砂漠の王カルカダン、遭遇
見難い火傷の子301
砂漠の王カルカダン、遭遇
深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層
青銅の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
砂丘の向こうで、また地面が鳴った。
鈍く、重く、腹の底に響くような振動だった。
サフィアは身を低くしたまま、短く言う。
「右へ回します。正面から追わないでください。風下も避けます」
「匂いか」 とパクエン。
「それもあります。あと、砂煙です。こっちが見えなくなる」 ミナが答えた。
ハリドは砂丘の縁に指を差し入れ、表層を崩してみせた。
さらり、と乾いた砂が流れる。
「ここで突進を受けたら足を取られます。止めても、倒れる先が悪い」
ヨシダが鼻を鳴らした。
「分かった分かった。今日は殴りたい場所で殴れねえ日だな」
「そういう日です」 サフィアは即答した。
ユースフが先に立ち、低い姿勢のまま進む。
その後ろを白砂隊が追い、威嚇の唸りが続く。
灯継ぎはさらに後ろ。
爆炎先生は最後尾から、誰一人勝手に前へ出ないのを確認していた。
砂丘を一つ越えるたび、振動は少しずつはっきりしていった。
やがて、低い尾根の切れ目から、その姿が見えた。
カルカダン。
灰白の砂を踏みしめる巨体。
八倍世界の獣らしく、ただ大きいというだけではない。
肩は岩棚のように盛り上がり、首は短く太く、皮膚は乾いた革と石の中間みたいにひび割れている。
額から突き出した角は一本。
だが槍というより、攻城槌に近い。
歩くたびに前脚の周りで砂が沈み、遅れてざらりと崩れた。
リナが思わず息を止める。
「……でか」
ガイも言葉を失っていた。
アオは、ただ目を凝らす。
強い、ではない。
重い。
まずそう見えた。
カルカダンはまだこちらに気づいていない。
低木の根元を鼻先で掘り返し、乾いた塊を噛み砕いている。
その何気ない動作だけで、首筋の筋肉が縄の束みたいに盛り上がった。
サフィアが地形を見て、手で合図する。
右へ。
さらに右へ。
石混じりの締まった帯へ回り込む。
ハリドが先に進み、足場を確かめた。
「ここから先、締まってます。浅い傾斜。左に逃がせば倒れても滑りにくい」
「搬出線は」 とフツウ。
「後ろに一本。細いが通る」 ハリドが答える。 「荷を持って戻るなら、二列までだ」
フツウは即座に帳面へ書き込む。
「回収班は縦列。心臓と肝を先。肩肉はその後」
ヨシダがカルカダンから目を離さずに言った。
「で、どう寄せる」
サフィアは少しだけ考えた。
風向き。
砂の流れ。
獣の向き。
逃げる先。
全部を見てから、短く告げる。
「左後方から圧をかけます。正面には立たない。石帯へ歩かせる。走らせないでください」
「走ったら?」 とガイが小声で聞く。
パクエンが答える。
「面倒になる」
「雑だな」 とリナ。
「だが正しい」 フツウが言った。 「肉が荒れます。皮も傷みます。倒れる位置も読めなくなる」
アオはその会話を聞きながら、カルカダンの脚を見ていた。
一本動くだけで、砂が沈む。
あれが走れば、地形ごと壊れる。
確かに、面倒では済まない。
サフィアが威嚇の唸りを見る。
「ヨシダさん、最初の圧はお願いします。ただし受け止めるんじゃなく、向きを変えるために立ってください」
「止めなくていいのか」
「止めるのは最後です。今は歩かせたい」
ヨシダは口の端を上げた。
「なるほどな。今日は壁じゃなく柵か」
「そうです」 サフィアは頷いた。 「パクエンさんは右前方に火花だけ。音で嫌がらせてください。焼かないで」
「注文が細かい」 と言いながらも、パクエンは杖を軽く回した。
「フツウさんは後ろで回収準備。接敵後は前に出ないで」
「承知しています」
「白砂隊は位置維持。ユースフ、見失わないで。ミナ、砂煙が戻るならすぐ言って」
「はい」 「了解」
短い確認が終わる。
誰も声を荒げない。
だが、空気は張っていた。
サフィアが手を下ろす。
「――始めます」
最初に動いたのはヨシダだった。
大盾を正面に構えるのではなく、斜めに抱える。
カルカダンの進路を塞ぐ壁ではなく、進みたい方向をずらす板のように。
そのまま、ゆっくり前へ出る。
カルカダンが顔を上げた。
小さな目。
だが鈍くはない。
鼻先が震え、角がわずかに持ち上がる。
次の瞬間、パクエンの杖先で火花が弾けた。
爆発ではない。
乾いた破裂音だけが、右前方で短く鳴る。
カルカダンの耳がそちらを向く。
一歩、ずれる。
その隙に、ヨシダがさらに半歩前へ出た。
盾の面を見せる。
真正面ではなく、左後方から圧をかける位置だ。
カルカダンが低く唸った。
地面が震える。
「来る」 とセトが呟く。
だが、突進ではなかった。
カルカダンは苛立ったように首を振り、嫌なものを避けるように向きを変える。
火花から離れ、盾を嫌い、より歩きやすい方へ。
その先が、石帯だった。
サフィアが小さく言う。
「いいです。そのまま」
ハリドは足元を見たまま、低く返す。
「まだ締まってる。あと少し」
カルカダンがまた歩く。
重い。
一歩ごとに砂が沈み、石混じりの帯へ近づいていく。
ヨシダは追いすぎない。
パクエンも火花以上は使わない。
白砂隊は距離を保ち、逃げ道と崩れを見ている。
アオは、これが狩りなのだと初めて実感した。
剣も魔法も振るう前に、もう勝負は始まっている。
相手を怒らせすぎず、逃がしすぎず、走らせず、望む場所へ連れていく。
力より先に、順番がある。
やがてハリドが言った。
「ここだ」
サフィアの目が鋭くなる。
「受け位置、取れますか」
ヨシダは足を踏み、地面の返りを確かめた。
「悪くねえ」
「左へ流してください。倒すならそっちです。右は駄目」
「了解」
パクエンが杖を持ち直す。
「今度は焼いていいのか」
「焼きすぎなければ」 とサフィア。
「難しい注文だ」
その時だった。
カルカダンが、ようやくこちらを“敵”として認識した。
鼻先を上げ、短く、濁った咆哮を漏らす。
前脚が砂を掻いた。
角が真正面を向く。
空気が変わる。
「来るぞ!」 ヨシダが吠えた。
突進。
今度は歩きではない。
巨体が一気に前へ出る。
石帯に入ったことで足が滑らず、速度が乗る。
地面が鳴り、砂が跳ね、角が一直線に## 301 砂漠の王カルカダン(遭遇)
砂丘の向こうで、また地面が鳴った。
ずしり、ずしりと、重い足取りが砂の層を通して伝わってくる。
見えなくても分かる。
あれは大きい。
この地の生き物はすべて八倍。
その中でもカルカダンは、もともと大型に属する獣だ。
サフィアは伏せたまま、低く言った。
「右へ回ります。正面から追わない。風下も取らない。匂いを入れたら走られます」
ユースフが頷き、身を低くしたまま先へ滑るように進む。
ハリドは砂丘の縁を指でなぞり、崩れ方を見ていた。
「この先、石が混じる。表層が薄い。足は取られにくい」
「倒した後は?」 とフツウ。
「左へ抜ければ戻り線がある」 サフィアが答える。 「長くはないけど、荷を通せる」
ヨシダが大盾の縁を軽く叩いた。
「じゃあ、そこまで歩いてもらうか」
「歩かせるんです」 サフィアは訂正した。 「走らせない。暴れさせない。疲れさせすぎない」
「注文が細けえな」 とヨシダが笑う。
「食材ですから」 とサフィア。
その一言で、場の空気がまた締まる。
討伐ではなく、食材確保。
その前提が、全員の動きを揃えていた。
一行は砂丘の陰を使って回り込んだ。
真正面から獲物を追うのではなく、進路の先へ先へと静かに移る。
灯継ぎの四人も必死に足音を殺してついていく。
リナは何度か砂に足を取られかけ、そのたびにセトが無言で腕を引いた。
やがて、石混じりの帯が見えた。
灰色の地面に、白い砂が薄くかかっている。
踏むと沈まず、乾いた硬さが靴裏に返ってくる。
ハリドが短く言う。
「ここなら受けられる」
サフィアは周囲を見回した。
右手は浅い傾斜。
左手は戻り線。
正面は開けているが、奥に低い岩の張り出しがあり、突進の角度を少し殺せる。
悪くない。
いや、この近辺ではかなり良い。
「ここです」
ヨシダがようやく前へ出た。
大盾を肩から下ろし、地面に一度だけ立てる。
鈍い音がした。
「待たせたな、王様」
パクエンは杖を持ち直し、カルカダンが現れるであろう方向へ視線を細める。
「焼きすぎるな、だろうな」
「当然です」 とフツウ。 「喉肉と肩肉を焦がしたら、料理長が泣きます」
「お前、本当に料理長の味方だな」 とヨシダ。
「報酬の味方です」
そのやり取りの間にも、サフィアはユースフへ合図を送っていた。
ユースフは大きく回り込み、風上側から小石を一つ投げる。
乾いた音。
続けて、もう一つ。
カルカダンの注意を、わずかにこちらへ向けるための小さな刺激だ。
次の瞬間、砂丘の向こうから低い唸りが響いた。
空気が震える。
アオは思わず息を止めた。
見えたのは最初、角だった。
湾曲しながら前へ突き出した、巨大な一本角。
次に、砂を押し分けるようにして頭部が現れる。
厚い皮膚。
盛り上がった肩。
岩の塊みたいな胸。
そして、踏み出すたびに砂を沈ませる脚。
カルカダン。
砂漠の王と呼ばれる理由が、一目で分かった。
ただ大きいだけではない。
そこにいるだけで、周囲の地形が従わされるような重さがある。
リナが小さく呟く。
「……でか」
爆炎先生がすぐ後ろで低く返した。
「声を落とせ」
カルカダンは鼻先を上げ、空気を嗅いだ。
まだこちらの位置を正確には掴んでいない。
だが、何かいることは分かっている。
小さく前脚で砂を掻く。
その動きだけで、砂がざらりと流れた。
サフィアが囁く。
「まだです」
ヨシダは動かない。
盾を半身に構え、ただ待つ。
パクエンも杖を上げたまま、詠唱に入らない。
フツウは視線をカルカダンから外さず、搬出路をもう一度確認していた。
カルカダンが一歩、また一歩と進む。
石帯へ入る。
足が沈まないことに気づいたのか、わずかに歩幅が変わる。
その瞬間、ハリドが低く言った。
「今の位置なら、右へ流れる」
サフィアが頷く。
「ヨシダさん、受けるなら二歩前。左足を残して」
「了解」
ヨシダが前へ出る。
大盾の下端を地面に噛ませ、腰を落とした。
その姿勢は、ただ守るためではない。
受けた衝撃を、どちらへ逃がすかまで決めた構えだった。
カルカダンがこちらを見た。
小さな目が、ぎらりと光る。
次の瞬間、咆哮。
空気が叩かれたように震え、灯継ぎの四人は思わず身を強張らせる。
だが前衛は動かない。
ヨシダは盾を構えたまま、ほんの少しだけ口元を上げた。
「来い」
カルカダンが突進した。
砂と石が弾ける。
巨体が一直線に迫る。
速い。
大きいのに、速い。
アオは目を見開いた。
あれを正面から受けるのか、と。
受けた。
轟音。
ヨシダの大盾に角がぶつかり、衝撃が地面を走る。
石帯が鳴り、砂が跳ねる。
だが、ヨシダは吹き飛ばされない。
左足を残し、右肩をわずかに引き、衝撃を真正面ではなく斜めへ流していた。
カルカダンの頭が、ほんの少し右へ逸れる。
「今だ」 とハリド。
パクエンの杖が閃いた。
放たれたのは爆炎ではない。
鋭く圧縮された火線。
角の根元ではなく、視界の端を焼くように走り、カルカダンの意識をさらに右へ振る。
「焼きすぎるなよ!」 とフツウ。
「分かってる!」 とパクエン。
カルカダンが怒り、首を振る。
その動きで体勢がさらに流れる。
ヨシダは盾を押し返すのではなく、一歩だけずらして進路を作った。
真正面で止めるのではない。
倒れさせたい向きへ、走らせる。
サフィアが叫ぶ。
「右へ抜ける! 追わないで、前だけ切って!」
ミナが短杖を振る。
風が巻き、カルカダンの前方に上がりかけた砂煙を横へ流した。
視界が開く。
「見えます!」 とミナ。
ユースフが側面から位置を叫ぶ。
「前脚、浅い! 次で崩れます!」
ハリドが地面を見ていた目を上げた。
「そこだ!」
カルカダンの右前脚が、石帯の端でわずかに滑る。
ほんの半歩。
だが巨体には十分だった。
体勢が崩れる。
「ヨシダ!」 とサフィア。
「おう!」
ヨシダが盾を捨てるように前へ押し込み、角の軌道をさらに上へ逸らす。
その隙に、パクエンが今度は火ではなく衝撃の塊を肩口へ叩き込んだ。
肉を焼かず、骨と体勢だけを揺らす一撃。
カルカダンが大きく傾ぐ。
「喉、開いた!」 とフツウ。
ヨシダの手に、いつの間にか短い重槍があった。
盾役の武器というより、止めを刺すための杭に近い。
彼は一歩踏み込み、開いた喉元へ、深く、正確に突き入れた。
鈍い感触。
次いで、熱い血が噴く。
「下がれ! 血を浴びるな!」 フツウの声が飛ぶ。
ヨシダはすぐに槍を引き、横へ跳んだ。
カルカダンが苦鳴を上げ、巨体を振る。
だがもう遅い。
喉の深いところをやられている。
前脚がもつれ、肩が沈み、巨体が右へ、右へと傾いていく。
サフィアが息を詰めたまま見ていた。
倒れる向き。
そこが、今回の勝負だった。
カルカダンは最後に一度だけ脚を踏ん張ろうとした。
だが石帯の端で力を逃がしきれず、そのまま横倒しになる。
地面が揺れた。
砂が舞う。
だが、想定より少ない。
右側へ倒れたことで、腹部の潰れも最小限。
戻り線も塞いでいない。
数秒、誰も動かなかった。
巨体が完全に止まるのを待つ。
やがてパクエンが低く言う。
「……終わったか」
「まだです」 フツウが即答した。 「ここからです」
その言葉に、アオははっとした。
そうだ。
今回は討伐回ではない。
食材確保回だ。
ヨシダが血を払って笑う。
「仕留めたぞ」
サフィアは倒れたカルカダンを見たまま、静かに返した。
「ええ。きれいに」
その一言に、今回の仕事の全てが詰まっていた。
フツウはすでに帳面を閉じ、代わりに解体用の布と刃物を取り出している。
ミナは息を整えながら、保存箱の位置を確認した。
ユースフは周囲の警戒へ回る。
ハリドは戻り線が潰れていないかを見に走る。
爆炎先生が灯継ぎへ低く言った。
「見ろ。勝った瞬間に終わった顔をしてる奴が一人もいない」
アオは頷いた。
ガイも、リナも、セトも、言葉が出ない。
目の前には、倒れた砂漠の王。
だが本当に見えるべきものは、その巨体ではなかった。
倒した後、誰が何を最初にするか。
どこへ走るか。
何を優先するか。
その迷いのなさこそが、プロの形だった。
フツウが声を張る。
「血抜きに入ります! 心臓優先、次に喉肉! 肝は状態確認後! ミナさん、冷却補助を準備! ヨシダさん、肩を押さえてください、揺らさないで!」
「了解!」 「分かった!」 「やります!」
乾いた朝の空気の中で、討伐の熱はもう次の仕事へ変わっていた。
カルカダンは倒れた。
だが依頼は、まだ半分も終わっていない。
砂の上で、狩りは終わった。
そしてここから、食材確保が始まるのだった。




