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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

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彼女を測る男

宰相ジークベルト卿は、国全体を一枚の盤として眺める男だ。


それが俺の第一評価で、この十年、大きく外れたことはない。


冷静な笑顔と落ち着いた声。常に、最小の手数で最大の効果を取る目。


敵ではない。

味方でもない。


国の損得だけで盤を見る、中立の軍師だ。


「お越しいただきありがとうございます、エリシア伯爵令嬢」


応接室に入った瞬間、ジークベルトの目はエリシアだけを見た。


俺は最初から、添え物扱いだ。


構わない。


そう扱わせるために、公爵家嫡男の顔でここに来た。


国を一枚の盤で見るこの男が、一介の祈祷師(きとうし)補佐を、わざわざ自分の目で確かめようとしている。


理由は読めている。


少なくとも、今日この場で捌くべき手は見えていた。


宰相は掴んでいる。エリシアが、人並みではない魔核を抱えていること。それが安定したものでないこと。


病んだ核を抱えたまま神殿の務めに就き、国の祭礼の近くにいる。その危うさを確かめ、必要なら王宮の医師団につなげる。


その程度の面談だと、俺は踏んでいた。


その読みなら捌ける。


交渉で済む。礼儀で受け、理で返し、彼女に不要な負担を残さず帰ればいい。


そのくらいの余裕は、ある。


頭を下げる。


「本日はお時間をいただきありがとうございます、ジークベルト卿」


穏やかに言って、笑む。


これが俺の顔だ。こういう場所では。


隣のエリシアは、入室してすぐ室内の調度品を眺め始めていた。


頼む。


今日だけでいい。


普通にしていてくれ。


願いは、たぶん無駄だ。


    *


菓子が出た。


砂糖漬けの果実、白い寒天。そして、琥珀(こはく)色の塩蜜豆に似た菓子。


俺は宰相の目を見た。


彼は微笑んでいる。


偶然と言うには、少し整いすぎていた。


エリシアはためらいなくその菓子を口に入れた。


一瞬だけ、眉が動く。


ほんの微かな変化だ。


左耳の石が、低く熱を帯びた。


石が知らせるのは、体温の揺れと、魔核の浅い乱れだけだ。味がどう歪んだのか、彼女が何を考えたのかまでは分からない。


それでも、菓子を口にした直後の小さな反応と重なれば、見当はつく。


また、あの苦味だ。


宰相は微笑んでいた。


確認した、という顔で。


茶も出された。俺は、口をつけない。


この部屋で寛ぐわけにはいかない。


彼女を測る男を、こちらも測り返す。


それだけが、今ここで俺に許された手だった。


エリシアの視線が、一度だけこちらへ流れた。冷めるのに、とでも言いたげに。


気づかなくていい。


まだ、ここは俺が受ける。


    *


「令嬢は魔核演算の研究をされていると伺っています」


雑談のような声で、宰相が話を始めた。


来る。


エリシアはすぐに目を輝かせて答え始めた。


それが一番、苦しかった。


彼女は問いの重さに気づかない。気づかないまま、自分の身体に近い話を、正確に、流暢に、学術の棚から取り出していく。


「最近、始祖期の論文を読み返しておりましてね。“魔核の異常状態”で稼働を継続した術者についての記録が、断片的に残っていた。非常に興味深い」


宰相は急かさない。


遮らない。


ただ、続きを待つ。


うまい聞き方だ。


彼女が一番、抗いにくい聞き方でもある。


「魔核肥大症ですね」


エリシアが即座に答える。


俺は微笑んだままでいた。


表情を変えるわけにはいかない。


ジークベルト卿。


あなたは、ある程度まで知っている。地下聖堂で彼女が何をしたか。俺たちの生活を変えた夜に、何が起きたか。


ただし、どこまで知っているのかは分からない。


だから、まだ手札は見せない。


エリシアは気づかずに答えている。彼女が他人事のように語っている病が、もう自分の舌の上から始まっているとは思っていない。


「では、そのような魔核を——外部から安定化する方法については?」


宰相が話を誘導していく。


その一手前から、終着点が見えはじめていた。


「理論上は、情報転写が最適です」


エリシアは即答した。


「異常を来した魔核の波長情報を、外部魔核情報で補助する必要があります。ですが、生光(せいこう)領域の情報は距離減衰が大きいので——近接接触が要る」


「近接、ですか」


「はい」


彼女の指先が、カップを回す。


「生光領域の情報は距離減衰が大きいので、最も効率が良いのは接触です」


一拍、置いた。


「特に粘膜接触」


呼吸が、胸の内側で止まりかけた。


「呼気の距離でも可能ですが、古代術式では唇による情報転写が最適解として記録されています。接触面積と情報密度の関係から見ても、合理的です」


「なるほど」


宰相が、ゆっくりと頷いた。


「とても興味深い理論だ」


言い終えたとき、彼の視線が一度だけ、俺を向いた。


ほんの一瞬。


置いたな。


牽制でも、挑発でもない。


この男はただ、引き出した情報を淡々と並べただけだ。


病んだ核を抱えた娘を、国がどう測り、どう扱うか。その手がかりの一つが、たった今、彼女自身の口から零れた。


宰相はそれを、顔色ひとつ変えずに置いた。


それだけのことだった。


だが、その「それだけ」が、俺の中では別の形を取りはじめていた。


唇、という言葉だけが、妙に生々しく残る。


治療の条件だ。


そう切り分ければいい。


けれど、エリシアが口にすると、ただの条件では済まない。


彼女は自分を救うための鍵を、自分の口で、他人の前に差し出した。


本人だけが、その意味を知らない。


あまりにも、彼女らしかった。


彼女はまだ学術的な回答を続けようとしていた。


俺は名前だけを呼ぶ。


「エリシア」


彼女が口を閉じた。


    *


「エリシア令嬢の魔核について——王宮医師団による、正式な記録が必要かと存じます。伯爵家として、ご対応いただけますか」


礼儀正しく、完璧に政治的な一手だった。


拒めば、後ろめたいことがあると見られる。受ければ、エリシアの状態が公式に記録され、俺たちの手を離れた言葉で扱われる。


医師の記録は、治療のために必要になることがある。


それは分かっている。


だが今、この場で作られる記録は、彼女のためだけには使われない。


危うい魔核を抱えた令嬢。

祭礼に関わる不安要素。

国が把握すべき特異例。


そういう名前を与えられた瞬間、エリシアはまた少し、人間としての輪郭から遠ざけられる。


それだけは、受け入れられなかった。


「少々、お待ちを」


俺は遮った。


声の温度は変えない。ただ、魔力の圧を室内へ薄く広げる。


宰相がそれに応じた。


感度がいい。


見えない重さが二つ、互いを押し合い始める。


そのとき、ジークベルトの魔力が細い針のようにエリシアへ向いた。


測定だ。


彼女の現在の魔核状態を、直接確かめようとしている。


左耳の石が、灼けた。


宰相の魔力がエリシアの魔核へ触れようとした瞬間、石へ流れ込む揺れが一気に膨れ上がった。


石が知らせるのは、彼女の状態の揺らぎだけだ。


だが今は、その揺らぎが多すぎた。長く凪いでいた赤い石の内側で、歪みの輪郭だけが一斉に燃えた。


左耳から頭蓋の内側へ、焼けた鉄を押し込まれたような熱が走る。


表情は変えなかった。


息を、一度だけ止めた。


右手の指先に、何かが走る。


感覚ではない。


見えた。


人差し指の爪の縁に、薄く透明な結晶の欠片が一瞬だけ生じて、消えた。


制御できなかった。


こんなことは初めてだった。


宰相の目が、かすかに細くなる。


「……珍しい反応ですね」


俺は答えなかった。


魔力を引いた。宰相も引く。


「本日はここまでにしましょう」


彼は穏やかに微笑んだ。

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