見てください、ヴァレリウス!
数日後。王都の外れ、神殿が管理する魔術演習場で、エリシアはバングルを試していた。
強い魔力を扱う演算は、周囲に影響を出さないよう、こうした人里離れた草地の隔離区で行う。広い野原に、今日は人影がなかった。
「試す」といっても、魔核演算の効率検証にすぎない。バングルをつけてから演算の精度と速度がどう変わるかを記録するだけだ。テオには「なぜ一人でするのですか、義兄様を呼んだらいいのに」と言われたが、せっかくの休日に彼を呼び出すのは気が引けた。
……正直に言うと、「気が引けた」というより、少し——うまく言語化できない何かがあった。あのバングルを彼の前でつけたまま演算するのは、何かが違う気がした。彼に何かが伝わって、それで彼が——
そこで考えるのをやめ、とにかく一人で来た。
*
最初は単純な演算式から始め、魔力に指向性を持たせて空間へ一本の波を走らせた。魔力の出力を目に見える光へ変えるだけの初歩的な操作で、何かを起こす術ではない。
(……あれ)
波が、変わった。
一本のはずが、三本に分岐している。それも、互いに干渉しながら。生光と刻光と造光が自然に分離し、各々が最適な経路を探している。いつもなら「精度を保つために」意識して分けていた演算が、今日は意識しなくても起きている。
(リソースが、余っている)
そうか。今まで感覚器の補助に使っていた分が、解放されている。
なら——もう少し、試してみよう。
*
次に、三本の波を互いに干渉させながら定常波へ変換しようとした。本来なら、相当の集中を要する操作だ。
できた。あっさり、できた。
エリシアは少し驚いて、そのパターンを観察した。三色が交差し、重なった部分が光っている。
(きれい)
そう思いながら式をもう一段階複雑にし、定常波を三次元の格子状へ展開した。互いに干渉しながら、それでも崩れない格子。
それが——空中に広がった。
太陽の光が当たって、格子が色を持った。数学的な構造を持った透明な骨組みが、風も吹いていないのにゆっくりと回転している。
(……わあ)
知らず知らず声が出た。
格子の中には、さらに小さな格子が生まれている。フラクタル的な自己相似構造。エリシアの魔核が自然に演算するパターンが、そのまま空間へ出力されているのだ。論文でしか見たことのない構造が、いま目の前に——
その瞬間。
バングルが、温かい。
温かくなること自体は、いつもと変わらない。けれど、今日の熱は種類が違う。いつもは「内側から来る熱」なのに、今は外側の何かに呼応し、呼び起こされるような——
(……誰かいる?)
振り返るより先に、場の温度が変わったことに気づく。気配というより、少し後方の温度が、人の形を取ったような感触。
(ヴァレリウスだ)
なぜか、そうだと分かる。
振り返った。
いた。
野外実験場の端に、静かに立っていた。
(……いつから?)
一瞬そう思った。
けれど。
「——見てください、ヴァレリウス!」
気づけば、問いかけるより先に呼んでいた。
なぜ呼んだのかは分からない。一人で確認するために来たはずだった。
なのに。
この光景だけは、なぜか真っ先に、彼に見せたいと思った。
「こんな構造が出るなんて思っていませんでした。三色の定常波を格子状に展開したら、フラクタルが自然に——」
ヴァレリウスは、穏やかに微笑みながら、一歩、また一歩と距離を縮めてきた。
「隠しきれなかったね」
その声は、柔らかい。
そこには、気まずさも言い訳もない。ただその一言で、ずっとそこにいたことをあっさりと認めている。
エリシアは一拍だけ黙った。
「……いつから」
「格子になる前から」
「……ずっとそこにいたんですか」
「うん」
それだけだった。エリシアは何か言おうとして、やめた。何を言えばいいのか分からない。怒る理由も、謝らせる理由も、うまく見つからない。
それよりも今は——
「……見えていましたか。フラクタルが」
「うん」
「……どうでしたか」
ヴァレリウスは格子を見てから、エリシアへ視線を戻した。
「綺麗だね」
その声は、少しだけかすれている。空気が乾いているせいかもしれないと、エリシアはひとまず結論づけた。
エリシアは少し考えた。
フラクタル構造への感想としては少し曖昧だが、否定ではないらしい。
「……そうですね」
とりあえず頷き、もう一度、自分の作った光の格子を見た。
きれいだ。
本当に、きれいだ。
見てほしかった人に、見てもらえた。
それだけのことなのに。
胸の奥に生まれたものにだけは、まだ名前をつけられない。
バングルのおかげで、世界はこんなにも鮮明になった。
それなのに、胸の奥のそれだけは、ぼやけたまま輪郭を結ばなかった。




