顔で分かるものですか
銀の腕輪を受け取ってから、数日が経った。
次の聖域のための演算設計を、エリシアは毎日続けた。
第三の聖域は、これまでのアウロラやソリスより深い。記録に残っている構造図によれば、歪みの層が四重になっている。第四結節の設置座標の誤差許容範囲が、より狭くなる。簡単に言えば——もっと精密な設計が必要だ。
城の図書室で、関連文献を一つずつ当たっていた。
ヴァレリウスは午前の仕事が終わった後、「廊下にいる」と言って出た。
一時間ほどして、戻ってきた。
「終わった?」
「はい。もう少しあります」
「続けていいよ」
それだけだった。
エリシアは文献に目を戻し、彼がどこに行っていたかは聞かなかった。彼には彼の仕事があり、内容まで把握する必要はない。
(——第四層の接続エネルギーの分配が、推計と少し違う)
設計図の修正を、頭の中で走らせた。
今日は図書室が静かだった。それだけのことだ。
*
窓の外の光が、いつのまにか色を変えていた。
エリシアは気づいていなかった。文献の三冊目に入った頃から、時間の経過を演算の優先度から外していた。
扉が開いた。
「今日は終わり」
ヴァレリウスだった。
「まだ終わっていません」
顔を上げずに答えた。第四層の分配率が、あと少しで噛み合う。
「終わり」
もう一度、同じ言葉だった。今度は、すぐ近くで聞こえた。
「あと三十分」
「駄目」
「二十分」
「駄目」
「十分」
「それは交渉じゃないよ」
「五分」
「エリシア」
短い声だった。冷たくはないが、譲る気配もない。
エリシアは演算を止めた。止めて初めて、指先が冷えていることに気づいた。窓の外は、もう暗い。
「根を詰めると、明日に響くよ」
ヴァレリウスはそう言って、閉じた文献をもとの棚へ戻した。どの本がどこにあったかまで、知っているようだった。
(……いつから、見ていたんだろう)
分類しようとして、やめた。これも、後で考えることの一つに加わった。
*
数日後、公的な外出があった。
いつも通る東の通りではなく、南の通りへ進路が変わった。
東通りは、官舎と倉庫が続く、まっすぐで静かな最短路だ。一方の南通りは商店が軒を連ねる賑やかな道で、人も荷車も多く、その分だけ足も遅くなる。
「今日は南通りで行く」
「少し遠いですが」
「大丈夫だよ」
ヴァレリウスが大丈夫だよと言うとき、大丈夫なのだ。エリシアは頷いた。
南通りは東通りより七百メートルほど長く、その分、見たことのない店がいくつかある。通りの中ほどで、蜜豆の店を見つけた。
(……ここに店があるのか)
立ち止まった。
「少しだけ、いいですか」
「……いいよ」
いつもより一袋分多く買った。
店から出たとき、ヴァレリウスが後方をひと目だけ確認した気がした。エリシアも振り返ったが、そこには人々が行き交う、いつもの街しかなかった。
「何か見ましたか」
「……なんでもないよ」
短い答えだった。
帰路の馬車で蜜豆を一粒口に入れた。
甘い。
今日は余分に買えた。小さなことだが、得をした。
*
数日後、書斎でのことだった。
演算の合間にいつもの引き出しを開けると、中は空だった。
昨日、最後の一粒を食べた記憶がある。
(……切れている)
帰りに買おうと考えたところで、机の上に小さな包みが置かれた。
顔を上げると、ヴァレリウスがいる。
「なくなったんだろう?」
「……なぜ分かるんですか」
「顔」
即答だった。
「顔で分かるものですか」
「分かるよ」
少し笑っている。
エリシアは包みと彼を見比べたが、分類できないまま、とりあえず一粒食べた。
甘い。ちゃんと、甘い。
(……顔で、減り具合まで分かるものだろうか)
分類は、保留にした。これも、後で考えることの一つだ。




