三週間の設計
その翌日、父から短い書状が届いた。
『お前の愛は重い。書類の塔になる』
読み終えて、少し笑った。
父に積んだ仕事は、公爵家の手を動かし、物流と護衛線を組み替え、俺がエリシアの傍を離れなくて済む形へ寄せるためのものだ。
もちろん、嫌がらせでもある。
俺のいないところで彼女を危険へ近づけた報いくらい、受けてもらう。
続きの報告には、エリシアが公爵邸を訪ね、手土産の焼き菓子を広げ、父の頭を撫でたことまで自慢げに書かれていた。
書類の山に埋もれた父と、笑いを堪える執事と、状況を理解しないまま茶を飲むエリシア。
目に浮かぶ。
胸の奥が、少しだけ緩んだ。
あの家が彼女にとって、理由もなく立ち寄れる場所であればいい。父の頭を撫でていられる場所であればいい。
父には悪いが、仕事はまだ減らさない。
その日常を守るためにも、俺は動く。
*
その夜、テオドールから短い書状が届いた。
『義兄様。姉様の蜜豆が増えました。嬉しそうでした。 ——テオドール』
しばらく、その一文を眺めた。
十三歳が、その観察眼で、わざわざ俺に報せてくる。姉の何を知っていて、何を知らないふりをしているのか。
この弟は、いつも俺の読み筋の一つ外側にいる。
共犯者として、これ以上なく頼もしく、これ以上なく油断がならない。
*
その夜、書斎に一人でいた。
この数日で退けた刺客たちを、頭の中に並べる。
装備の質。身のこなしの練度。仕損じたときの退き際の速さ。どれも、その辺の食い詰め者ではない。かといって、正規の騎士でもない。
だが独特の匂いがある。神殿に通じている。
枢機卿イグナティウスの差し金。そう確信した。
笑えない話だ。あの男は、俺の大叔父にあたる。ラインハイトの血を分けた一族が、遠いながらも同じ血を引く娘へ刃を向けている。
いや、あの男はエリシアを、娘とすら見ていないのだろう。
女神の理を侵した異端。神の業を犯した者。だから、消す。信仰の名のもとに、淡々と。
血の通った刃ほど、冷たいものはない。
宰相のことは、分けて考えた。
きっかけの糸を垂らしたのは、十中八九、宰相ジークベルトだ。宰相が動いたから、枢機卿が動いた。連鎖はそこにある。
だが、あの男が暗殺を命じたか。否、と読む。
ジークベルトは感情で動かない。国の秩序のために動く。エリシアを危うい力と見たなら、王宮の目が届く場所で抑える道を選ぶ。闇討ちは、あの男の手筋ではない。
恐らく露呈すら承知の一手だ。
枢機卿という札を、王の前へ引きずり出すための。
枢機卿は、その情報に己の信仰を乗せて、勝手に走った。宰相の引いた線を、はみ出して。
だとすれば、宰相は今、これをどう眺めている。
待っている。
王の意志と神殿の狂信が、どこでぶつかるかを。静かに、少し離れた場所から。
それが、あの男だ。
見るともなしに魔力灯の淡い光を眺めながら、思考の中に椅子を四つ、並べ直した。
王は、手を縛られている。父は、俺を動かす。宰相は、待つ。枢機卿は、動く。
そして国は、表立っては動けない。聖域も祈祷師も国のものだと、世間に知られてはならないからだ。神殿という表の顔を保つために、王は神殿を公然とは斬れず、父は影で人を貸し、俺は誰の目にも触れぬところで刃を止める。
歪な分担だった。
その中で、俺に与えられた椅子は一つしかない。
守る。
それだけだ。
*
引き出しを開けた。
三週間分の覚書が、まだ底に残っている。最初の一枚は、ソリスの夜に書いた。
あの夜、聖域の奥でエリシアの光衣から零れた、ひとひらの欠片。誰も気づかぬうちに、俺はそれを懐の封じ瓶へ収めた。
瓶の中でまだ脈打つようなその純粋な魔力を、地下室の炉にくべ、一つの石へ錬り上げた。
一つの原石を、双子に割る。片割れを俺の左耳へ。もう片割れを、銀の輪へ。
石を抱かせる金具だけは、口の堅い職人に挽かせた。装飾品の金具だ、とだけ言った。石が何かは、言うはずもない。
波長ごと石を編む手仕事なら、子供の頃、ひと月かけて見た背中がある。あの人の娘のための石を、今度は俺が編んでいる。
技として、難しくはなかった。
難しいのは、そこではなかった。
これを彼女の腕に嵌めるということは、彼女の痛みを、俺が受け取るということだ。
守るための道具だ。それは、本当だ。
だが同時に、彼女と繋がっていたいという、俺の最も剥き出しの欲の、最も直接的な形でもある。
自分に嘘はつかない。
両方、本当だ。守るために設計した。そして、それだけではない。
それを承知の上で、作った。
最初の石は、読むだけの石だった。就任の頃から、彼女の演算の余波が届くようになり、深く潜るほど奥が疼いた。だが、届くだけだ。痛みも苦みも、引き取ってはくれない。
読めるのに、指一本肩代わりできない。
それが、どれほど歯がゆかったか。
その月日は、無駄ではなかった。
届き続けた彼女の揺れを、俺の身体は覚えている。どの深さで魔核がたわむか。どこから歪みが滲むか。
石が読むだけだった月日が、そのまま設計図になった。
ピアスは、知らせる石だ。
彼女の揺れが届く。けれど、届くだけで、何一つ軽くはできない。
バングルは、受け取る石だ。
彼女が抱え込む痛みや苦みの一部を、俺の側へ逃がす。
ただ届いてしまうものに耐えるのではなく、俺が選び、俺が設計して、彼女の重さへ手を伸ばす。
その違いが、俺にはひどく大事だった。
*
腕輪は、もう彼女の手首にある。
「魔核の安定に使える」
渡したとき、そう言った。
嘘ではない。ただ、本当のすべてでもない。
それだけではないと、いつか彼女は気づくかもしれない。演算が深く、観察が正しく、何もかも後で並べ直す彼女なら、違和感を拾う日が来る。
その日が来ても、彼女が一人で答えを抱え込まないように。
俺は、少しずつ近づいている。
図書室で、声の届く位置に立つ。
人混みで、隣を歩く。
馬車を降りる手を取って、一拍だけ長く支える。
歩幅を合わせる。
彼女がふと顔を上げたとき、視界の端ではなく隣にいる。
いつもと少し違う、小さな違和感を一つずつ置いていく。
それは、彼女の心に小さな棘を置く行為でもある。
だから急がない。
後で考えること。
彼女はそう呼ぶだろう。
それでいい。
後で考えるものが増えれば、いつか聖域とは関係のない一つが、彼女の中で形を持つ。
俺を、ただ安全な壁としてではなく。
一人の男として。
彼女の歩みは止めない。
問い質しもしない。
彼女はきっと、その沈黙を信頼の形だと思う。
間違ってはいない。
俺は、エリシアを信じている。
彼女がやろうとしていることの美しさも、危うさも、その両方を見ている。その上で、止めない。
ただし、放っておくわけではない。
君が歩く先の影は、俺が踏む。
君が気づかない刃は、俺が先に拾う。
君が自分の心まで後回しにするなら、その心が戻ってくる場所を、少しずつ俺の隣へ作る。
守る、だけではない。
この腕輪と同じだ。
守るために作った。でも、それだけではない。
俺の答えは、彼女の手首にある。




