受け答えは年相応に素直。集団行動にも大きな問題なし。
ただし、危険認識と優先順位の感覚が同年代の平均より現実的で、生活経験の反映が見られる、だそうだ」
ショータは思わず吹き出しかけた。
「ずいぶん柔らかく書いたな」
「柔らかく書いてこれだ」
みいは自分のことを言われているのは分かるが、細かい意味までは分からないらしい。
きょとんとしている。
「みい、へんだった?」
「変というより、普通が少し違う」
「ふつう?」
「お前にとって当たり前のことが、他の子にはそうでもないってことだ」
みいはしばらく考え、それから首を傾げた。
「かえるみち、たいせつだよ?」
「大切だな」
「ひとりでむりなら、よぶのもたいせつ」
「それも大切だ」
「じゃあ、ふつう」
あまりにも真っ直ぐな結論に、ショータは笑ってしまった。
「お前にとってはな」
けれど、その通りでもあった。
みいはテュポン戦も、その眷属との戦いも、グール禍も見ている。
強さだけでは足りない場面を、帰れないことの怖さを、備えが生活を支えることを、幼いなりに見てきた。
だから「帰る道が大事」は、この子にとって本当に普通なのだ。
匠一は地図を畳みながら、静かに言った。
「二人とも、昨日の試験で見られたのは知識だけじゃない。何を普通だと思っているかだ」
ショータはその言葉を、少しの間黙って受け止めた。
自分は、帰還を優先すること、備えを整えること、無理をしないことを普通だと思っている。
みいは、困ったら呼ぶこと、帰る道を考えることを普通だと思っている。
それはたぶん、匠一のもとで暮らしてきたからだ。
爆炎ハウスでの生活が、二人の中に少しずつ積もって、もう「教わったこと」ではなく「当たり前」になっている。
「……なんか、変な感じだな」
ショータが言う。
「何がだ」
「自分じゃ普通にやってきたことが、外だと評価されたり、ちょっと違うって言われたりするの」
匠一は少しだけ考えてから答えた。
「外と中の基準が違うのは珍しくない。大事なのは、違うこと自体じゃない。
違うと分かった上で、どこを持ち込んで、どこを合わせるかだ」
その言い方は、いかにも匠一だった。
全部を押し通せとは言わない。全部を捨てろとも言わない。必要なものを見極めろ、という話だ。
みいは難しい話に少し飽きてきたのか、椅子の上でもぞもぞし始めた。ショータがそれに気づいて、話題を少し軽くする。
「で、みいは学校行ったら何したいんだ」
「おべんきょう」
「それは昨日も聞いた」
「いろいろ」
「それも聞いた」
みいは少し考えてから、今度は昨日よりちゃんと答えた。
「みち、おぼえる。あぶないの、おぼえる。
みんなでやるの、おぼえる」
ショータは目を細めた。
「……いいんじゃないか」
「しょーたは?」
「俺か」
資格を取った後、何をしたいか。
問われると、少しだけ言葉を選ぶ。
「今まで通り、ちゃんと回したい。家のことも、外のことも。できることは増えたけど、増えた分だけ雑にはしたくない」
匠一はその答えに、短くうなずいた。
「なら問題ない」
それだけで、十分だった。
話し合いがひと段落すると、みいはようやく椅子から降りて、窓の外を見に行った。
子犬たちが庭先でじゃれ合っている。
昨日と同じ景色なのに、どこか少し違って見えるのは、みいの方が一歩進んだからかもしれない。
ショータは食卓に残り、通知の紙を指先で軽く叩いた。
「生活、変わるな」
「少しずつな」
「一気にじゃないのが、逆に実感ある」
「一気に変えると崩れる」
匠一の返答はいつも通りだ。
だが、そのいつも通りが、今は妙にありがたかった。
試験は終わった。合格もした。
けれど、本当に大事なのはその先だ。
通うこと。
回すこと。
続けること。
昨日は入口で、今日はその先の話をしている。
そういう進み方が、この家らしいとショータは思った。
窓辺から、みいの声が飛んでくる。
「しょーたー!」
「なんだ」
「みい、あしたもごうかく?」
「それはもうしてる」
「じゃあ、あしたもえらい?」
「昨日からずっとえらいよ」
みいが満足そうに笑う。
匠一はそれを聞いて、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。
試験の手応えは、それぞれにあった。
ショータは自分の普通が外で評価されることを知り、
みいは自分の普通が少し違うことをまだ知らないまま、それでも前へ進もうとしている。
今後の生活は、きっと少しずつ変わっていく。
朝の時間の使い方。
送り迎えの段取り。
ショータに増える役目。
みいに増える学び。
どれも派手ではない。
けれど、暮らしというのは、そういう小さな変化の積み重ねで形を変える。
爆炎ハウスの朝は、もういつもの朝に戻っていた。
ただ、その「いつも」の中身だけが、昨日までとは少し違っていた。




