↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

76/102

三週間の設計

その翌日、父から短い書状が届いた。


『お前の愛は重い。書類の塔になる』


読み終えて、少し笑った。


父に積んだ仕事は、公爵家の手を動かし、物流と護衛線を組み替え、俺がエリシアの傍を離れなくて済む形へ寄せるためのものだ。


もちろん、嫌がらせでもある。


俺のいないところで彼女を危険へ近づけた報いくらい、受けてもらう。


続きの報告には、エリシアが公爵邸を訪ね、手土産の焼き菓子を広げ、父の頭を撫でたことまで自慢げに書かれていた。


書類の山に埋もれた父と、笑いを堪える執事と、状況を理解しないまま茶を飲むエリシア。


目に浮かぶ。


胸の奥が、少しだけ緩んだ。


あの家が彼女にとって、理由もなく立ち寄れる場所であればいい。父の頭を撫でていられる場所であればいい。


父には悪いが、仕事はまだ減らさない。


その日常を守るためにも、俺は動く。


    *


その夜、テオドールから短い書状が届いた。


『義兄様。姉様の蜜豆が増えました。嬉しそうでした。 ——テオドール』


しばらく、その一文を眺めた。


十三歳が、その観察眼で、わざわざ俺に報せてくる。姉の何を知っていて、何を知らないふりをしているのか。


この弟は、いつも俺の読み筋の一つ外側にいる。


共犯者として、これ以上なく頼もしく、これ以上なく油断がならない。


    *


その夜、書斎に一人でいた。


この数日で退けた刺客たちを、頭の中に並べる。


装備の質。身のこなしの練度。仕損じたときの退き際の速さ。どれも、その辺の食い詰め者ではない。かといって、正規の騎士でもない。


だが独特の匂いがある。神殿に通じている。


枢機卿(すうききょう)イグナティウスの差し金。そう確信した。


笑えない話だ。あの男は、俺の大叔父にあたる。ラインハイトの血を分けた一族が、遠いながらも同じ血を引く娘へ刃を向けている。


いや、あの男はエリシアを、娘とすら見ていないのだろう。


女神の理を侵した異端。神の業を犯した者。だから、消す。信仰の名のもとに、淡々と。


血の通った刃ほど、冷たいものはない。


宰相のことは、分けて考えた。


きっかけの糸を垂らしたのは、十中八九、宰相ジークベルトだ。宰相が動いたから、枢機卿が動いた。連鎖はそこにある。


だが、あの男が暗殺を命じたか。否、と読む。


ジークベルトは感情で動かない。国の秩序のために動く。エリシアを危うい力と見たなら、王宮の目が届く場所で抑える道を選ぶ。闇討ちは、あの男の手筋ではない。


恐らく露呈すら承知の一手だ。


枢機卿という札を、王の前へ引きずり出すための。


枢機卿は、その情報に己の信仰を乗せて、勝手に走った。宰相の引いた線を、はみ出して。


だとすれば、宰相は今、これをどう眺めている。


待っている。


王の意志と神殿の狂信が、どこでぶつかるかを。静かに、少し離れた場所から。


それが、あの男だ。


見るともなしに魔力灯の淡い光を眺めながら、思考の中に椅子を四つ、並べ直した。


王は、手を縛られている。父は、俺を動かす。宰相は、待つ。枢機卿は、動く。


そして国は、表立っては動けない。聖域も祈祷師(きとうし)も国のものだと、世間に知られてはならないからだ。神殿という表の顔を保つために、王は神殿を公然とは斬れず、父は影で人を貸し、俺は誰の目にも触れぬところで刃を止める。


歪な分担だった。


その中で、俺に与えられた椅子は一つしかない。


守る。


それだけだ。


    *


引き出しを開けた。


三週間分の覚書が、まだ底に残っている。最初の一枚は、ソリスの夜に書いた。


あの夜、聖域の奥でエリシアの光衣(こうい)から零れた、ひとひらの欠片。誰も気づかぬうちに、俺はそれを懐の封じ瓶へ収めた。


瓶の中でまだ脈打つようなその純粋な魔力を、地下室の炉にくべ、一つの石へ錬り上げた。


一つの原石を、双子に割る。片割れを俺の左耳へ。もう片割れを、銀の輪へ。


石を抱かせる金具だけは、口の堅い職人に挽かせた。装飾品の金具だ、とだけ言った。石が何かは、言うはずもない。


波長ごと石を編む手仕事なら、子供の頃、ひと月かけて見た背中がある。あの人の娘のための石を、今度は俺が編んでいる。


技として、難しくはなかった。


難しいのは、そこではなかった。


これを彼女の腕に嵌めるということは、彼女の痛みを、俺が受け取るということだ。


守るための道具だ。それは、本当だ。


だが同時に、彼女と繋がっていたいという、俺の最も剥き出しの欲の、最も直接的な形でもある。


自分に嘘はつかない。


両方、本当だ。守るために設計した。そして、それだけではない。


それを承知の上で、作った。


最初の石は、読むだけの石だった。就任の頃から、彼女の演算の余波が届くようになり、深く潜るほど奥が疼いた。だが、届くだけだ。痛みも苦みも、引き取ってはくれない。


読めるのに、指一本肩代わりできない。


それが、どれほど歯がゆかったか。


その月日は、無駄ではなかった。


届き続けた彼女の揺れを、俺の身体は覚えている。どの深さで魔核がたわむか。どこから歪みが滲むか。


石が読むだけだった月日が、そのまま設計図になった。


ピアスは、知らせる石だ。


彼女の揺れが届く。けれど、届くだけで、何一つ軽くはできない。


バングルは、受け取る石だ。


彼女が抱え込む痛みや苦みの一部を、俺の側へ逃がす。


ただ届いてしまうものに耐えるのではなく、俺が選び、俺が設計して、彼女の重さへ手を伸ばす。


その違いが、俺にはひどく大事だった。


    *


腕輪は、もう彼女の手首にある。


「魔核の安定に使える」


渡したとき、そう言った。


嘘ではない。ただ、本当のすべてでもない。


それだけではないと、いつか彼女は気づくかもしれない。演算が深く、観察が正しく、何もかも後で並べ直す彼女なら、違和感を拾う日が来る。


その日が来ても、彼女が一人で答えを抱え込まないように。


俺は、少しずつ近づいている。


図書室で、声の届く位置に立つ。

人混みで、隣を歩く。

馬車を降りる手を取って、一拍だけ長く支える。

歩幅を合わせる。

彼女がふと顔を上げたとき、視界の端ではなく隣にいる。


いつもと少し違う、小さな違和感を一つずつ置いていく。


それは、彼女の心に小さな棘を置く行為でもある。


だから急がない。


後で考えること。


彼女はそう呼ぶだろう。


それでいい。


後で考えるものが増えれば、いつか聖域とは関係のない一つが、彼女の中で形を持つ。


俺を、ただ安全な壁としてではなく。


一人の男として。


彼女の歩みは止めない。


問い質しもしない。


彼女はきっと、その沈黙を信頼の形だと思う。


間違ってはいない。


俺は、エリシアを信じている。


彼女がやろうとしていることの美しさも、危うさも、その両方を見ている。その上で、止めない。


ただし、放っておくわけではない。


君が歩く先の影は、俺が踏む。

君が気づかない刃は、俺が先に拾う。

君が自分の心まで後回しにするなら、その心が戻ってくる場所を、少しずつ俺の隣へ作る。


守る、だけではない。


この腕輪と同じだ。


守るために作った。でも、それだけではない。


俺の答えは、彼女の手首にある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。