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見難い火傷の子  作者: 清風
214/610

薬効知識簒奪(さんだつ)事件

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子214


薬効知識簒奪さんだつ事件


――青銅の時代。

深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層


この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


草は森となり、虫は獣となり、

そして――薬は、命を左右する“権力”になる。


「……でかすぎない?」


メリーが呆れた声を出す。


足元の草が、すでに肩の高さを超えている。

葉一枚で人を隠せるほどの密度だ。


「環境倍率八倍。計算通りだな」


ピコハンは平然と周囲を観察している。


「ただし問題は――」


「匂い、強すぎる」


アンナが眉をひそめた。


風に乗ってくるのは、濃密すぎる植物の気配。

薬にも毒にもなる、境界の匂い。


「……ここ、長くいたら普通に死ぬな」


ナックルが鼻を押さえる。


「だから依頼が来た」


ハリセンが短く言った。


彼らの前に広がるのは、小さな集落。

いや、本来は“小さかった”はずの場所。


だが今は、巨大化した環境に押し潰されるように、

かろうじて形を保っている。


「『灰土家』、だったよね」


メリーが確認する。


「代々、火傷に効く薬を作ってた」


「“だった”じゃない」


アンナが小さく首を振る。


「今も作ってる」


「……でも使えない、か」


ピコハンが苦い顔をする。


■薬効知識簒奪事件。


神殿が“神授の薬”として登録したそれは、

元はこの村――灰土家の秘薬だった。


だが今。


それを使えば違法。

売れば重罪。


そして神殿の薬は――高価すぎる。


「結果、人が死ぬ」


ハリセンの声は平坦だった。


感情はない。だが、判断はすでに終わっている。


「……来る」


アンナが呟いた。


次の瞬間、草が割れた。


現れたのは、巨大な甲虫。

人の三倍はある殻が光を反射する。


「うわ、来た!」


「戦闘入る」


ピコハンが一歩下がる。


「右に引け」


ハリセンの指示は即座だった。


ナックルが前に出る。


「任せろ!」


拳一発。


――だが。


「硬っ!?」


弾かれた。


「外殻、通常の八倍以上だな」


ピコハンが即座に分析する。


「弱点は関節。左脚、付け根」


「了解!」


ナックルが踏み込む。


その瞬間。


「――今、引いて」


アンナの声。


ハリセンは一瞬で判断した。


「全員、下がれ」


ナックルですら反射的に引いた。


次の瞬間。


地面が爆ぜた。


もう一体、潜んでいた個体が飛び出す。


「二体かよ!」


「想定内だ」


ピコハンはすでに位置を把握している。


「誘導する。三歩前、倒木の裏」


「押す」


ハリセンの一言で、全員が動いた。


連携は、迷いなく繋がる。


ナックルが一体を引きつけ、

ピコハンが位置を制御し、

メリーが声で動きを整え、

アンナが“ズレ”を拾う。


そして。


「――今だ」


ハリセンの合図。


関節部に集中攻撃。


殻が割れ、巨体が崩れ落ちた。


「……はぁ」


メリーが息をつく。


「ここ、普通に危険地帯だね」


「だからこそ」


ハリセンは倒れた甲虫を一瞥する。


「この環境で成立してた薬は、価値がある」


その時。


村の奥から、老人が現れた。


「……冒険者か」


かすれた声。


だが目は、まだ死んでいない。


「灰土家の方ですか?」


メリーが前に出る。


「だった、な」


老人は苦笑した。


「今はただの罪人だ」


沈黙が落ちる。


風が草を揺らす。


濃い薬草の匂いが、鼻を刺す。


「薬、作ってますよね」


アンナが言った。


老人の目が、わずかに揺れる。


「……なぜ分かる」


「匂いが同じ」


短い答え。


だが確信だった。


「……ああ」


老人は目を閉じた。


「作っている。だが使えん」


「使えば、神殿に捕まる」


ピコハンが補足する。


「……あの薬がないと、死ぬ」


老人は言った。


「だが、あれは“神のもの”らしい」


自嘲だった。


沈黙。


「異議あり」


その一言で、空気が変わった。


全員がハリセンを見る。


「――それは違う」


短い否定。


だが、重い。


「その薬は、ここにある」


ハリセンは地面を指した。


「ここで作られて、ここで使われてきた」


一歩踏み出す。


「なら、それは“ここのもの”だ」


老人は、言葉を失った。


「……神殿に、喧嘩売る気か?」


ナックルが笑う。


「売る」


即答だった。


「押すか」


ピコハンが息を吐く。


「押す」


メリーが小さく笑った。


「じゃあ、止める役いなくなるね」


「必要なら止めろ」


「うん、無理そう」


アンナが、静かに言う。


「……来るよ」


遠く。


巨大な影が動く。


神殿の使者か。

それとも、この地の主か。


どちらにせよ。


「速く行く」


ハリセンは振り返らない。


赤い閃光は、走り出す。


記録ではなく、現実の中へ。


神殿は、他者の積み重ねた努力の上に立ち、利益を独占する。

神の名の下に正当化されたそれは、いつしか欲に塗れ、

最も弱い者――貧しき者から順に、その皺寄せを押し付けていた。


奪われたのは、ただの薬ではない。

生き延びるための術であり、家の誇りであり、

積み重ねられた時間そのものだ。


ならば――力で取り返すか。


世には、影に生きる刃もある。

金で動く暗殺者たち。

だが彼らもまた、より多くを払う者に従うだけ。

結局は、富ある者の手の延長に過ぎない。


奈落ダンジョンであれば、話は別だった。

あの底なしの世界では、命の価値は平等に軽い。

“必殺試食人”のような狂気すら、均衡として機能する。

だが――ここは深淵ダンジョン。


秩序があり、支配があり、そして“記録”がある世界。


正しさは、書かれた側に宿る。


では――書かれていない者は、どうすればいい。


奪われたまま、諦めるのか。

それとも――奪い返すのか。


灰土家に積もる恨みは、まだ形を持たない。

だがそれは確かに、燃え続けている。


その火が、やがて誰かを焼くのか。

それとも、闇を照らすのか。


――答えは、まだ出ていない。


神殿審問戦


戦いは、法廷に移った。


深淵ダンジョン第十五エリア中央神殿。

石で組まれた巨大な広間は、戦場とは別の意味での“圧”を持っていた。


高く掲げられた神像。

壁一面に刻まれた楔形文字。

そして、最奥――


段上に座す神官たち。


「――これより、審問を開始する」


低く、響く声。


空気が一瞬で凍りついた。


被告席に立つのは、灰土家の老人。

その隣に、赤い閃光の五人。


対するは、大神殿医薬院の神官。


完全に、構図は決まっていた。


「罪状は明白である」


神官が言う。


「神授の薬を無断で製造・使用。これは神への冒涜であり――」


「待った」


静かな声が割り込んだ。


全員の視線が、一斉に集まる。


ハリセンだった。


「……申立人、発言を許す」


神官の眉がわずかに動く。


「その薬は“神授”ではない」


ハリセンは一歩も引かない。


「元から、この家のものだ」


ざわめきが広がる。


だが神官は動じない。


「証拠は」


短く、冷たい。


「記録だ」


神官が指を鳴らす。


書記が石板を差し出す。


そこには、整然と刻まれた記述。


「神託により発見された薬――」


完璧な証拠だった。


「……違う」


今度はピコハンだった。


一歩前に出る。


「その記録、不自然だ」


「ほう?」


神官の目が細まる。


「材料の記述。第三項」


ピコハンは即座に指摘する。


「この地域に存在しない水質が前提になっている」


ざわめき。


「……神の御業は、人知を超える」


神官の返しは早い。


「それは逃げだ」


ピコハンは即答した。


「この薬は“この土地”でしか成立しない」


「それは証明か?」


「できる」


即答だった。


「違うの」


今度は、アンナ。


小さな声。


だが、不思議と通る。


「……匂いが違う」


失笑が漏れる。


だがアンナは気にしない。


「神殿の薬、同じじゃない」


神官の目が、わずかに揺れた。


「感覚論は証拠にならぬ」


「なら」


メリーが一歩前に出る。


「ここで作りましょうか」


沈黙。


「同じ材料、同じ手順で」


にこりと笑う。


「神授なんですよね?」


逃げ道が、消えた。


「……許可しよう」


神官の声は低い。


だが、拒否はできない。


その場で準備が進む。


巨大な器具。

持ち込まれた材料。


だが――


「……おかしい」


神官の一人が呟く。


「再現できない……?」


ピコハンが静かに言う。


「水だ」


全員が止まる。


「この土地の水じゃないと、成立しない」


指を差す。


「灰土家の井戸」


ざわめきが爆発する。


「――異議あり」


最後に、ハリセン。


一歩前へ。


「その薬は、ここで生まれた」


「ここで使われてきた」


「ここで、人を救ってきた」


一拍。


「なら、それは“ここのもの”だ」


沈黙。


完全な沈黙。


神官たちは、言葉を失っていた。


「……まだ、神のものだと言うか?」


ナックルが笑う。


拳を鳴らす。


神像の炎が、揺れた。


それが、何を意味するのか。


誰も、すぐには言葉にできなかった。


だが確実に――


何かが、崩れ始めていた。


――審問は、日を改めることとなった。


だが。


それは終わりではなく、始まりだった。


夜。


中央神殿の奥、灯りの届かぬ回廊。


人払いされたその場所に、数人の神官が集まっていた。


「……想定以上だな」


低い声。


「ただの辺境の薬師と思っていたが、ここまで食い込んでくるとは」


別の神官が舌打ちする。


「問題はあの冒険者だ。“赤い閃光”……か」


「判断が速い。崩し方を知っている」


「記録の穴を突いてきた」


沈黙。


重い空気。


「――このままでは、負ける」


誰も否定しない。


「ならばどうする」


短い問い。


すぐに答えが出る。


「証を潰す」


空気が冷えた。


「灰土の井戸」


「薬の成立条件だ。あれが証拠になる」


「ならば――」


「枯らせ」


一言。


それだけで決まった。


「水脈に手を入れるか」


「いや、痕跡が残る」


「ならば毒を混ぜる」


「……証拠ごと無効化か」


静かに、決定が積み重なる。


「もう一つ」


別の神官が口を開く。


「証人も問題だ」


「老人か」


「違う。あの女だ」


アンナ。


「あれは危険だ。言語化できぬが、確実に核心を突く」


「ならば――」


「消すか?」


一瞬の沈黙。


「……露骨すぎる」


首が振られる。


「事故に見せろ」


淡々とした声。


人の生死が、ただの手順になる。


「冒険者の一人を分断するのも手だ」


「盾役の男……ナックルか」


「挑発に乗る」


「切り離せば戦力は落ちる」


「買収は?」


「通じん。あの連中は金で動かない」


「ならば――弱い所を突く」


「村人だ」


また一つ、結論が出る。


「薬が使えなくなればどうなる」


「死ぬ」


「ならば恐怖で縛れる」


完全な静寂。


やがて、一人が言った。


「……神の名の下に、か」


誰も笑わない。


「当然だ」


灯りが消える。


その頃。


灰土の村。


夜風が、井戸の水面を揺らしていた。


わずかな波紋。


だがそれは、何かが落ちた証だった。


「……来た」


アンナが目を開ける。


「何が?」


メリーが振り返る。


「嫌な流れ」


短い言葉。


だが、それで十分だった。


ハリセンは、すでに立ち上がっていた。


「動く」


それは命令ではない。


判断だった。


「押すか」


ピコハンが息を吐く。


「押す」


夜が、静かに軋む。


見えない戦いが、始まっていた。


夜の対処戦


夜は、静かに壊れていた。


灰土の村。


井戸の水面に広がる、わずかな波紋。

それは風ではない。


「……混ざってる」


アンナが低く言った。


ハリセンは一歩で井戸へ。


柄杓を取り、水を掬う。


匂いを嗅ぐ。


――一瞬。


「捨てろ」


即断だった。


ナックルが眉をひそめる。


「何だ?」


「毒だ」


空気が凍る。


「全員、井戸から離れろ!」


メリーが即座に村人へ叫ぶ。


その声は、恐怖を抑えながらも確実に届く。


「まだ飲んでねぇよな!?」


ナックルが村人に詰め寄る。


「い、いや……」


「夕方に少し……」


ピコハンが地面に膝をついた。


水を一滴、指に乗せる。


舌には乗せない。


匂いと反応だけで読む。


「……ゆっくり効く毒」


「今すぐ倒れる類じゃない」


「だが溜まっていく毒だ」


「解除できる?」


メリー。


「できる」


アンナが即答した。


全員が見る。


「元の薬で」


沈黙。


灰土の老人が、ゆっくりと首を振る。


「……作れん」


「作れば、罪になる」


一瞬の間。


「関係ない」


ハリセンが言った。


「作れ」


言葉は短い。


だが、全てを切り捨てる重さがあった。


「……いいのか」


老人の声が揺れる。


「人が死ぬ」


ハリセンはそれだけ言った。


ナックルが笑う。


「上等だ。神殿でも何でも来い」


「材料は?」


ピコハンがすでに動いている。


「森の奥だ……だが夜は――」


「案内しろ」


躊躇はなかった。


■分断


「三班に分ける」


ハリセンが即座に指示を出す。


「ナックル、メリー」


「村を守れ。井戸には誰も近づけるな」


「任せろ」


「ピコハン、アンナ」


「材料取り」


「了解」


「俺は――」


一瞬。


「全部見る」


その言葉で十分だった。


■森


夜の森は、別物だった。


巨大な植物が影を作り、

気配が歪む。


「……いる」


アンナ。


次の瞬間。


地面が裂けた。


巨大な多足虫。


八倍環境の化け物。


「来たな」


ピコハンは冷静だった。


「右に三歩、根の裏」


アンナが動く。


ピコハンが位置を取る。


「誘導する」


虫が突進。


だが足を取られる。


見えない罠。


「地形利用、完了」


「速い」


アンナが一言。


「褒めるな、集中しろ」


関節を狙う。


一撃。


崩れる。


「材料確保、優先」


戦闘は最短で終わる。


それがこのパーティだった。


■村


「近づくなって言ってるだろ!」


ナックルが怒鳴る。


震える村人。


だが、その目は井戸に向いている。


「飲めば楽になるかもしれない」


誰かが呟く。


「馬鹿言うな」


ナックルが睨む。


その時。


「――来たよ」


メリーが静かに言った。


影が動く。


黒装束。


神殿の影。


「証拠、消しに来たか」


ナックルが笑う。


「いいぜ」


拳を鳴らす。


「相手してやる」


■迎撃


一瞬で距離が詰まる。


だが――


「遅い」


ナックルの拳が先に届く。


一人、沈む。


二人目。


三人目。


だが数が多い。


「メリー!」


「任せて!」


声が飛ぶ。


「左、三歩下がって!」


その一言で、ナックルの動きが変わる。


背後からの刃が空を切る。


「助かる!」


「当然!」


連携。


それが、このパーティの強さだった。


■再集結


森から戻る二人。


「間に合う」


ピコハン。


「全部揃った」


アンナが頷く。


ハリセンは一度だけ周囲を見た。


村。


井戸。


倒れた影。


全てを確認し――


「作る」


■決断


火が灯る。


灰土の薬。


禁じられたはずの技術。


だが。


「今は関係ない」


ハリセンの一言で、全てが動く。


薬が作られる。


そして。


一人の子供が、口に含む。


沈黙。


やがて。


「……楽になった」


小さな声。


それで十分だった。


誰も、もう迷わない。


「証明、完了」


ピコハンが言う。


「これで逃げられない」


ハリセンは頷いた。


「次で終わらせる」


夜が明ける。


戦いは、判決へ。



――救われたもの



夜が明けた。


中央神殿。


再び集められた人々のざわめきは、昨日とは違う色を持っていた。


期待。

不安。

そして――疑念。


灰土の老人は、静かに立っている。

その背は小さい。だが、昨日よりも揺らいでいなかった。


隣には、赤い閃光。


「……これより、判決を下す」


神官の声が響く。


一拍。


「本件、薬効知識簒奪の訴えについて――」


空気が張り詰める。


「神意は、示された」


誰も動かない。


「当該薬の起源は――」


わずかな間。


「灰土家に帰属するものと認める」


ざわめきが爆発した。


「やった……!」


誰かが声を上げる。


灰土の老人は、ただ目を閉じた。


だが。


「ただし」


空気が、再び凍る。


「本薬は神授資源としての性質も併せ持つ」


神官は続ける。


「よって、その流通および大規模な製造は神殿の管理下に置かれる」


歓声は、止まった。


「……まだ搾り取る気かよ」


ナックルが低く呟く。


だがハリセンは、動じない。


「問題ない」


短い言葉。


全員が彼を見る。


「使える」


それだけ言った。


ピコハンが小さく息を吐く。


「……確かに」


メリーが微笑む。


「命は守れるね」


アンナが頷く。


「うん。もう、死なない」


神官は最後に告げた。


「灰土家は正式な薬師として登録される」


「その技術の使用は認められる」


それは。


完全な勝利ではない。


だが。


「――救える」


ハリセンはそう言った。


その瞬間。


運び込まれた担架。


苦しむ人々。


昨日、毒を飲んだ者たち。


「薬を」


メリーが即座に動く。


灰土の老人が、震える手で薬を渡す。


一人。

また一人。


やがて。


「……助かった」


その声が、広間に広がった。


静寂。


神官たちでさえ、何も言わなかった。


それは否定できない現実だった。


「……記録せよ」


神官が静かに言う。


書記が石板に刻む。


楔形文字。


「本薬、灰土家起源」——その一文を、若い書記が震える手で刻む。


それは――


初めて、正しく刻まれた記録だった。


ナックルが鼻で笑う。


「最初からそう書けって話だ」


「でも、書かれた」


メリーが言う。


「それで変わる人もいる」


アンナは、遠くを見る。


「……広がるよ」


その言葉は、確信だった。


この薬は。


この知識は。


灰土の村だけのものではなくなる。


バビロニア共和国をはじめとした、

多くの人の命を救う。


奪われたはずの知識は。


今、初めて。


正しく使われ始めた。


ハリセンは振り返らない。


「行くぞ」


戦いは終わった。


だが。


世界はまだ、変わらない。


それでも。


一つだけ確かなことがある。


「――助かった命がある」


それで十分だった。


赤い閃光は、歩き出す。



――残された火



風が、変わっていた。


灰土の村。


あれほど濃く、重くまとわりついていた空気は、

どこか軽くなっている。


それでも。


すべてが元通りになったわけではない。


井戸の水面は、静かだ。

だが一度混ぜられた“異物”の記憶は消えない。


「……これで終わり、じゃないよね」


メリーがぽつりと呟く。


「終わらない」


ハリセンは即答した。


「続く」


短いが、十分だった。


灰土の老人は、薬を仕分けている。

手はまだ震えているが、その動きに迷いはない。


「……まさか、こんな形で残るとはな」


苦笑。


「残ったんじゃない」


アンナが言う。


「戻った」


老人は目を見開く。


「……そうか」


小さく、頷いた。


その言葉は、誰よりも重かった。


判決の夜、灰土の老人は井戸に薬を一滴だけ垂らした。「次に飲む者のためだ」と誰にともなく呟いた。


■村の変化


人の出入りが増えていた。


遠くから来た者。

薬を求める者。

話を聞きに来る者。


「有名になっちゃったね」


メリーが苦笑する。


「面倒も増える」


ピコハンが即答する。


「神殿も放置はしないだろうな」


「来るなら来い」


ナックルが肩を鳴らす。


「次は壊すだけだ」


「壊す前に考えろ」


ピコハンが即座に返す。


「壊した方が早い」


「だからダメなんだよ」


いつものやり取り。


だが、少しだけ空気が柔らかい。


■残ったもの


「……ありがとう」


村の子供が、小さく頭を下げる。


その頬には、まだ火傷の跡が残っていた。


だが。


「痛くない」


その一言で、すべてが報われる。


ナックルが目を逸らす。


「……よかったな」


それだけ言った。


■記録


中央神殿。


石板に刻まれた新しい一文。


「本薬、灰土家起源」


楔形文字。


それは、ただの文字だ。


だが。


「……これで、消えない」


若い書記が呟く。


誰にも聞かれない、小さな声。


■神殿の奥


暗い部屋。


「……認めたか」


低い声。


「一時的だ」


別の声が返す。


「流れは変えられん」


「ならば、流れごと制御する」


静かな決意。


火は、消えていない。


■出発


「行くぞ」


ハリセンが言う。


荷物は少ない。


いつも通り。


「次はどこ?」


メリーが聞く。


「まだ決めてない」


「珍しいね」


「決めるのは、動いてからだ」


アンナが空を見る。


「……また来る」


「何が?」


「同じの」


曖昧な言葉。


だが。


「なら、また潰す」


ナックルが笑う。


「その前に考える」


ピコハンが返す。


「両方やればいい」


メリーがまとめる。


ハリセンは、ただ一言。


「速く行く」


赤い閃光は、歩き出す。


救われた命がある。

だが、救えなかった名も、ハリセンは覚えていた。


それでも。


止まらない。


この世界で、生きるために。


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