1%の渇き
両腕に彼女の柔らかい重みが収まる。
その瞬間、命の写しが一気になだれ込んできた。
救うと決めた日から積み重ねた写し。手首の脈。バングル越しの波長。夜中の部屋で切り取ったあの髪の温度。すべてが腕の中の体温と一つに繋がる。
九十九パーセント。
エリシアがほうっと息をつき、身体の力を抜いた。その重みを受け止めた途端、張り詰めていた胸の奥までわずかにほどけた。
残り一パーセント。
最後の一片を受け取る場所が分かっているせいで、視線が唇へ落ちた。
今ここで届くのなら、彼女をヴォイドへ近づけずに済む。そう願いながら、術式を開いた。
造光が彼女の生光をなぞり、髪から得た写しと、腕の中の体温を一つずつ重ねていく。だが、最奥にあるはずの一パーセントだけが、閉じたまま動かない。
計算を変え、もう一度なぞる。それでも同じだった。欠けているのではない。彼女の生命のいちばん深い場所で、静かに眠っている。
閉ざされた生光の動きを追ううちに、条件だけが見えた。
最後の一片は、生命が脅かされ、それでもこの世へ戻ろうとする刹那にだけ表へ現れる。死を前にして、生きる方へ向かって打つ最大の拍動。そのときでなければ、唇を重ねても届かない。
腕の中のエリシアは、俺に身体を預けている。助かったと思ってくれているのかもしれない。その安らぎは、何より守りたかったものなのに、その中では最後の一パーセントが決して目を覚まさない。
(ここでは、取れない)
安全な腕の中では届かない。その事実が、背筋を冷やした。
脳裏に浮かんだのは、レリクトゥムの底にあるヴォイドだった。三色を持つ者を見つけ、常人なら抗えない共鳴で引き寄せる、世界の傷だ。その呼び声を最も強く受けるのが、エリシアだった。
エリシアが自分からあの底を選ぶことはない。最後まで抗う。それでも、抗う意志ごと引き込む力が、あの穴にはある。
最後の一パーセントを得るには、その共鳴へ彼女を近づけ、なお生きようと抗う一瞬を待たなければならない。そして現れた拍動を受け取ると同時に、彼女を奪い返す。
つまり俺は、何も知らずに安堵しているエリシアを、自分の腕で死の縁まで運ぶことになる。
最低だ。
もし共鳴が、彼女の意志より強かったら。抗うための一瞬さえ与えず、あの底へ引き込んだら。
恐怖が喉を塞いだ。
それでも、ここで引き返せば、彼女を蝕むものも、ヴォイドの呼び声も残る。もう一度奪われる日を待つだけだ。
試されるのは、エリシアではない。俺の方だ。
彼女が抗う一瞬を取り落とさず、必ずこちらへ連れ戻せるか。
(連れて行く、そして連れ戻す)
腕の中の体温を、もう一度だけ確かめた。すべてを知ったあと、彼女が俺から離れることを選ぶなら、そのときは受け入れる。受け入れられるかどうかではない。生きて選ぶ彼女から、今度こそ、その自由まで奪ってはいけない。
今はただ、その選択ができる明日まで連れて行く。
ここまでの演算に、実際には三呼吸もかかっていない。それでも、選んだ道の重さが胸へ沈むには充分だった。
首飾りを取り出す。アメジストが灯りの中で静かに光る。花の壁の左端の一輪へ押し当てた。
次の瞬間、光が折り畳まれた。
刻の栞が開く。時の記憶が折り重なり、遠くにあるはずの場所が近づく。空間の向こうに、女神が最後に向かった聖域が滲んだ。
「目を閉じて」
エリシアは、一瞬もためらわずに目を閉じた。その信頼に胸を刺されながら、腕の中の彼女ごと門へ踏み込んだ。




