もしも、貴女が
燭がひとつ、灯っていた。
夜更けの大聖堂、その奥の私室。とうに人払いは済ませてある。
机に置かれた一通は、視察官が早馬で寄越したものだ。
私は、その報告書を三度読んだ。
第三の聖域、ボレアス。
視察官が持ち帰った文面は、いつもの実務報告の体裁を保っていた。時刻、立会者、完了光の色、石鳴りの長さ。整った文字で、必要な事実だけが並んでいる。
だが、行間が震えていた。
あの男は、見たものを言葉にしきれていない。
空中に展開された、六重の万華鏡。
石が歓喜のように鳴いたこと。
そして、部屋がアメジストの光に包まれたということ。
私は、その一行の上で指を止めた。
アメジスト。
三色が完全に交わる時にしか現れない色。視察官は、あの娘の瞳と寸分違わぬ色だったと書いている。
落ち着きなさい。
私は自分に命じた。
あの娘は、聖女一族の出とはいえ、神殿の承認を経ぬ身だ。国の密命を受け、女神の御業を、人の手で、許しもなく書き換えている。
私はそれを冒涜と断じた。
だから密かに排除を命じた。
幾度も。
だが、私の放った刃は、ことごとく届かなかった。
一度なら偶然と言えよう。
二度なら、ラインハイトの小倅の手際と見ることもできよう。
しかし、幾度も。
まるで、見えぬ手が、あの娘を覆っているかのように。
人の刃では、触れられぬ。
その考えが胸に兆したとき、私は自分を恥じた。
願望だ。
老いた信徒の、見たいものを見ようとする弱さだ。
そう切り捨てようとして、切り捨てられなかった。
私は知っている。
この国の政のすべてを。
神殿が何のために立てられ、誰の手の内で動かされているかを。王権と神殿の均衡など、民に見せるための美しい幕にすぎぬことを。聖域が国の手にあり、祈祷師が国から遣わされる駒であることを。
知っている。
知り尽くしている。
その上で、なお。
女神アステリアの御業に、嘘は一片もない。
政治は幕であろう。
神殿は装置であろう。
人の手は汚れていよう。
それでも、六百年前、この不毛の地を拾い上げ、人の住む国へ変えた御力は本物だった。女神は実在した。女神の御業には、人には測れぬ大きな代償があった。
その代償を知っているからこそ、私は膝を折る。
その真実を知っているからこそ、私は信じる。
では。
その御業が今、再びこの世に現れているのだとしたら。
あの娘が御業を犯す異端者ではなく、御業を継ぐ器であるとしたら。
いいや。
まだ早い。
信徒の飢えが、目を曇らせてはならぬ。
私は報告書を閉じた。
第四の聖域で、この目で確かめよう。
冒涜者を裁くために、と唇では唱えた。
だが、その祈りの奥で、別の言葉が脈打っている。
もしも。
もしも、貴女が。
私が生涯、待ち望んできた御方であるなら。
私の膝は、もう震えていた。
恐れではない。
希望に。




