砂漠の王カルカダン(納品)
見難い火傷の子304
砂漠の王カルカダン(納品)
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
王都へ戻る頃には、朝の乾いた光はすっかり高くなっていた。
門をくぐる荷車の軋みは重い。
空荷の時とは違う。
今は、砂漠の王カルカダンの価値そのものを積んでいる。
先導するギルド職員が道を開け、荷車は中央区の石畳を揺れすぎない速度で進んだ。
急ぎたい。
だが急ぎすぎれば傷む。
その加減を、御者ももう理解している。
高級宿泊館《月舟楼》は、朝の光の中でも静かに立っていた。
白い壁、深い青の庇、磨かれた木扉。
表の空気は上品だが、裏手へ回れば別の顔がある。
荷の出入り口。
水場。
下働きの足音。
厨房へ続く搬入口。
高級宿とはいえ、食材は裏から入る。
荷車が止まると、すでに数人の料理人と下働きが待っていた。
その中央に立つ男が、一歩前へ出る。
痩せぎすで、背は高い。
髪は後ろで雑に束ねられ、袖は肘まで捲られている。
目だけが妙に鋭い。
いかにも、鍋より先に素材を見る人間の顔だった。
「月舟楼料理長、ザイードだ」
名乗りは短い。
挨拶もそこそこに、彼の視線はもう荷車へ向いている。
フツウが一歩出た。
「冒険者ギルドより納品です。カルカダン通常個体一頭。指定部位、心臓、喉肉、肩肉、肋内、角。追加注文の肝も確保。現地血抜き済み。優先箱から開けます」
ザイードの目が、そこで初めて少しだけ動いた。
「……肝もあるのか」
「状態確認はこれからです」 とフツウ。 「ですが、破損はありません」
「開けろ」
言葉に無駄がない。
だが、その短さの中に熱がある。
料理人の熱だ。
まず優先箱が荷台から下ろされる。
ミナが最後に一度だけ箱へ手を添え、冷気の残りを整えてから離れた。
フツウが蓋を開ける。
厚布をめくる。
中に収まっているのは、心臓。
大きく、艶があり、余計な傷が少ない。
ザイードは何も言わず、すぐ近くまで寄った。
指先で表面を確かめる。
切り口を見る。
血の抜け具合を見る。
それから、ほんのわずかに息を吐いた。
「いい」
たった二文字。
だが、フツウの肩から少しだけ力が抜けた。
次に喉肉。
厚布を解く。
形が崩れていない。
裂けも最小限。
ザイードの目が細くなる。
「喉を深くやりすぎていないな」
「止めは喉ですが、裂きは広げていません」 とフツウ。
ザイードはそこで初めて、ヨシダを見た。
大盾を背負ったままの巨漢。
その隣に杖を持つパクエン。
さらに白砂隊へ視線が流れる。
サフィア、ハリド、ミナ、ユースフ。
「……倒れる向きを選んだか」
サフィアが静かに答える。
「選びました。腹を潰したくなかったので」
「砂地も避けたな」
「はい」
ザイードは短く頷いた。
それ以上は言わない。
だが、その頷きは十分に重かった。
肩肉が下ろされる。
二人がかりで運ぶ大きさだ。
ザイードはその量を見ても驚かない。
驚くのは状態の方だ。
表面の荒れ。
圧迫の跡。
砂の付着。
それらを見て、彼は今度ははっきりと口を開いた。
「よくこの状態で持ち帰ったな」
ヨシダが笑う。
「そりゃどうも」
「褒めている」 とザイード。 「討伐は珍しくない。だが、食材として持ち帰るのは別だ」
パクエンが肩をすくめる。
「最初からそういう依頼だったからな」
「理解して受けたなら、なお良い」
次に肋内。
そして、最後に肝。
ここだけは、場の空気が少し変わった。
追加注文。
欲張りな一品。
そして、最も傷みやすい部位の一つ。
フツウが箱を開ける。
厚布をめくる。
中に収まった肝は、艶を保ち、破れもない。
ザイードの目が、初めて明確に見開かれた。
「……本当に持ってきたのか」
「注文でしたので」 とフツウ。
「状態も悪くない」 ザイードは低く言った。 「いや、悪くないどころじゃない。いい。かなりいい」
ヨシダが豪快に笑う。
「泣かずに済んだな、料理人」
ザイードは真顔のまま返した。
「泣く暇があったら仕込む」
その返しに、さすがのパクエンも少しだけ口元を緩めた。
角も確認される。
皮も広げられる。
大きく裂けていない。
内臓の潰れも最小限。
ここまで来て、ようやくザイードは全員を見回した。
「受領する」
その一言で、依頼はようやく形を持った。
討伐成功ではない。
納品完了。
それが今、確定したのだ。
下働きたちが一斉に動き出す。
箱が運ばれる。
肉が厨房へ消えていく。
水場ではすでに洗い場の準備が整っている。
月舟楼の裏手が、一気に忙しくなった。
ザイードは去りかけて、ふと足を止めた。
振り返らずに言う。
「ギルド長には伝えておけ。次も指名するなら、同じ編成を優先したい」
ヨシダが眉を上げる。
「気が早えな」
「良い素材は、良い手順で届く」 ザイードは淡々と言った。 「それだけだ」
そうして今度こそ、厨房の奥へ消えていく。
白い湯気と、鉄鍋の音の向こうへ。
しばらく誰も喋らなかった。
荷が消えた荷車だけが、急に軽く見える。
最初に口を開いたのはパクエンだった。
「……ずいぶん分かりやすい料理人だったな」
「分かりやすくて助かります」 とフツウ。 「評価点が明確です」
ヨシダが大きく伸びをする。
「終わった、でいいんだよな」
「受領済みです。終わりです」 フツウはそこでようやく帳面を開いた。 「追加査定も期待できます」
「お前、それが一番嬉しいだろ」
「否定しません」
サフィアは月舟楼の裏口を一度だけ見て、それから静かに息を吐いた。
白砂隊の仕事は、狩り場を選ぶところから始まり、今ここで終わる。
ハリドも肩の力を抜き、ユースフはようやく緊張を解いた顔をした。
ミナは手のひらを見て、小さく握り直す。
冷却補助は大した魔法ではない。
だが、今日は確かに役に立った。
そこへ、ギルドから遅れて来たヨイショが姿を見せた。
裏手の様子を一目見て、荷がもう厨房へ入ったことを確認する。
「受領は済んだか」
「済みました」 とフツウ。
「肝も通った」 とヨシダ。
ヨイショの太い眉が、ほんの少しだけ上がる。
「ほう」
パクエンが肩をすくめる。
「欲張りな料理人の注文にも応えたぞ」
ヨイショは全員を見回した。
威嚇の唸り。
白砂隊。
そして少し離れて立つ灯継ぎ。
「よくやった」
短い。
だが、ギルド長の言葉としては十分だった。
「合同にした判断も正しかったな」 とパクエン。
「最初からそのつもりだ」 ヨイショは鼻を鳴らす。 「倒すだけなら班は一つで足りる。だが今回は、きれいに終わらせる依頼だった」
サフィアが静かに頷く。
「狩り場を選べたのが大きかったです」
「搬出路も」 とハリド。
「積載順もです」 とフツウ。
「受ける位置もな」 とヨシダ。
ヨイショはその一つ一つに頷いた。
「そういうことだ。依頼は腕自慢で終わらせるもんじゃねえ。終わる形に組んで、終わらせる」
その言葉を、アオは胸の奥で静かに受け止めた。
爆炎先生が灯継ぎの方へ顎をしゃくる。
「で、お前ら。何を見た」
最初に答えたのはリナだった。
「討伐より、運ぶ方が怖かったです。詰まる場所とか、揺れる場所とか、そういうのが全部失敗に繋がるんだって分かりました」
「うん」 と先生。
セトが続く。
「接敵前に勝負が始まっていて、討伐後にも終わっていませんでした。白砂隊が見ていたのは敵だけじゃなくて、終わり方だったと思います」
「悪くねえ」
ガイは少し考えてから言った。
「前衛って、受けるだけじゃないんだな。どこで受けるか、どっちへ流すか、何を守るかまで含めて前に立つんだって分かった」
ヨシダがそれを聞いて、にやりと笑う。
「少しは賢くなったか」
「少しだけな」 とガイ。
最後に、アオが口を開いた。
「……倒すことが仕事なんじゃなくて、価値を守って持ち帰ることまでが仕事なんだと思いました」
誰も口を挟まない。
アオは続ける。
「強い人が勝つんじゃなくて、失敗しないように組んだ人たちが終わらせる。今回見たのは、そういう仕事でした」
爆炎先生は数秒だけ黙ってから、短く言った。
「よく見たな」
それだけだった。
だが、十分だった。
月舟楼の裏口からは、もう次の音が聞こえている。
包丁。
桶。
湯。
人の声。
さっきまで砂の上にあったカルカダンが、今は厨房の中で別の価値へ変わろうとしている。
アオはその音を聞きながら、少しだけ胸の奥が熱くなるのを感じた。
世界は戦うだけでは回っていない。
狩る者がいて、運ぶ者がいて、選ぶ者がいて、料理する者がいる。
危険なものを、価値へ変えて、誰かの明日へ繋ぐ。
それもまた、未来を増やす仕事なのだと思った。
ヨイショが最後に言う。
「報酬配分は夕刻までに切る。今日は休め。……灯継ぎは、見たことを忘れるな」
「はい」 と四人が答える。
荷車は空になった。
依頼は終わった。
だが、終わったからこそ残るものがある。
砂漠の王カルカダン。
それは今日、ただ倒されたのではない。
きちんと狩られ、きちんと運ばれ、きちんと価値へ変えられた。
それもまた、この街の冒険者の仕事だった。




