ジュラ紀の王、来訪
見難い火傷の子271
ジュラ紀の王、来訪
深淵ダンジョン第十一エリア、ジュラ紀エリア
恐竜の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
夜の修練場に、風が止んだ。
佐々木アロ次郎。
宮本ティラノ。
二人の強者が去った後の静寂は、本来なら安堵をもたらすはずだった。
だが、その静けさはどこか異様だった。
空気が重い。
土が沈む。
森の闇が、深くなる。
ショータは思わず息を呑む。
――何か来る。
匠一がわずかに目を細めた。
「ケンタ」
「はい、師匠」
「立て」
ケンタは反射的に立ち上がる。
まだ息は荒い。
肩の傷も完全には癒えていない。
だが、匠一の声に迷いはなかった。
弟子たちも、息を呑んでケンタの背中を見る。
◇
森の奥で、何かが動いた。
ず……
ず……
ず……
アロ次郎のような軽さはない。
宮本ティラノのような鋭さもない。
もっと重い。
もっと深い。
もっと古い。
キールが低く呟く。
「……これは、ただの大型じゃない」
ニールが観測器を見て、眉をひそめた。
「反応、測定不能。質量が……揺れてる」
マリーが息を飲む。
「揺れる質量って何……?」
ダンが剣を握り直した。
「深淵だし」
「便利な言葉だな、それ」
匠一が静かに言った。
「来るぞ」
◇
森の闇が、裂けた。
そこから現れたのは、巨大な影。
長い体躯。
異様に長い顎。
背中には、夜空を切り裂くような巨大な帆。
前脚は太く、爪は鋭く、尾は水を切るようにしなる。
その歩みは、陸の獣のものではなかった。
水辺の王が、無理やり大地へ上がってきたような異質さがあった。
背には苔と蔦が絡み、皮膚は岩のように硬い。
目は、星のように静かに光っている。
ショータは震えた。
――でかい。
「……スピノサウルス……?」
思わず漏れた声に、ケンタの顔が強張る。
「……あれは……」
匠一が静かに告げた。
「スピノサウルス。ジュラ紀の“王”だ」
ショータは一瞬だけ引っかかった。
だが、深淵では時代の境界すら曖昧になることがある。
この異様な存在感を前にすれば、そんな理屈はもう些細だった。
◇
王はゆっくりと修練場へ歩み出る。
その一歩ごとに、地面が沈み、空気が湿り、水の匂いが濃くなった。
弟子たちは動けない。
「……でか……」
トゲ丸の声はかすれていた。
「息が……重い……」
リンの膝が震える。
「こわい……」
ソウは半歩も動けなかった。
ショータも同じだった。
ただ見るだけで、体が固まる。
これが、王。
強いとか、大きいとか、そういう言葉では足りない。
そこにいるだけで、周囲の生き物の序列を書き換えてしまうような圧だった。
それでもケンタは、震える膝を押さえつけ、一歩前へ出た。
「……剣竜流、道場主……ケンタです」
声は震えていた。
だが、逃げなかった。
王はケンタを見下ろし、低く、深く、響く声で言った。
「――名乗りは、よい」
その声は、大地の底から響くようだった。
「剣竜ケンタ。お前の剣は、まだ若木だ」
ケンタは唇を噛む。
「……はい」
「だが」
王の目が、わずかに細くなる。
「折れていない」
ケンタの目が揺れた。
「アロ次郎を退け、宮本を受け、なお立つか」
ケンタは震えながらも、剣を握り直す。
「……立ちます」
「なぜだ」
「弟子たちが……見ているからです」
弟子たちが息を呑む。
王はしばらく黙り、やがて低く笑った。
「よい」
その声は、風が吹く前の森の音に似ていた。
◇
「だが、お前の剣はまだ浅瀬だ」
ケンタの拳が震える。
「……浅瀬……」
「剣竜流を名乗るなら、深みに潜れ」
その言葉は、水底から響くようだった。
ダンが小声で言う。
「……あれ、絶対強いだろ」
マリーが苦い顔で頷く。
「水陸両用で、あの質量で、あの圧とか反則だよね」
キールが短く言った。
「深淵補正の極致だ」
ショータは喉を鳴らした。
――勝てるのか。
◇
王――スピノサウルスは、ゆっくりと前脚を上げた。
その爪は、岩をも砕く巨大な刃。
「剣竜ケンタ」
「……はい」
「お前の“深さ”を見せよ」
ケンタは剣を握り直す。
疲労は消えていない。
傷も浅くはない。
それでも、目だけは逸らさなかった。
匠一が静かに言った。
「ケンタ」
「はい、師匠」
「逃げるな」
ケンタは深く頷いた。
「はい!」
◇
スピノサウルスが動いた。
巨大なのに、速い。
水を切るような滑らかさで、空気を裂くような鋭さで、王はケンタへ迫る。
ショータは息を呑む。
――速い。
ケンタは剣を構え、真正面から迎え撃った。
王の爪が振り下ろされる。
ケンタの剣が閃く。
その瞬間、匠一が静かに呟いた。
「……悪くない」
ジュラ紀の王との対面は、剣竜流道場にとって最大の試練となる。




