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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
エリシア編

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もう、一人で、抱えなくていい

目覚めてから、数日が経った。


体は日ごとに軽くなったが、ヴァレリウスの看病は日ごとに手厚くなった。起き上がろうとすれば背に枕が入り、湯を飲もうとすれば先に温度を確かめられる。侍女に任せれば済むことまで、彼の手が先に届いた。


(……過保護、という分類で、合っているのだろうか)


分類は、保留にした。嫌ではなかったからだ。


その日の朝、医師から短い外出の許可が出た。


「エリシア」


ヴァレリウスが、椅子を寄せて言った。どこか、報せを持ってきた子供のような顔だった。


「レリクトゥムの今の様子が、報告で届いたんだ」


「……レリクトゥム」


あの廃墟。あのヴォイド。記憶の底で、何かが小さく身じろぎした。


「ヴォイドのあった場所の周りが——アステリアの花の群生地になっているそうだよ」


演算が、勝手に走り出した。


アステリアの花。三弦花(さんげんか)。三色の魔力に感応して育ち、地脈に沿って蔓を伸ばす、生きた写し。それが、あの一点の周りに群れて咲いている——つまり、あの場所の魔力は、いま。


「……見たい、です」


考えるより先に、言葉が出ていた。


怖くないのか、と自分でも思った。あそこは、自分が消えるはずだった場所だ。けれど胸の中を探しても、怖さより先に、確かめたいものの方が多かった。あの理は、いまどんな波形で回っているのか。花は、どの色で咲いているのか。


ヴァレリウスが、ふ、と笑った。


「そう言うと思った。明日、行こう。視察を兼ねた、小さなお茶会だ」


決めるのが、早かった。医師の許可はもう取ってあります、という顔だった。


(……準備が、よすぎる)


その分類も、保留にした。


    *


その日の午後、テオドールが部屋を訪ねてきた。


いつものように扉の前で一礼して——けれど、一人だった。


「義兄様は、廊下で待っていてくださるそうです」


少しだけ困ったような、それでいて少しだけ得意げな顔で、弟は言った。二人で話す時間を、もぎ取ってきたらしい。


テオドールは、寝台のそばの椅子に座った。


「姉様。お加減は、いかがですか」


丁寧な声だった。いつもの可愛い、でもしっかり者な弟の声。


——けれど、エリシアは、もう知っていた。


あのレリクトゥムの夜。崩れた回廊で、ヴァレリウスのすぐ後ろに、静かに立っていた弟。あのとき、分かったのだ。この二人は、繋がっていた。自分の知らないところで。仲の良い縁戚よりも、ずっと深い絆に感じた。


「テオ」


エリシアは、まっすぐに、弟を見た。


「あなた、ずっと——私の知らない所で、動いていたのね」


テオドールの肩が、わずかに、揺れた。


「聖域の結界を書き換えたのも。ヴァレリウスの、共犯だったのも」一つずつ、確かめるように。「ぜんぶ——私を、助けるためだった」


「……いつ、お気づきに」


「あの回廊で」


テオドールは、いつもの丁寧な笑みを作ろうとして——できなかった。


「……姉様の前では」


声が震えた。


「平気でいなければと思っていました」


涙をこらえ、無理に笑顔を作ろうとして、できていなかった。


「だって姉様は」


そこで言葉が途切れた。


「姉様は」


「いつも、大丈夫だって笑うから」


唇を噛む。


「だから僕が見ていないと」


「本当にいなくなってしまうと思っていたんです」


初めて、テオドールの瞳から涙が落ちた。


十三歳だった。


エリシアは、自分がどれほど周りに無理をさせてきたのか、ここ数日で少しずつ分かり始めていた。

あのときは、ほかに手段がなかった。それでも、幼い弟に背負わせたものの重さを、今まで考えることすらできていなかった。それが、悔やまれる。


謝りたかった。でもテオドールの求めているものは、それじゃない。それだけは分かった。


「もう、いいの」


エリシアは、手を伸ばして弟を引き寄せた。


いつも、逆だった。姉が倒れ、弟が「大丈夫ですか」と支える側だった。今度は——違った。


「もう、一人で、抱えなくていい。ありがとう、テオ。ずっと——ありがとう」


弟の張り詰めていた何かが、切れた。


「……っ、姉、さま——」


一度も姉の前で泣かなかった弟が。いつも冷静で、一歩引いて、姉を見守っていた弟が——今、年相応の、ただの子供の顔で、泣いた。エリシアの肩に顔を埋めて、声を殺して、それでも、止まらないまま。


エリシアは、その背を、ゆっくりと撫でた。自分の弟が、子供であることを、初めて知ったように。


どれくらい、そうしていただろう。


やがて、テオドールが顔を上げた。涙の跡のまま、少しだけ、笑った。


「……明日の、お茶会」


洟(はな)をすすって、それでも、しっかり者の弟の声へ戻ろうとしながら。


「僕が、お茶を淹れますね」


「ええ」エリシアも、笑った。「あなたのお茶が、いちばんおいしいから」


それから二人で、少しだけ、他愛のない話をした。笑い声が、何度も、こぼれた。扉の外の気配が、そのたびに少しだけ緩むのを、エリシアの耳は拾っていた。

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