砂漠の王カルカダン(食材確保)
見難い火傷の子302
砂漠の王カルカダン(食材確保)
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
カルカダンの巨体が完全に動きを止めても、誰一人として気を抜かなかった。
討伐の熱気はまだ地面に残っている。
だが、威嚇の唸りも白砂隊も、もう次の段階へ頭を切り替えていた。
フツウが膝をつき、帳面ではなく処理用の板札を開く。
そこには、納品順と処理順が簡潔に書かれていた。
「確認します。最優先は血抜き。次に心臓、喉肉、肩肉、肋内。肝は状態確認後。角は最後。皮は裂きすぎない。内臓は潰さない。砂を入れない。以上です」
「分かってる」 とヨシダが答える。
「分かっていても言います」 とフツウ。 「今回は討伐証明じゃなくて納品ですから」
パクエンが杖を地面に突き、カルカダンの喉元を見下ろした。
「血の流れはいい。喉は深く入った」
「入りすぎてないのが助かります」 フツウは短く言った。 「裂けが広いと肉が荒れる」
ヨシダが少しだけ眉を上げる。
「褒めてるのか、それ」
「結果を評価しています」
サフィアはそのやり取りを横目に、周囲の地形を見ていた。
討伐は終わった。
だが、血の匂いは別の危険を呼ぶ。
白砂隊の仕事もまだ終わっていない。
「ユースフ、外周確認。風下を長めに」 「はい!」
「ハリド、戻り線の再確認。荷を通す幅が残ってるか見て」 「分かった」
「ミナ、砂煙を抑えて。処理中に巻き上がると面倒」 「やります」
短杖を握ったミナが、静かに息を整える。
彼女の足元から、目に見えないほど薄い風が流れた。
カルカダンの周囲に溜まりかけた細かな砂が、ふわりと外へ逃がされる。
強い魔法ではない。
だが、こういう場面では十分にありがたい。
フツウがすぐに指示を飛ばした。
「ヨシダさん、肩を固定。揺らさないでください。
パクエンさん、熱は使わないで。焼けます。
サフィアさん、もし周囲に寄ってくる気配があれば即中断で」
「了解」 「分かった」 「ええ」
灯継ぎの四人は少し離れた位置で、その一連の動きを見ていた。
誰も大声を出さない。
誰も勝利を誇らない。
ただ、必要なことだけが次々に進んでいく。
アオは小さく呟いた。
「……早い」
爆炎先生が腕を組んだまま答える。
「早いんじゃねえ。止まらないんだ。次に何をするか、全員が決まってる」
セトが目を細める。
「討伐の後なのに、戦闘中より静かだ」
「静かな方が危ない場面もある」 と先生。 「今は一手の遅れが、そのまま価値の損失になる」
その間にも、フツウは刃を入れる位置を細かく確認していた。
喉元から流れる血を受け桶へ導き、無駄に地面へ散らさない。
心臓を傷つけず、喉肉を荒らさず、しかも迅速に。
討伐とは別種の技術だ。
「ここ、押さえてください」 とフツウ。
ヨシダが無言で巨体の肩口へ体重をかける。
八倍サイズの獣の肉は、それだけで壁みたいな厚みがある。
普通の人間なら近づくだけで圧倒されるだろう。
だがヨシダは、まるで荷役でもするような顔で支えていた。
「重てえな」 「軽かったら王じゃありません」 とフツウ。
パクエンが鼻を鳴らす。
「お前、たまに妙なところで詩的だな」
「事実です」
フツウの刃が、正確に入る。
血の流れが変わる。
彼は一瞬だけ目を細め、それから短く言った。
「いいです。心臓、取れます」
アオは思わず前へ半歩出かけた。
すぐに爆炎先生の視線を感じて止まる。
見学だ。
手は出さない。
だが、目は離せない。
心臓の摘出は、思っていたよりずっと繊細だった。
大きい。
だが大きいからこそ、雑に扱えばすぐ傷む。
フツウは周囲の膜を傷つけすぎないように刃を進め、ヨシダがそのたびに巨体の重みを支える。
パクエンは魔法を使わず、代わりに光球を低く浮かべて手元だけを照らした。
「取れます」 とフツウ。
「箱」 とパクエン。
ミナがすぐに保存箱を開ける。
内側には厚布が敷かれ、冷気を逃がしにくい構造になっていた。
彼女は箱の縁に手を添え、ほんのわずかに温度を落とす。
「長くは持ちません」 「十分です」 とフツウ。
心臓が箱へ収まる。
その瞬間、アオはなぜか討伐の止めよりも強く「仕事」を感じた。
これは戦利品ではない。
納品物だ。
価値そのものだ。
フツウは息をつく間もなく次へ移る。
「喉肉いきます。裂けを広げたくない。ヨシダさん、少しだけ上」
「こうか」
「はい。そこで止めてください」
パクエンが横から言う。
「肩肉は後でいいのか」
「喉が先です。熱が残ってるうちに形を崩したくない」 フツウは答えた。 「肩は量がある。後でも回収できます。喉は繊細です」
「料理人の頭の中って面倒だな」 とヨシダ。
「だから金になるんです」 とフツウ。
そのやり取りに、リナが小さく笑いそうになって、でもすぐ口を押さえた。
場の空気は張っている。
けれど、張り詰めすぎてはいない。
必要な軽さだけが残されている。
一方で、白砂隊は周囲の警戒を続けていた。
ユースフが戻ってくる。
「今のところ寄ってくる気配はありません。でも、風下に小型の足跡が増えてます」
「時間勝負ですね」 とサフィア。
ハリドも戻り線を見てきたらしい。
「通れる。ただ、荷を持って急ぐと左で詰まる。二列は無理だ」
フツウが即座に反応する。
「なら搬出は一列。優先箱から先に。角は最後尾」
「角、最後でいいのか?」 とヨシダ。
「食べませんから」 とフツウ。
「証明部位だろ」 「今回は料理長の依頼です」 「でも欲しがってたぞ」 「だから最後です」
パクエンが肩を揺らして笑った。
「理屈が通ってるのが腹立つな」
喉肉の切り出しが終わる。
厚布に包まれ、別箱へ。
次は肩肉。
量が多い。
その分、運搬も重い。
ヨシダが肉塊を持ち上げて、さすがに顔をしかめた。
「……こいつは肩だけで一人分の荷じゃねえな」
「二人で持ちます」 とフツウ。 「だから戻り線を空けてるんです」
アオはその言葉に、昨日のギルドでのやり取りを思い出した。
白砂隊を付ける理由。
狩り場の選定。
撤退路の確保。
回収動線の維持。
全部、今ここで繋がっている。
「見えてきたか」 と爆炎先生が低く言う。
アオは頷いた。
「はい。倒した後のために、倒す前を決めてた」
「そうだ」 先生は短く答えた。 「強いだけじゃ、こうはならねえ」
肩肉の搬出準備が整う。
次は肋内。
そして問題の肝だ。
フツウが腹部の状態を見て、少しだけ眉を寄せた。
「……潰れてはいません」
「取れるか」 とパクエン。
「取れます。ただし慎重に」 フツウは息を整えた。 「ここで急ぐと終わります」
ヨシダが珍しく真面目な声で言う。
「じゃあ急ぐな」
サフィアが周囲を見たまま付け足す。
「でも遅れるのも駄目です」
「分かってます」 フツウは答えた。 「だから、急がず急ぎます」
ガイが小さく呟く。
「無茶言うな……」
セトが首を振る。
「無茶じゃない。たぶん、こういうのを手順って言うんだ」
肝の摘出は、さらに神経を使った。
フツウの手元を、パクエンの光が照らす。
ミナが箱の冷気を保つ。
ヨシダが巨体を支える。
サフィアが周囲を見張る。
ハリドが搬出路を空ける。
ユースフが風下を警戒する。
誰か一人では成立しない。
だが、誰か一人が欠けても崩れる。
合同討伐ではなく、合同確保。
そう呼んだ方が正しい気さえした。
やがてフツウが、ほとんど息を止めるような声で言う。
「……取れます」
誰も返事をしない。
返事をする余裕がない。
次の瞬間、肝が無事に持ち上がった。
大きく、艶があり、破れもない。
フツウが初めて、はっきりと息を吐く。
「取れました」
ヨシダが笑う。
「料理人、泣かずに済むな」
「泣くのはまだ早いです」 とフツウ。 「運びます」
その一言で、全員がまた次の段階へ移る。
保存箱が閉じられる。
厚布が巻かれる。
縄がかけられる。
優先箱、肉包み、補助荷、角。
順番が決まる。
戻り線は一列。
先頭は白砂隊。
中央に優先荷。
後衛に威嚇の唸り。
灯継ぎは最後尾寄りで見学継続。
サフィアが短く言った。
「出ます。ここに長居はしません」
「よし」 とヨシダ。
彼は大盾を背負い直し、今度は武器ではなく荷役の顔になる。
肩肉の包みを持ち上げ、重さを確かめた。
「狩って終わりじゃねえな、ほんとに」
パクエンが保存箱を抱えながら返す。
「最初からそう言ってただろう」
アオは、動き出した列を見つめた。
倒した後の方が忙しい。
勝った後の方が静かに急いでいる。
そのことが、胸の奥に深く残る。
カルカダンはもう王ではない。
だが、価値はまだ生きている。
それを傷つけずに持ち帰ること。
それが今、この場の全員の仕事だった。
砂の上に残る血の匂いを背に、一行は外縁への戻り線へ入っていく。
討伐は終わった。
だが依頼は、まだ終わらない。
次に待っているのは帰還だ。
そして、間に合うかどうかの勝負だった。




