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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

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見えていなかった手

その四日後、俺は諸侯との会合で官邸に詰めていた。


長い会合だった。


だが、無駄ではなかった。大半は前夜の筋書き通りに運び、残る議題も、少し圧をかければ落ちた。父ならもっと大きく笑って片づけただろう。俺はそういうやり方をしない。必要な分だけ押し、必要な分だけ退く。


帰りの馬車で、次の手順を組み直す。


祈祷師(きとうし)代理の席は手に入れた。


エリシアは補佐として聖域へ入った。


制度の中に、俺たちの距離は根を張った。


次は、その日々を当たり前にすることだ。


彼女が聖域へ通う。

俺がそばにいる。

誰も疑わない。

彼女自身も、余計な遠慮をしない。


そこまで整えば、ようやく少し息ができる。


左耳が、ここ数日妙に落ち着かない。


エリシアの演算が深い。長い。時々こちらへ伝わる熱が不規則に揺れる。


何かを考えているのだろう。


それは分かる。


何を、までは読めない。


新しい務めにずいぶん熱心だな。


そう片づけた。


馬車が公爵邸の敷地へ入る。父の書斎の窓に明かりが点いていた。


「来客か」


御者へ尋ねる。


「存じません」


「いい。確かめなくていい」


父の書斎に客があるのは珍しくない。


公爵家には、いつでも誰かが出入りしている。


今日だけを疑う理由は、どこにもない。


俺は馬車の窓越しに明かりを見ただけで、通り過ぎた。


彼女がその部屋にいたことを、俺は知らない。


    *


その夜、公爵邸の書斎で何が話されていたのか。


翌朝、父がどんな顔で王城へ向かうのか。


王が、始祖の肖像画の前で何を許すのか。


俺は、何も知らない。


知らないまま、整えた道の真ん中で眠る。


その道の外側で、父と王とエリシアが、俺の知らない話を進めていた。


    *


翌日の夜、アルスタ伯爵邸の前を通る道を選んだ。


選んだ、というほどでもない。


長く続ければ、道は勝手に足へ染みる。


彼女の部屋に明かりが点いていた。


遅い時間だ。


まだ起きている。


眉を寄せかけて、それから少し笑った。


新しい務めを得たばかりだ。聖域の記録か、術式の確認か。あの子なら、眠るより先に紙へ向かうだろう。


よくやっている、エリシア。


胸の奥に、静かな安堵が沈んだ。


彼女の一日が、手の届く場所にある。


彼女の仕事が、俺の隣へ続いている。


それだけのことが、どうしようもなく嬉しい。


そう思うことは、たぶん少し重い。


だが、否定する気はなかった。


俺は彼女を守りたい。


同時に、彼女の今日を奪いたくない。


彼女が何に疲れ、何に笑い、何を美しいと思ったのか。知りたいと思う。けれど、それを俺のものにしてしまえば、彼女の一日ではなくなる。


だから、届く場所にいたい。


邪魔をしない場所で。


必要な時だけ手が届く場所で。


愛と呼ぶには、まだ早い。


献身と呼ぶには、少し苦い。


けれどそれが、あの夜から俺を動かしているものだった。


窓の明かりが揺れる。


机に向かう彼女の指先を思い浮かべた。細い指。紙の上で、何かをなぞる癖。深く考えると、唇がほんの少し開くこと。蜜豆を探す手が、時々、机の端で迷子になること。


数えきれないほど隣で見てきた光景だ。


だから、今夜の夜更かしも予想の範囲内だ。


馬車が動き出す。


明かりが遠ざかる。


俺は、その光が何を照らしているのかを知らなかった。


彼女が俺に告げずに描いている、一枚の設計図。


そこにどんな願いが折り込まれているのか、今夜の俺は知らない。


知れば、止める。


だから彼女は、言わない。


今夜、彼女は俺より先に答えを持っていた。


誰より近くに立つ理由を得たはずの俺が。

誰より近くで彼女を見てきたはずの俺が。


いちばん大事なところで、彼女の手の内を読めていない。


俺はまだ、自分の守りを疑ってもいない。

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