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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

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就任の論理

茶会から数日後。神殿の儀礼の間。


祈祷師(きとうし)代理への就任は、避けて通れない道だった。


本来なら俺の席ではなかった。そのことを俺は誰よりよく知っていた。


現任の上席神官には健康上の不安がある。次点は政治的に扱いづらい。その次は魔力の精度が要件に届かない。表向きには、それぞれにもっともな事情があった。


俺はただ、その事情が無理のない順番で表へ出るようにした。


「適任者がいないので、公爵家のヴァレリウスに」。そんな噂が流れる。誰の目にも違和感のない結論だったし、実際、俺以上に都合のいい者はいなかった。


前年の初冬の、あの夜。


テオドールが青い顔で俺を訪ねてきた。すべてはあの夜から動き始めた。エリシアの治療に近い場所へいること。彼女が聖域へ入る日、自然に同じ場へ立てること。神殿と公爵家の双方へ説明が立つこと。


必要な理由は、いくつもあった。


官吏が条文を読み、任命書が差し出される。恙なく式は流れていく。


その式に、エリシアが来ていた。


彼女が来たのは、テオドールが出るべきだと言ったからだ。テオドールがそう言ったのは、俺が彼へそう伝えたからだ。間に一人挟んだだけで、結論は変わらない。


彼女に見てほしかった。


この席に座る俺を。彼女の務めに近い場所へ移る俺を。


式の間、その横顔をちらりと盗み見た。


「申し訳ない」と、そう言いたげな顔に見えた。


そう読んだのは、俺の都合かもしれない。エリシアは、貧乏くじを引いた人間に申し訳ないと感じる。自分のせいでなくても、だ。


けれど今日に限っては、その奥に別の揺れがあるように見えた。


そうであってほしいと、思ってしまった。


廊下へ出た瞬間、窓から午後の光が差した。


その光を浴びて、彼女の視線が止まる。


左耳が、ほんの一拍だけ静かになった。脈が跳ねたのか、演算が止まったのか。理由までは分からない。


ただ、式のあと、彼女は確かに俺を見ていた。


その目の動きを見て、俺は胸の奥で何かをこらえた。


何をこらえたのかは、考えない。今はまだ、冷静でいるべき時期だ。そう、自分へ言い聞かせる。


「おめでとうございます」


「ありがとう」


「……お仕事、大変になるのでは」


ちらりと彼女を見る。


「そうでもないよ」


穏やかな笑みを返す。


嘘ではない。


大変にしないために、この席へ座ったのだから。


今日から、彼女が聖域で働く日、俺が近くにいることは不自然ではなくなる。必要な日に手が届く。公の理由があれば、彼女も余計な負担として受け取らずに済む。


それで足りる。


エリシアはもう、十一の子供ではない。


あれから、あの夜と同じ類の危険はなかった。これからも少しの手助けをするだけで問題ない。


焦る理由は、何一つない。


左耳が、熱い。


この春になってから、その応えは少しずつ強くなっている。だが、まだ間に合う。


間に合わせる。


彼女を怯えさせず、彼女の仕事を折らず、彼女が彼女のままでいられる形で。


俺は、彼女にとっても、俺にとっても、理想的な道を選んだつもりだ。


    *


帰りの馬車を、俺は別に仕立てさせた。


公爵令息と伯爵令嬢、それに彼女の弟。護衛の導線を引けば、分乗はごく自然な形になる。理由はいくらでも立つ。


立つのだが、本当のところは別だった。


今、あの狭い箱の中で彼女と向き合えば、少しばかり顔が保たない。


式のあと、エリシアは確かに俺を見ていた。祝辞を述べるためだけの視線ではなかった。申し訳なさ。困惑。そこまではいい。いつもの彼女なら予測できる感情だ。


けれど、その奥にもう一つ、不確かな揺れがあった。


それを見た時、俺は危うく笑いそうになった。嬉しいからではない。いや、嬉しくなかったと言えば嘘になる。ただ、それをそのまま顔に出すには、あまりにも早すぎた。


だから、離れる。


今日だけは、自分のために。


皮肉なものだ。近すぎて困るのは、いつも彼女の方だったはずなのに。


別の馬車に乗り込むと、扉が閉まり、車輪がゆっくり動き出した。向こうの馬車は少し前を行く。並走ではない。互いの窓は見えず、声も届かない。


それでも左耳は、途切れ途切れに彼女を伝えてくる。


脈と体温、演算のかすかな乱れ。


分かるのは、それだけだ。


何につまずいているのかまでは拾えない。だからここから先は、推測ですらない。俺に都合のいい、ただの願望だ。


もしそれが、俺が隣にいないことへの違和感なら。


もし彼女が、自分でも気づかないまま、ほんの少しだけ残念に思っているのなら。


まずい。


本当に、顔が保たない。


俺は目を閉じ、口元へ指を添えた。笑っていない。たぶん。少なくとも、今ここに彼女がいなくてよかったと思う程度には、冷静だった。


その日が来るまで、俺は待つ。


彼女がいつか、自分の心をその細い手で掬い上げる日まで。分類できないものを、不要なざらつきとして捨てず、これは何だろうと見つめる日まで。


ここまで待てた。


もう少し待てないはずがない。


そう結論づけて、俺は窓の外へ目を向けた。


左耳は、まだ熱を持っている。


向こうの馬車の中で、彼女の演算がまた一度、かすかに乱れた。


今度こそ、口元が緩んだ。

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