剣竜流道場破り
見難い火傷の子267
剣竜流道場破り
深淵ダンジョン第十一エリア、ジュラ紀エリア
恐竜の時代
この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。
ジュラ紀の風が、修練場を横切っていく。
新しく刻まれた石碑――剣竜流道場。
その前に、剣竜ケンタと、巨大アロサウルスの道場破りが向かい合っていた。
古傷だらけの巨体。
片目の上を裂くように走る傷。
口元から覗く歯は、白いレイピアを何本も並べたみたいに細く鋭い。
アロ次郎。
名乗ったその響きはどこか妙だったが、漂う気配は冗談ではなかった。
ショータは思わず息を詰める。
ただ大きいだけじゃない。
ただ強いだけでもない。
あれは、戦い慣れている目だ。
「……本当にやるんだ」
小さく漏らすと、隣のダンが肩をすくめた。
「道場破りって言ってるしな」
「軽いなあ」
マリーが笑う。
「でも、ああいうのはだいたい本気だよ」
キールはすでに周囲の地形を見ていた。
修練場の広さ、岩場の位置、退避経路。
万一に備えているのがわかる。
匠一は石碑の前に立ったまま、短く言った。
「始めろ」
それが合図になった。
◇
先に動いたのはアロ次郎だった。
巨体に似合わぬ速さで踏み込み、低く首を滑らせる。
噛みつきではない。
斬り込むような軌道だった。
ショータは目を見開く。
「速っ――」
ケンタは半歩だけずれた。
紙一重。
白い歯列が、袴の裾をかすめる。
もしまともに入っていたら、胴ごと持っていかれていた。
だがケンタは慌てない。
人化した姿のまま、最小限の動きで間合いを外し、返す刃でアロ次郎の鼻先を狙う。
アロ次郎が首を引く。
浅い。
だが、見切っていた。
「……へえ」
マリーが少しだけ目を細めた。
「ちゃんと剣士だ」
ダンが笑う。
「レイピア使いの恐竜って感じだな」
まさにそんな動きだった。
アロ次郎の攻撃は重さより速さ。
細く鋭く、急所を裂きにくる。
対するケンタは、受けない。
流す。
ずらす。
踏み込みを読んで、最短で返す。
剣竜流。
ショータはその名を、初めて戦いの中で見た気がした。
◇
二合、三合と打ち合うたび、修練場の空気が変わっていく。
アロ次郎は恐竜の姿のままなのに、動きに無駄がない。
首の振り、体重移動、爪の置き方、その全部が洗練されていた。
獣の暴力ではない。
技だ。
「なんであんなに綺麗に動けるんだよ」
ショータが呟く。
ニールが短く答える。
「反復。実戦。最適化」
「つまり?」
「死ぬほど戦ってきた」
それだけで十分だった。
ケンタもまた、ただの道場主ではなかった。
袴姿の少年のまま、地を滑るように動く。
剣は大振りしない。
必要な分だけ振るい、必要な分だけ下がる。
時折、その足運びに恐竜の名残が見えた。
重心が低い。
踏み込みが強い。
人の剣術なのに、根っこは剣竜だ。
アロ次郎の牙が横薙ぎに走る。
ケンタは身を沈めて避け、そのまま懐へ潜り込んだ。
「そこだ!」
ダンが叫ぶ。
だがアロ次郎は前脚をひねり、地面を抉るように蹴って体をずらした。
ケンタの刃は肩口を浅く裂くだけに終わる。
血が散る。
それでもアロ次郎は笑っていた。
「悪くない」
「どうも」
ケンタの返事は短い。
その目は、もう弟子のものではなかった。
師範の目だった。
◇
道場の奥では、三人の門下生が固唾を呑んで見ていた。
「師範、勝てるよね……」
トゲ丸が小さく言う。
リンは唇を引き結ぶ。
「勝つ。師範だから」
ソウは何も言わず、ただショータの袖を少しだけ掴んでいた。
ショータはその手の震えに気づく。
怖いのだ。
当然だと思う。
自分たちの道場。
自分たちの師範。
その看板が、今まさに試されている。
「大丈夫」
ショータは小さく言った。
「ケンタさん、強いから」
言いながら、自分にも言い聞かせていた。
◇
アロ次郎が一度、大きく距離を取った。
片目でケンタを見据え、低く唸る。
「剣竜が剣を持つなど、酔狂だと思っていた」
風が吹く。
「だが、違うらしい」
ケンタは剣先を下げずに答えた。
「僕は、師匠に拾われました」
「……」
「生きるために剣を覚えた。
生き残るために、教えるようになった」
アロ次郎の喉が、低く鳴る。
「ならば、その剣は飾りではないな」
「最初から飾りじゃない」
その瞬間、空気が張り詰めた。
次の一撃で決まる。
誰もがそう感じた。
◇
アロ次郎が突っ込む。
今までで最速だった。
巨体が消えたように見えた。
白い歯列が一直線に走る。
まるでレイピアの刺突だ。
ケンタは動かない。
いや、動けないのではない。
待っている。
ぎりぎりまで引きつける。
「師範!?」
トゲ丸が叫ぶ。
次の瞬間、ケンタの姿がぶれた。
半歩。
たった半歩だけ、斜め前へ。
刺突の軌道を外しながら、最短で懐へ入る。
そして、下から上へ。
剣閃が走った。
アロ次郎の動きが止まる。
巨体が、二歩、三歩と進み――そこで止まった。
静寂。
やがて、アロ次郎の頬から肩口にかけて、細い赤線が走る。
遅れて血が噴いた。
致命傷ではない。
だが、勝負は決していた。
急所を取られていた。
殺そうと思えば殺せた一撃だった。
アロ次郎はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと首を下げた。
「……見事」
ケンタも剣を収める。
「ありがとうございました」
その礼は、敵へのものでもあり、剣へのものでもあった。
◇
張り詰めていた空気が、一気にほどけた。
「勝ったぁーっ!」
トゲ丸が飛び上がる。
リンも小さく拳を握る。
ソウはその場にへたり込みそうになっていた。
ハナがぱっと笑う。
「すごい……!」
ダンは腕を組んで、満足そうに頷いた。
「ちゃんと師範やってんな」
「うん。思った以上に、ちゃんと強い」
マリーも素直に感心していた。
キールは短く言う。
「看板に傷なし。合格だな」
匠一は石碑の前から動かず、ただ一言だけ告げた。
「悪くない」
ケンタの顔が、一瞬で明るくなる。
「はい!」
その返事に、ダンが吹き出した。
「褒められ耐性なさすぎだろ」
◇
アロ次郎は傷口を気にする様子もなく、石碑を見上げた。
「剣竜流道場」
新しい文字を、片目でじっと見る。
「その看板、掲げる資格はある」
ケンタは静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
「だが」
アロ次郎が口元をわずかに歪める。
「次は、もっと本気で来る」
ダンが笑う。
「また来るのかよ」
「道場破りだからな」
マリーが肩をすくめる。
「律儀だね」
アロ次郎はそれ以上何も言わず、身を翻した。
古傷だらけの巨体が、岩場の向こうへ消えていく。
その背中は敗者というより、次を約束する剣士のものだった。
◇
戦いの後、門下生たちはケンタの周りに集まっていた。
「師範すごかった!」
「最後のあれ何!?」
「半歩しか動いてなかった!」
ケンタは少し困ったように笑う。
「あとで説明する。ちゃんと見て、ちゃんと覚えるんだ」
「はい!」
三人の返事が揃う。
ショータはその様子を見て、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
ただ強いだけじゃない。
生き残った者が、次を育てている。
それが、なんだか嬉しかった。
匠一が石碑に背を向ける。
「帰るぞ」
「もうですか!?」
ケンタが慌てる。
「看板は書いた。道場破りも終わった」
「確かに終わったけど!」
ダンが笑いながら肩を叩く。
「また来るって。次までに弟子増やしとけよ、師範」
「はい!」
マリーがくすっと笑う。
「返事だけは本当にいいね」
ハナは門下生たちに手を振り、ショータも小さく会釈した。
《ソラ》へ戻る前、ケンタはもう一度、石碑を見上げた。
剣竜流道場
師匠の字。
自分の道場。
守るべき門下生たち。
全部が、そこにあった。
ジュラ紀の風が吹く。
新しい看板は、もうただの石ではなかった。
それは、剣竜流の始まりそのものだった。




