みいの入園試験とショータの資格試験
見難い火傷の子349
みいの入園試験とショータの資格試験
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
その朝は、まだ日が高くなる前から、爆炎ハウスの中に落ち着かない空気が満ちていた。
落ち着かないといっても、騒がしいわけではない。
むしろ逆だ。
いつもなら朝食の匂いに釣られて子犬たちが足元をうろつき、みいが何かしら喋り、
ショータがそれをなだめる声が混じるのに、今日はみんな少しずつ言葉が少ない。
理由ははっきりしていた。
今日は、みいの幼年冒険者学校の入園試験の日であり、同時にショータの資格試験の日でもある。
しかも、よりによって開始時刻まで重なっていた。
どちらかがどちらかを見送ることはできても、試験の最中を見守ることはできない。
終わるまで、互いの様子は分からない。そういう日だった。
食卓に並んだ朝食は、いつも通りきちんとしていた。
汁物は温かく、焼いた肉は冷めないうちに皿へ移され、パンも切り分けられている。
匠一が管理していた頃から変わらない、爆炎ハウスの朝の形だ。
けれど、みいは椅子に座ってからも、いつもみたいにすぐ手を伸ばさなかった。
「みい、食べないと持たないぞ」
向かいからショータが言うと、みいはこくりとうなずいたものの、すぐには皿を見なかった。
代わりに、じっとショータの顔を見る。
「しょーたも、きょう、しけん?」
「ああ」
「おなじじかん?」
「おなじ時間だな」
みいはそこで少しだけ口を尖らせた。
寂しい、というほど露骨ではない。
ただ、納得しきれない顔だ。
「みいの、みてくれないの?」
「見てやりたいけど、俺も受ける側だからな」
ショータはそう言ってから、少しだけ困ったように笑った。
自分でも、そう言うしかないのが分かっている顔だった。
みいはしばらく考えて、それから小さく息を吐いた。
「……じゃあ、がんばる」
「おう。俺も頑張る」
それでようやく、みいは朝食に手をつけた。
そのやり取りを、匠一は食卓の端から静かに見ていた。
余計な励ましはしない。
ただ、二人の皿の減り具合だけはきちんと見ていて、
みいの食べる速度が落ちればさりげなく食べやすいものを寄せ、
ショータの汁物が冷める前に声をかける。
そういう世話の焼き方は、昔から変わらない。
「持ち物は確認したな」
食事が半ばを過ぎた頃、匠一が言った。
「した」
「したー」
「受験票」
「ある」
「ある」
「筆記具」
「ある」
「あるー」
みいの返事だけ少し元気が良すぎて、ショータが思わず吹き出しかける。
みいはそれを見てむっとした顔をしたが、今日は喧嘩をするほどの余裕もないらしい。
すぐにまたパンをかじった。
匠一は二人を見比べ、短くうなずいた。
「ならいい。慌てるな。分からないことがあっても、そこで崩れる必要はない。見ている側は、全部できるかより、どう受けるかも見ている」
ショータはその言葉に、少しだけ背筋を伸ばした。
みいは半分くらいしか意味が分かっていない顔で、それでも真面目にうなずく。
「うん。どううけるか」
「分かってるのか?」
「わかってるよ」
たぶん半分も分かっていないな、とショータは思ったが、口には出さなかった。
朝食を終え、身支度を整え、二人はそれぞれ試験用の服に着替えた。
ショータは動きやすさときちんと感を両立した服装で、みいは年相応に整えられている。
新しい靴が少しだけ硬いのか、みいは玄関で二度ほど足を踏み直した。
「いたいのか?」
「いたくない。ちょっと、きゅってする」
「歩けるなら問題ない。会場までに慣れる」
匠一の言葉に、みいは「うん」と返した。
外へ出ると、朝の空気はまだ冷たかった。
爆炎ハウスの周囲はいつも通りで、だからこそ今日だけが特別に見える。
ショータは荷物を持ち直し、みいは小さな鞄の紐を握り直した。
会場は別々だ。
途中までは同じ道を行けるが、分かれ道から先はそれぞれ違う。
その事実が、歩き始めてからじわじわ効いてきた。
みいは最初こそ黙って歩いていたが、分かれ道が近づくにつれて、だんだんショータの袖を見る回数が増えた。
引っ張りはしない。
ただ、そこにいることを確かめるみたいに視線を向ける。
ショータも気づいていたが、あえて何も言わなかった。
代わりに、分かれ道の少し手前で足を止める。
「ここから先、みいは案内の人について行け」
「うん」
「分からないことがあったら、黙るな。聞け」
「うん」
「困ったら」
「ひとりでむりなら、よべるひとをよぶ」
みいが先に言って、ショータは一瞬だけ目を丸くした。
それから、少し笑う。
「そうだな。ちゃんと覚えてるじゃないか」
「みい、ちゃんとおぼえてるよ」
胸を張るみいに、ショータは手を伸ばしかけて、けれど途中で止めた。
子ども扱いしすぎるのも違う気がしたのだろう。
代わりに軽くうなずく。
「じゃあ、終わったら家でな」
「うん。いえで」
匠一は二人のやり取りを見届けてから、それぞれの進む先を確認した。
「ショータ、お前は時間に余裕があるが、余裕がある時ほど気が散る。気を抜くな」
「分かってる」
「みい」
「うん」
「お前は、分からないことがあっても慌てるな。できるところからやれ」
「できるところから」
みいはその言葉を繰り返して、こくりとうなずいた。
そして、そこでようやく本当に別れた。
ショータは資格試験の会場へ。
みいは幼年冒険者学校の入園試験会場へ。
同じ朝、同じ時刻、別々の場所へ向かう。
互いの試験を見守ることはできない。
助けることも、様子を見ることもできない。
ただ、それぞれが自分の場で受けるしかない。
そういう一日が、始まった。
ショータの試験会場は、資格試験らしく静かだった。
建物の中へ入った瞬間から、空気が違う。
私語は少なく、受験者たちは皆、必要以上に周囲を見ない。
緊張している者もいれば、慣れた顔をしている者もいる。
年齢も経歴もばらばらだが、共通しているのは、ここに来た以上は何かを証明しに来ているということだった。
ショータは受付を済ませ、指定された席に着いた。
机の上には筆記具と受験票。
余計なものは置かない。
深く息を吸って、吐く。
みいは今ごろどうしているだろう、と一瞬だけ思った。
たぶん、会場の大きさに少し目を丸くしている。
知らない大人に名前を聞かれて、最初だけ声が小さくなるかもしれない。
けれど、聞かれたことにはちゃんと答えるはずだ。
そこまで考えて、ショータは首の後ろを軽く叩いた。
今は自分の試験だ。
開始の合図とともに、問題用紙が配られる。
最初の数問は基礎確認だった。
法規、手順、標準的な対応。
ここは落ち着いていけばいい。
ショータは順に目を通し、迷いなく埋めていく。
だが、本番はその先だった。
記述式の設問に入った途端、問題の色が変わる。
『負傷者一名、未熟な同行者二名を含む探索行において、
日没までの残り時間が少なく、周辺に魔物出現の痕跡が認められた場合、最優先とすべき事項を述べよ』
ショータは設問を読んで、少しだけ目を細めた。
こういう問題だろうとは思っていた。
知識だけではなく、何を優先するかを見る問題。
現場を知らない者ほど、勇ましい答えを書きたがる。
痕跡を追うだの、原因を突き止めるだの、荷物を守るだの。
だが、そういう場面で最初に崩れるのは、たいてい帰還の見積もりだ。
ショータは迷わず書き始めた。
負傷者の状態確認。
同行者の行動制限。
帰路の確保。
荷物の優先順位の再設定。
追跡や追加探索は行わない。
全員の帰還可能性を最優先とすること。
派手さはない。
だが、現場で生きる答えだった。
次の設問も似ていた。
『拠点管理者として、幼獣・使い魔・未成年者を含む生活拠点において、平時から整えておくべき備えを述べよ』
これには、少しだけショータの口元が緩んだ。
水、食料、避難導線、火気管理、保管場所の明確化、緊急時の役割分担、帰宅者の把握。
爆炎ハウスで日々やっていることを、言葉に直せばいい。
匠一のやり方をそのまま写すのではない。
見て、覚えて、自分でも回してきたことを書く。
それができるようになっている自分に、ショータは問題を解きながら気づいていた。
一方その頃、みいは幼年冒険者学校の入園試験会場で、小さな椅子に座っていた。
こちらはショータの会場とは違う意味で静かだった。
泣きそうな子、そわそわしている子、親の袖を離したくない子。
年齢相応の緊張が、あちこちに見える。
みいも最初は少しだけ周囲を見回したが、案内の先生に名前を呼ばれると、ちゃんと返事をして立ち上がった。
「みいちゃん、こちらへどうぞ」
「はい」
返事は少し小さい。
けれど、足取りは止まらない。
最初は簡単な面談だった。
向かいに座った試験官は、年配の女性と、記録係らしい若い男性の二人。
どちらも柔らかい顔をしている。
子どもを怖がらせないための顔だと、みいにもなんとなく分かった。
「おなまえをおしえてください」
「みいです」
「はい、よくできました。きょうは、どうしてここにきたのかな?」
みいは少し考えた。
どうして、と聞かれると難しい。
入りたいから来たのだが、それをそのまま言うだけでは足りない気がしたのかもしれない。
「おべんきょう、するの」
「どんなおべんきょうをしたい?」
「いろいろ」
試験官がふっと笑う。
記録係の男性も、困ったように口元を緩めた。
「いろいろ、かあ。たとえば?」
みいはまた少し考えた。
剣の振り方、魔物のこと、危ない場所のこと、道のこと。頭の中にはいろいろ浮かぶ。
けれど、その中で一番先に出てきたのは、別の言葉だった。
「こまらないようにするの」
試験官の手が、ほんの少し止まった。
「困らないように?」
「うん」
「なにに、こまらないようにしたいのかな」
「かえれないのとか。みずないのとか。ひとりでむりなのとか」
年配の試験官は、そこで初めて、みいの顔を少しだけ見直した。
子どもの答えとしては、少しだけ方向が違う。
強くなりたい、有名になりたい、魔物を倒したい。
そういう答えは珍しくない。
だが、この子は最初から「困らないようにする」と言った。
「じゃあ、こまったらどうする?」
みいは即答した。
「ひとりでむりなら、よべるひとをよぶ」
記録係の男性が、思わず顔を上げる。
「……なるほど」
年配の試験官は笑みを崩さないまま、次の質問へ進んだ。
「つよいひとって、どんなひとだとおもう?」
みいは今度は少し長く考えた。
強い人。
大きい魔物を倒せる人。
すごい魔法を使える人。
そういう人も知っている。
けれど、みいの中で一番先に浮かぶ「強い」は、少し違った。
「みんなを、ちゃんとかえせるひと」
今度は、はっきりと空気が変わった。
記録係の男性が書く手を止め、年配の試験官も一瞬だけ言葉を探すような間を置く。
「……どうして、そうおもうの?」
「つよくても、かえれないと、こまるから」
みいはそれを、当たり前のことのように言った。
その当たり前が、同年代の子どもたちのものとは少し違うことを、試験官たちは感じ取っていた。
この子は、ただ教えられた答えを言っているのではない。
見てきたのだ。帰れないことが困る場面を。
備えが足りないことの怖さを。
強さだけでは足りない場面を。
年配の試験官は、表情を柔らかく保ったまま、最後の質問をした。
「ぼうけんで、たいせつなことは?」
みいは迷わなかった。
「かえるみち」
短い答えだった。
けれど、その短さの中に、この子の普通が詰まっていた。
試験は、それぞれの場所で進んでいった。
ショータは記述を終え、状況判断の設問へ進む。
同行者が焦って先行しようとした場合の制止方法、負傷者搬送時の荷物整理、拠点内での備蓄管理の優先順位。
どれも、爆炎ハウスでの暮らしや、匠一のもとで見てきたことが土台になっていた。
答えながら、ショータは自分でも分かっていた。
これは、ただ知識を覚えた結果ではない。
生活の中で身についた判断だ。
水を切らさないこと。
帰ってくる者の分を見込むこと。
できる者に合わせすぎないこと。
無理をしないこと。
全員が帰れる形を優先すること。
そういうものが、自分の中でちゃんと繋がっている。
試験官の一人が巡回の途中でショータの記述に目を止め、ほんのわずかに眉を上げたのを、ショータは見なかった。
一方のみいは、面談の後に簡単な観察試験へ移っていた。
絵を見て、危ないところを指さす。
子ども同士で道具を分ける。
順番を待つ。
困っている子がいた時にどうするかを見る。
みいは派手に目立つわけではない。
けれど、妙なところで自然に動いた。
水筒を落としかけた子がいれば拾って渡し、並ぶ時には小さい子を内側へ寄せ、
絵の中の危ない場所を聞かれれば、崖や魔物だけでなく「みちがせまい」と答える。
「どうして、そこがあぶないの?」
「にげるとき、つまるから」
試験官はまた記録を取った。
この子の普通は、少し違う。
けれど、それは歪んでいるのではない。
現実に寄っているのだ。
昼を少し過ぎた頃、先に終わったのはみいの方だった。
会場の外へ出たみいは、迎えの者に連れられて、少しだけ気の抜けた顔をしていた。
緊張が切れたのだろう。
けれど泣きもせず、騒ぎもせず、ただ「おわった」と小さく言った。
ショータの方は、もう少し時間がかかった。
最後の設問まで書き切って会場を出た時には、肩の奥にじわりと疲れが溜まっていた。
だが、手応えはある。
少なくとも、書くべきことは書いた。
家へ戻る道の途中、ショータは無意識に歩幅を速めていた。
みいはどうだっただろう。
泣かなかったか。ちゃんと答えられたか。
変なことを言っていないか。
いや、変なことは言っているかもしれないな、と考えて、少しだけ苦笑する。
爆炎ハウスへ帰り着くと、玄関の前でみいが待っていた。
先に帰っていたらしい。
ショータの姿を見るなり、ぱっと顔を上げる。
「しょーた!」
「おう」
「おかえり!」
「ただいま。そっちはどうだった」
みいはそこで胸を張った。
「ちゃんとした!」
「そうか」
「しょーたは?」
「ちゃんとした」
それを聞いたみいが、満足そうにうなずく。
細かいことはまだ分からない。
ただ、互いにちゃんとやったらしい、ということだけで十分らしかった。
匠一は玄関の内側で二人を見ていた。
「結果はもう出ている」
その一言で、空気が変わる。
ショータが目を瞬かせ、みいは「え」と声を漏らした。
「早いな」
「幼年部の方は特にな。資格試験の方も、今日中に通知が来る形式だった」
匠一はそう言って、二通の通知を差し出した。
ショータは自分の分を受け取り、みいは両手で封を持った。
開ける手つきは、みいの方がずっと危なっかしい。
ショータが横から少し手伝う。
先に中を見たのはショータだった。
短く息を止め、それから、ゆっくり吐く。
「……合格だ」
「ほんとか?」
「ああ」
次にみいの通知を開く。
こちらはもっと分かりやすい書式で、合格の文字がはっきり書かれていた。
みいは一拍遅れて意味を理解し、ぱっと顔を輝かせる。
「ごうかく!」
「おめでとう」
「しょーたも!」
「お前もな」
互いに言い合うその声は、朝よりずっと軽かった。
別々の場所で試されて、見守ることもできなかった一日が、ようやくここでひとつに戻る。
その様子を見て、匠一はごく小さくうなずいた。
「なら、今日は少し祝うか」
「祝うって、何かあるのか?」
ショータがそう聞くと、匠一は当然のように言った。
「ある。最初から入れてある」
「……は?」
匠一に促されて、ショータは台所の奥、爆炎ハウスの無限冷凍庫を開けた。
冷気が静かに流れ出る。
中には日常用の保存食だけではなく、明らかに少し良い食材が揃っていた。
肉、魚、果物、甘味に使えそうな材料まである。
しかも、ただ詰め込んだのではなく、使いやすいように整理されていた。
ショータはしばらく黙って中を見た。
「……これ、最初からか」
「爆炎ハウスを渡した時点で入れておいた。祝い事があるかもしれなかったからな」
「受かるって決めてたのか?」
「決めてはいない。だが、受かれば祝える。受からなくても、頑張った日の飯にはできる」
匠一の言い方は、いつも通り淡々としていた。
けれど、その準備の仕方が匠一らしくて、ショータは思わず笑ってしまう。
「……そういうとこだよな」
「なに?」
「いや、何でもない」
みいは冷凍庫の中を覗き込んで、目を丸くした。
「おいしいの、いっぱい?」
「いっぱいだな」
「じゃあ、おいわいする!」
その宣言に、ショータはようやく肩の力を抜いた。
今日は、最初から祝えるようになっていたのだ。
合格した時のために。
あるいは、頑張って帰ってきた時のために。
爆炎ハウスは、そういう家だった。
その夜の食卓は、いつもより少しだけ豪華になった。
肉は香ばしく焼かれ、保存してあった果物は甘く、温かい料理が次々と並ぶ。
みいは最初こそ元気に喋っていたが、途中からだんだん瞼が重くなり、椅子の上でこくりこくりし始めた。
「寝るなら先に行け」
「ねない……おいわい……」
そう言いながら、次の瞬間には半分眠っている。
ショータは苦笑し、匠一は呆れたような顔をしながらも、みいの皿を少し手前へ寄せた。
「今日はもう十分だろう」
「うん……ごうかく……」
夢の中に落ちかけながらも、みいは嬉しそうだった。
ショータはそんな様子を見てから、自分の通知をもう一度だけ見た。
合格。
それだけでも十分だったが、通知の末尾には追記があった。
記述回答の一部が特に優秀であり、今後の模範例として参照される可能性がある、と。
ショータは一瞬だけ目を見開き、それから静かに紙を畳んだ。
「どうした」
「……いや」
言いかけて、少しだけ考える。
今ここで大げさに言うのも違う気がした。
今日はまず、受かったことを祝う日だ。
「なんでもない。今日は、受かったってだけで十分だ」
匠一はそれ以上聞かなかった。
ただ、ショータの顔を見て、だいたい察したらしい。
「そうか」
短いやり取りだった。
けれど、それで足りた。
別々の場所で試されて、互いを見守れなかった一日。
けれど最後には同じ家に帰り、同じ食卓を囲み、同じ明かりの下で祝うことができる。
みいは入園する。ショータは資格を得る。
二人とも、少し先へ進んだのだ。
爆炎ハウスの夜は、いつもより少しだけ温かかった。




