双子の石
その夜、公爵邸の地下にある炉へ魔力を流した。
地下室は、地上の夜から切り離されている。冷えた石壁に囲まれた、天井の低い部屋。明りを絞った魔力灯が器具の縁を照らしていた。
炉の中央には、聖域の床と同じ黒石を、一塊から刳り抜いた坩堝を据えてある。炉床から坩堝の外側まで、一続きの魔術陣を刻んだ。流し込んだ魔力を造光の力に変え、素材の加工をある程度補助する造りだ。
作業台の上に、小さな封じ瓶を置く。ソリス聖域から持ち帰った純粋な魔力。エリシアの光衣から零れ落ちた、未分化の欠片。
ヴォイドまで行かなければ届かないと思っていたものが、彼女の足元に落ちた。彼女が自分を削って開いた膜から、薄く零れたものだ。
盗んだものだ。その事実は変わらない。
だから、返すための形にする。
彼女から零れたものを、彼女だけに背負わせない形へ。
封じた光を、坩堝の中央へ落とした。
音はなかった。代わりに、魔術陣が一息に輝きを増し、黒石の内側へ熱が跳ねた。
坩堝の底で白が灯り、金を呼び、金が蒼を連れてくる。三色の光が黒石の内側でぶつかり、ほどけ、また絡んだ。
魔核の深部が軋む。
息を止めた。
造光で器を組み、刻光で崩れる速度を縛る。生光の脈を逃がさず、中心へ集める。
一度目の格子は砕け、魔術陣の線から火花が散った。指先が痺れる。
二度目は、金が先に暴れた。時間だけが走り、器が追いつかない。坩堝の縁まで走った術式が歪み、光が途切れかける。
押さえ込む。
まだだ。
三度目に入る前に、エリシアの首筋の脈を思い出した。
衿越しに触れた、あの細い拍動。蜜豆を食べ終えて、窓の外を見ていた横顔。世界を変えておきながら、何もなかった顔で俺の向かいにいた彼女。
あれを、失わせない。
その一点に意識を沈めた瞬間、坩堝を囲む魔術陣の光が、一段深く黒石へ沈んだ。
坩堝の底で、光が縮む。線になり、格子になり、やがて赤が生まれた。
血のような赤ではない。
傷の色でもない。
透き通った、深い赤。光を呑まず、濁らせず、ただ内側から静かに灯す赤だった。
小さな原石が、坩堝の底に落ちる。遅れて、澄んだ音がした。
それで、ようやく息を吐いた。
できた。
最初に作った左耳の石は、読むだけだった。彼女の綻びを知らせるだけ。燃えて、俺を焦がすだけ。
だが、これは違う。
彼女が背負うものの端を、こちらへ通す道になる。
全部は奪えない。根までは戻せない。それでも、彼女がこれを身につけた日から、その痛みも苦みも、少しずつ俺の側へ流せる。
原石を取り上げた。
まだ熱いはずだった。だが掌に乗せると、ひどく冷たい。まるで、これから受け取る熱を待っているみたいに。
一つの原石へ刃を入れる。
割るのではない。
同じ心臓を、二つの場所に置く。
慎重に切り出すと、赤いしずくが二つ、作業台の灯りを受けて並んだ。
同じ形。
同じ光。
同じ源流から生まれた、双子の石。
一つは、左耳へ。
長く俺を焦がし続けた濁った赤を外し、透き通った赤を耳に穿つ。金具が閉じた瞬間、耳の奥で小さく熱が鳴った。
繋がる。
遠く、今は別の屋敷にいる彼女の波長が、薄く、水面のように触れた気がした。
もう一つは、バングルへ。
彼女の手首に置くための細い銀。留め具の隣に、赤いしずくを埋め込む。派手にしない。重くしない。彼女が日常の中で無理なく身につけられる形にする。
守るための鎖にはしない。
けれど、必要な時までは身につけていてほしい。
その矛盾を、銀の輪の中へ沈めた。
聖域の改修に目途がつくまでは、気づかせない。
気づけば、彼女はきっと外そうとする。あるいは、俺に流れる分まで計算に入れようとする。
今は、それでは困る。
これは嘘だ。
だが、彼女を縛るための嘘ではない。
二つの石を、作業台の灯りに並べる。
赤が揃って光った。片方が揺れると、もう片方の奥に同じ揺れが返る。
細い。
まだ、あまりに細い。
それでも道だ。
エリシア。
これで、ようやく君の荷の端を、こちらへ逃がせる。
君が世界を背負うなら、その重さの一部を俺が受ける。君が何も言わずに笑うなら、俺も何も言わずに嘘をつく。
掌の上で、双子の石が静かに灯っていた。
これが始まりだ。
俺が彼女に渡す、最初の完璧な嘘の形だった。




