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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
エリシア編

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なぜ隣を見た?

茶会から、数日後。神殿の、儀礼の間。


就任式は、大した式典ではなかった。


祈祷師(きとうし)代理の任命は、政治的には重いが、儀礼としては簡素だ。参列者も少ない。拍手も控えめ。豪奢(ごうしゃ)な祝祭というより、静かな実務手続きに近い。


エリシアが出席する必要があるかどうかも、本来は微妙だった。


けれど。


「姉様は出るべきです」


昨夜、テオドールがそう言った。


「義兄様は、きっと姉様に来てほしいと思っています」


なので来た。


理由としては充分だった。


官吏が条文を読み上げる。

封蝋(ふうろう)の施された任命書が差し出される。


ヴァレリウスが、それを受け取った。


白と金の正礼装は、公爵家の格式に相応しく美しい。姿勢は真っ直ぐで、所作には無駄がない。周囲の貴族たちも感嘆していたが、エリシアは別方向のことを考えていた。


(……この職は、本来なら彼が就くべき仕事ではない)


祈祷師代理。


本来なら専門家が担う役目だ。

公爵家次期当主を置く席ではない。


けれど、今の王都には適任者がいない。


だから最後に残った。


ヴァレリウスの名前だけが。


その結論に至った瞬間、胸の奥が少し重くなった。


申し訳ない、と思った。


なぜそう思うのか、うまく分からない。


エリシアは頼んでいない。

彼が選ばれたのは、政治的事情と能力的適性によるものだ。責任の所在を数式化するなら、自分の関与率はかなり低い。


なのに。


申し訳ない。


それから——また、あの感覚が来た。


最近、時々ある。


「申し訳ない」と似ているのに、少し違う。

胸の内側が静かに落ち着かなくなる感覚。


未分類。


分類しようとして、やめた。


今は式典中だ。


エリシアは完璧な角度で背筋を伸ばし、完璧な角度で扇を持ち、完璧な令嬢として静かに立っていた。


外から見れば、非の打ち所がない。


内側だけが、少し忙しい。


式典が終わる。


廊下へ出た瞬間、窓から午後の日差しが差し込んだ。


ヴァレリウスがそちらを向く。


白金の正礼装が光を受け、肩の輪郭が淡く縁取られる。


その瞬間。


演算が止まった。


本当に、止まった。


北部演算も。

術式補正も。

歩行制御の補助計算も。


全部。


一秒か、二秒。


それだけの時間、自発的に演算が停止したのは初めてだった。


エリシアは少し困惑した。


(……なぜ)


処理落ちの原因を探す。


視覚情報?

光量?

色彩反射?

魔力干渉?


違う気がする。


たぶん違う。


でも他に分類先がない。


ヴァレリウスが振り返った。


「エリシア?」


名前を呼ばれて、演算が戻る。


「あ……」


一拍遅れてから、エリシアは口を開いた。


「おめでとうございます」


本当は、もっと別のことを言おうとしていた気がする。

けれど間に合わなかった。


適切な言葉を選ぶより先に、彼の顔を見た瞬間に演算が止まってしまったから。


「ありがとう」


ヴァレリウスは笑った。


優しい。


いつものことなのに、今日は少しだけ心臓に悪い。


エリシアは内心で首を傾げた。


(……心臓?)


比喩表現としては正しい。

ただ実際に胸の鼓動が少し速い。


原因不明。


「……お仕事、大変になるのでは」


少しでも負担が減る言葉を探した結果、それが出た。


ヴァレリウスは数秒、こちらを見た。


静かな目だった。


まるで、何かを堪えるみたいな。


「そうでもないよ」


嘘だ、とエリシアは思った。


思ったのに、追及はしなかった。


彼は時々、エリシアを安心させるために嘘をつく。


それはもう、かなり前から知っている。


なのに。


その「優しい嘘」を指摘すると、なぜかヴァレリウスが少し困った顔をするので、最近は見逃すことにしていた。


(……彼は時々、変なところがある)


でも嫌ではない。


むしろ少し安心する。


完璧に見える人が、自分の前だけで少し困るのは、なんとなく嬉しい。


理由は分からないけれど。


馬車へ乗り込む。


向かいにはテオドールが座っていた。式に参列していた弟と、帰りの馬車に乗り合わせたのだ。


彼は膝の上に本を開きながらも、時々こちらを見ている。視線の頻度から推測するに、読書への集中率は六割程度だろう。姉の監視を優先している。


「……私は倒れませんよ」


「今日僕の見ている前だけでも二回ふらついています」


「歩行制御の誤差です」


「世間では、それを“危ない”と言います」


淡々としているのに、少しだけ拗ねた声だった。


エリシアは考える。


たしかに今日は演算負荷が高い。

北部区画の補正計算が長引いている影響で、空間認識に微細な遅延が出ている。


でも、それを言うとたぶんテオドールはもっと心配する。


なので、別の話題を探した。


……探したのだが。


気づけば視線が、向かいではなく隣へ向いていた。


誰もいない座席。


エリシアは数秒停止した。


(……?)


自分の行動意図を検索する。


なぜ隣を見た?


忘れ物確認?

空席確認?

動線確認?


どれもしっくりこない。


「姉様」


テオドールが静かにページをめくった。


「義兄様なら、別の馬車ですよ」


「……知っています」


答えるまでに一拍かかった。


テオドールの口元が、ほんの少しだけ笑った気がした。


エリシアはその理由を考えた。


分からない。


分からないが、なぜか少しだけ居心地が悪い。


その居心地の悪さをごまかすために、ポケットから蜜豆を取り出した。


一粒、口に入れる。


甘い。


ちゃんと甘い。


「姉様」


「なんでしょう」


「今、少しだけ残念そうでした」


「……?」


意味が分からない。


ヴァレリウスは別馬車だ。

それだけだ。


別に問題はない。


合理的配置ですらある。

公爵令息と伯爵令嬢と、その弟。護衛導線を考えれば分乗は自然だ。


なのに。


なぜか、さっきから演算の端が少しだけ落ち着かない。


エリシアは蜜豆をもう一粒食べた。


甘い。


けれど今は、少し足りない気がした。

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