↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

74/100

痛みの上に咲く

数日後。


テオドールから短い報せが届いた。


『姉様が野外で演算の検証に行きました。お一人です』


あの弟は、危うい線だけを正確に知らせてくる。


理由は、たぶん分かる。


エリシアは俺に遠慮しているのだろう。バングルを嵌めたまま演算するところを、俺に見られたくない——そんなところか。本人にもまだ言葉になっていないだろうが、何かが変わったことを感じている。


その変化に俺が関わっていることも、彼女なりに察しているのかもしれない。


報せを畳んで、立ち上がった。


行くことにした。


ただし、邪魔はしない。


彼女が安全に検証を終えるまで、見届ける。


    *


王都の外れ、神殿が管理する草地の演習場だった。人里から離れた隔離区で、今日は人影がない。


着いたとき、エリシアはもう術を走らせていた。


俺は演習場の端に立ち、声をかけずに待った。彼女の集中を乱さない位置を選ぶ。


終わるまで、見守ればいい。


最初は単純な波だった。


空間へ一本、光が走る。耐えられる。左耳が低く熱を持つ程度だ。


次の段で、密度が上がった。


三色が分かれ、互いに干渉しながら経路を探し始める。これまで感覚のずれに奪われていた余力が、演算へ戻っている。


重さが跳ねた。


奥歯を噛む。

表情は変えない。

体も動かさない。


今は、彼女の集中の中へ入ってはいけない。


    *


彼女が三本の波を格子へ編み始めた瞬間、左耳の石が限界を叩いた。


数千の針が、内側から頭蓋へ刺さる。


息を吸う。


吐く。


動くな。


体へ命じる。


それでも、見ていた。


宙に編まれた光の格子が、陽を受けて色を持つ。三色の交わる点が輝き、その内側にさらに小さな格子が生まれていく。フラクタル。彼女の魔力が自然に描いた自己相似の構造が、風もないのにゆっくりと回っている。


綺麗だ。


胸の内だけで言葉が落ちた。


痛みの上に、彼女の数式が咲いている。


それだけで、立っていられる。


    *


エリシアが、ふと動きを止めた。


恐らく俺に気づいた。


石が拾った熱か、場の気配か。理由までは分からない。


「——見てください、ヴァレリウス!」


声が跳ねる。


俺は端を離れた。


一歩ずつ彼女へ歩く。穏やかに。急がず。最初からそこにいたような顔で。


「隠しきれなかったね」


言い訳はしない。


エリシアが少し固まる。


「……いつから」


「格子になる前から」


「……ずっとそこにいたんですか」


「うん」


彼女は何か言いかけて、やめた。


叱る言葉より先に、見てほしいものがあるのだろう。


「……見えていましたか。フラクタルが」


ああ。


分かっている。


この光景を、真っ先に俺へ見せたいと思ったのなら。


そう考えてしまった瞬間、痛みの奥が熱くなった。


「うん」


短く答える。


左耳はまだ熱い。数千の針は、まだそこにある。


「……どうでしたか」


格子を見る。


それから、エリシアを見る。


「綺麗だね」


声が、わずかにかすれた。


ずっと胸の奥に置いていた言葉だ。痛みが、最後の鍵を外したのだと思う。


エリシアが少し止まる。


何かが引っかかったように、エリシアは一度だけ瞬きをした。


それから、答えを保留するように格子へ目を戻した。


それでいい。


今の彼女には、まだ分からなくていい。


格子が、また一つ回る。

針が、また刺さる。


それでも見ていた。


エリシアの声が、生き生きと弾んでいる。


幼い頃の彼女には、こんな明るさがあった。けれど、魔核移譲の夜からこちらで、こんなふうに弾む声を聞いた覚えはなかった。


この明るさを、長いあいだ見たかった。


痛みを奥歯で噛み殺して、俺は彼女を見ていた。


彼女の魔力が、正しく回っている。


その証が今、俺の左半身を貫いている。


このために、バングルを作った。


痛みを引き受けるためだけではない。


彼女がこんな声で、自分の光を見上げるために。


今は、それで十分だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。