剣竜流道場 二度目の来訪者
見難い火傷の子268
剣竜流道場 二度目の来訪者
深淵ダンジョン第十一エリア、ジュラ紀エリア
恐竜の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
ジュラ紀の風は、まだ血の匂いを残していた。
アロ次郎の巨体が岩場の向こうへ消えてから、まだわずか数分しか経っていない。
ケンタが汗を拭い、弟子たちへ声をかけようと振り返った、その瞬間だった。
ずしん。
地面が、再び低く鳴った。
「…………まだかよ」
ダンがため息混じりに呟く。
今度は反対側の岩陰から、ゆっくりと影が姿を現した。
漆黒と深紅の鱗。
背中に刻まれた無数の古傷。
そして腰には、大小二本の刀。
堂々たるティラノサウルスだった。
その眼光は、氷のように冷たい。
ショータは思わず息を呑む。
アロ次郎とは違う。
あちらが“速さの剣士”なら、こちらは“重さの剣豪”だった。
立っているだけで、空気が重くなる。
ティラノは新しく刻まれた石碑を一瞥し、低く言った。
「アロ次郎が先に行ったようだな」
よく通る、低い声だった。
「つまらん相手に先を越された」
ケンタの表情が、一瞬で引き締まる。
「……また、道場破りですか」
ティラノは答えず、視線を石碑から匠一へ移した。
匠一が石碑の前から一歩だけ前に出る。
ティラノの目が、わずかに細くなった。
「匠一……久しいな」
その声音には、わずかに熱が混じっていた。
「お前がこんな道場の看板を書いているとは、随分と暇になったようだ」
マリーが小さく息を飲む。
「知り合い……?」
匠一はティラノを一瞥し、ぼそりと呟いた。
「……またティラノサウルスか」
ティラノの眉がぴくりと動く。
「『また』だと?俺を覚えていないのか」
匠一は無表情のまま、短く答えた。
「大きい。うまい。それだけだ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、ダンが吹き出した。
「ははっ!やっぱりそう来るか!」
マリーも肩を震わせる。
「個体名とかどうでもいいんだ……食料分類なんだもんね」
ティラノの顔がわずかに引きつった。
だが、すぐに冷たい笑みを浮かべる。
「……相変わらずだな」
◇
匠一がケンタへ声をかけた。
「ケンタ」
「はい、師匠」
「疲れているだろう」
「いえ……まだ、行けます」
声は少し掠れていた。
だが、目はまだ死んでいない。
ティラノは右腰の大きい刀を、ゆっくりと抜いた。
重い金属音が、修練場に響く。
「剣竜流……興味はある」
切っ先が、静かにケンタへ向く。
「だが貴様の剣は、まだ半分だ」
風が止まったような気がした。
「師の字を掲げるなら、残りの半分も見せろ」
トゲ丸たちが息を呑む。
ショータも、思わず拳を握っていた。
ケンタはゆっくりと剣を構える。
疲れている。
それは誰の目にも明らかだった。
だが、それでも退かない。
道場の前だからだ。
弟子たちが見ているからだ。
そして、師匠の字がそこにあるからだ。
◇
ティラノが動いた。
重い。
だが、遅くはなかった。
大地を踏みしめる一歩ごとに、修練場の土が沈む。
振るわれた刀は、斧のような圧を伴って空気を裂いた。
ケンタが受ける。
火花が散る。
その一撃だけで、ケンタの足が土を削って後ろへ滑った。
「っ……!」
ショータが息を呑む。
アロ次郎の剣が“裂く”ものなら、
このティラノの剣は“叩き割る”ものだった。
ケンタはすぐに体勢を立て直し、横へ流れる。
正面から受け続ければ持たない。
それは本人が一番よくわかっていた。
だから避ける。
ずらす。
流す。
だが、ティラノはそれを読んでいた。
二刀のうち小さい方を抜き、間を詰める。
重い一撃の後に、鋭い追撃。
豪快に見えて、実際はかなり細かい。
「……うまい」
キールが短く言う。
匠一は何も言わない。
ケンタの剣が、ティラノの脇腹を浅く掠めた。
だが浅い。
届いても、決め切れない。
逆にティラノの一撃は、受けるたびにケンタの体力を削っていく。
数合の後、ケンタの呼吸が明らかに荒くなった。
「はあ……っ、は……」
それでも、下がらない。
トゲ丸が叫ぶ。
「師範!」
リンは唇を噛み、ソウは泣きそうな顔で見ていた。
ショータは何も言えなかった。
ただ、ケンタの背中を見ていた。
強い。
でも、苦しい。
それでも立っている。
その姿が、痛いほど伝わってきた。
◇
ティラノの大刀が振り下ろされる。
ケンタは受けず、半歩ずれてかわした。
だが、続く小刀の返しが肩を掠める。
血が散った。
ケンタの膝が、わずかに沈む。
ティラノは追わなかった。
その場で刀を構えたまま、静かに言う。
「悪くない」
ケンタは息を整えながら、剣を下げない。
「……どうも」
「アロ次郎を退けたのも頷ける」
ティラノの目が細くなる。
「だが、まだ若い」
ケンタは何も言わない。
言い返す余裕がないのもある。
だが、それ以上に、その言葉が図星だった。
今の自分では届かない。
それを、剣が教えていた。
◇
その時、匠一が静かに口を開いた。
「ティラノサウルス」
「……何だ」
「看板を汚すな」
ティラノが低く笑った。
「相変わらず、俺を名前で呼ばないな……まあいい」
ゆっくりと刀を収める音が響く。
「今日はここまでとする」
修練場の空気が、少しだけ緩んだ。
ティラノはケンタを正面から見据える。
「剣竜ケンタ」
低い声が、まっすぐ届く。
「お前はまだ“流”を名乗るには若すぎる」
トゲ丸たちが悔しそうに顔を上げる。
だがティラノは続けた。
「だが、芽は出ている」
ケンタの目が、わずかに開く。
「……次に来る時は、もっと育っていろ」
そう言い残し、深紅と漆黒の巨体は岩場の向こうへ消えていった。
◇
ケンタはその場に膝をつき、大きく息を吐いた。
「はあ……はあ……」
トゲ丸たちが駆け寄る。
「師範!大丈夫!?」
「立てる!?」
「血、出てる……!」
ケンタは弱々しく笑った。
「負け……だけど」
息を整えながら、少しだけ顔を上げる。
「負けじゃ、ない……かな」
ショータがそっと肩に手を置いた。
「かっこよかったです、ケンタさん」
ケンタは少し驚いたようにショータを見て、それから照れたように笑った。
「……ありがとうございます」
匠一が近づき、短く告げる。
「よく耐えた」
「はい!」
即答だった。
ダンが頭を抱える。
「返事最速……」
マリーが笑いながら《ソラ》のタラップを下ろす。
「今日はもう帰ろう。ケンタ、弟子たちの面倒は任せたよ」
「はい!」
ケンタは立ち上がり、弟子たちと共に深く頭を下げて一行を見送った。
石碑は夕陽を受けて赤く輝いていた。
剣竜流道場
まだ始まったばかりの道場は、
今日、二人の強者を相手に、確かに一歩を踏み出した。
ジュラ紀の空に、
新しい剣の音が、静かに響き始めていた。
◇
一方。
岩場の奥深く。
宮本ティラノは、ひとり冷や汗をだらだらと流していた。
「……あいつは、危険すぎる」
大物感を必死に出していた自分が、急に情けなく思えてきた。
あの男の目には、自分もアロ次郎も、ただの「大きい肉」にしか映っていない。
そう確信した瞬間、ティラノサウルスの威厳など、どこかへ吹き飛んでしまった。
「……次は、絶対に名前を覚えさせてやる」
そう呟いた声は、なぜか少し震えていた。




