月夜の下で
深夜。それは数ある暗く深い夜の中において、最も重く闇が世界を覆い、時間を蝕み、また暗夜が限界まで深まる時間帯である。こつこつと秒針は恐怖に震えながら小さな時を懸命に奏で、時間を動かす。針金のように細いその針が、まるでひとつの世界を巡って来たかのように一回り、また一回りとする度に、かつんと長針がその歩みを進める。一歩、また一歩と長針が先に見える短針へと近づく度に、始まりの時は刻一刻と迫っていた。時刻は深夜一時五十八分。
地上3164階にも及ぶ超超超高層ビルの天辺に開けた殺風景な屋上。周囲を囲うフェンスは見る影もなく、しんと頭上を覆う満月だけが照らすその場所には、出入り口となる少し飛び出た四角いコンクリートの箱以外に、雑多な物々は何一つとして見受けられない。漠然と、コンクリートの床が広がるばかりであった。
そんなエベレスト山の頂をも凌駕する空虚な場所に、黒々と月光を照り返すフライパンをくわえた黒猫が一匹、その姿を現した。その体毛は辺りを覆う闇夜よりも深い黒を湛えている。ゆっくりと屋上の中心を目指して歩くその姿には、言いようのない緊張が漲っているようであった。それは一歩歩みを進む度にぴんと張り詰めて、更にはその純度を高めているようである。同時に、空中に漂う緊張の下では強大な殺意と威圧感が煮えたぎっていた。放っているのは黒猫である。そのあまりの気迫に、コンクリートの床は軋み、時には剥がれていく。物言わぬコンクリートの床は、なす術もなく、ただじっと息を殺して事態を見守るしかないようでもあった。もしくは、これから起きるであろう出来事に対して、深い恐怖と困惑を抱えるあまりに、ただ目を閉じ事態が収束するのを待ちわびているかのようだった。
黒猫は、鋭く切傷が入った右目で頭上高く広がる月夜を睨みつける。瞳はじっと一点を見つめて動かない。それは不意打ちを十八番とする敵の、一挙一動を逃さまいとするかの様に厳しく鋭い眼差しである。黒猫はじっと夜空を睨みつけながら歩み続け、やがて屋上の中心に、来るべき者を待つその場所にへとその腰を据えた。
濃厚な夜空を切り裂く一筋の光は、遠く闇のはるか向こう側にぽつりと輝く星々の間から現れた。彗星のごとく長い尾を引きながら、光は急速に屋上へと接近する。どうやら目的地はビルの屋上であるらしかった。いや、ビルの屋上にいるものとした方が正しいのだろう。近づく光を目にした黒猫は腰を上げ、全身の毛を逆立てると、大気を揺るがさんばかりの唸り声を上げた。そんな黒猫がいる屋上に向けて、光は更にその光度を増しながら突き進む。到着地点は紛れもなく黒猫であった。
高速で飛び来る光の実態が明らかになる。それは包丁をくわえた白犬だった。
太陽より明るく、月よりも神々しき輝きを纏う白犬は、闇よりもなお暗い黒猫へ向けて突進するや、大きく包丁を振りかぶり力の限り切り付けた。対する黒猫は強く床を蹴りつけ、フライパンを前に白犬に向かって特攻を仕掛けた。
刹那の閑暇を挟んで、宇宙に一番近い場所に、大気を切り裂かんばかりの衝撃と、大地に達するかのごとく轟音とが炸裂する。
そうして黒猫と白犬との戦いのゴングは高らかに鳴り響いたのであった。
完璧な悪乗り作品。状況が分かりません。




