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見難い火傷の子  作者: 清風
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192/532

バビロンから来た留学生

挿絵(By みてみん)

見難い火傷の子192


バビロンから来た留学生


――青銅の時代。

深淵ダンジョン第十六エリア、第四紀完新世層


この地では、生きるものすべてが八倍の大きさで存在する。


朝靄の中、隊列がゆっくりと姿を現した。


最初に気づいたのは、門を守るアケメネスの兵たちだった。


整っている。

そう見えた。


だが、近づくにつれて、その感覚は奇妙な違和感へと変わっていく。


服装は揃っていない。

色も違う。

形も違う。

身につけているものに、統一された意匠は見当たらない。


それでも――乱れていない。


歩幅はばらばらなのに、列は崩れない。

誰かの号令に合わせているようには見えないのに、不思議と流れがある。


一人の兵が、思わず呟いた。


「……あれが、来たのか」


バビロンからの留学生たち。


その先頭を歩いているのは、ハリセンだった。


軽い足取りで、まるで旅人のように周囲を見渡している。

警戒していないわけではない。

だが怯んでもいない。


「へぇ……」


興味深そうに、彼は城壁を見上げた。


その隣で、ピコハンは無言のまま地面に視線を落としている。

石の硬さ。

敷き方。

継ぎ目。

わずかな歪み。


ただ歩いているように見えて、その目はずっと街の構造を拾っていた。


アンナは人を見ていた。


兵の視線。

商人の足の向き。

子どもたちがこちらへ寄る距離。

止まって見る者と、見ないふりをする者。


街の空気そのものを測っているようだった。


そしてメリーは――笑っていた。


「思ったより、真面目な国だね」


その一言に、近くにいた兵がぴくりと眉を動かす。


顔をしかめた者もいた。

だが、誰も反論しなかった。


ここは規律の国だ。

整っている。

揃っている。

命令は上から下へ、真っ直ぐ落ちる。


その強さを、彼らは誇ってきた。


けれど同時に、この国はどこか止まっていた。


整っているがゆえに、崩し方を知らない。

揃っているがゆえに、外れ方を許せない。


その空気を、バビロンの四人は門をくぐるだけで嗅ぎ取っていた。


ハリセンが、ふと振り返る。


「ねぇ」


軽い声だった。


だが、その場の空気を切り替えるには十分だった。


「変える気、ある?」


誰か一人に向けた言葉ではない。

問いかけた相手すら曖昧だった。


それなのに、兵たちは息を止めた。


訪問ではない。

観察でもない。


これは――持ち込まれたのだ。


バビロンという“現象”そのものが。



広場には、翼ある円盤の印が掲げられていた。


その下に組まれた演台の前で、アケメネスの将校が四人を迎える。

周囲には兵、役人、見物に来た商人たち。

誰もが、この異質な客人たちを値踏みするように見ていた。


将校は粘土板を脇に抱え、低い声で告げる。


「三ヶ月。学ぶこと、教えること。その間、規律は守れ」


ハリセンが、すっと片手を上げた。


「規律は“やり方”だろ」


気負いのない声で言う。


「目的が先に要る」


広場に、短い沈黙が落ちた。


将校の眉がわずかに動く。

だが、叱責は飛ばなかった。


先に口を開いたのは、ピコハンだった。


彼は足元の敷石にしゃがみ込み、端の目地を指でなぞる。


「ここの角、雨で滑る」


それだけ言って、立ち上がる。


「端の詰め方を変えると、転倒が減る」


将校が足元を見る。

今まで気にしたこともないような場所だった。


アンナは、少し離れた位置で見張りの兵たちを見渡していた。

視線の交差。

持ち場の癖。

人の流れが薄くなる一点。


「見張りの死角は、壁じゃなくて“人の動き”に出る」


彼女は静かに言った。


「列の作り方、変えられる」


また、沈黙。


今度は誰も彼女の顔を見返せなかった。

図星だったからだ。


メリーはそんな空気を眺めながら、くすりと笑う。


「真面目なのは良いこと」


少しだけ首を傾げる。


「でも、息が詰まるよ」


柔らかな言い方だった。

だが、その一言が一番深く刺さった。


整った国。

正しい国。

崩れぬ国。


けれど、そこにいる者たちがどこか苦しそうに見えることを、彼女は一目で見抜いていた。


将校はしばらく黙っていたが、やがて一枚の粘土板を差し出した。


交換留学生登録の板だった。


そこには、すでに必要事項が刻まれている。

その余白に押された印を見て、ハリセンの目がわずかに細くなる。


少し曲がっていた。


綺麗に整えられた官印ではない。

どこか人の手の癖が残る、不格好な印。


タリアが持たせた控えの写しだ。


ハリセンは、小さく呟く。


「……帰る場所、か」


その言葉に、ピコハンがわずかに目を上げた。

アンナは何も言わず、メリーだけが少し笑みを深くする。


ハリセンは粘土板を受け取り、自分の名を自筆で書き足した。


続いて、ピコハン。

アンナ。

メリー。


ばらばらの服。

ばらばらの歩幅。

ばらばらの筆跡。


それでも、並んだ名前には妙な一体感があった。


広場の端で、それを見ていた若い兵の一人が、無意識に帯を少しだけ緩める。


締めすぎていたことに、今、初めて気づいたように。


ほんのそれだけの変化だった。

だが、それで十分だった。


現象は、もう持ち込まれている。


制度としてではない。

教義としてでもない。


生き方として。



四人は案内役に促され、宿舎へ向かって歩き出した。


その背を見送りながら、広場に残った者たちは誰も口を開かなかった。


たった数言。

たった数歩。

それだけで、自分たちの“当たり前”の輪郭が少し揺らいでしまったからだ。


アケメネスは整っている。

それは確かだ。


だが、整っていることと、進んでいることは同じではない。


バビロンから来た四人は、それを説明しない。

説教もしない。

正しさを押しつけもしない。


ただ見て、拾って、口にするだけだ。


それだけで、止まっていたものが動き始める。


匠一から言われた言葉を、ハリセンはふと思い出していた。


――無理はするな、無茶はしろ。


無理はしない。

だが、遠慮もしない。


ここに来たのは、学ぶためだけではない。

持ち帰るためでもある。

そしてたぶん、少しだけ置いていくためでもある。


バビロンのやり方を。

バビロンの空気を。

バビロンの、「変われる」という感覚を。


朝靄はすでに薄れはじめていた。


翼ある円盤の印が、朝日に照らされる。

その下を、ばらばらの四人が崩れぬ列のまま進んでいく。


誰かが彼らを留学生と呼ぶ。


けれど、その実態は違った。


彼らは、人材ではない。

制度でもない。

もっと厄介なものだ。


バビロンという都が生んだ、変化そのものだった。

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