表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
エリシア編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

24/31

これの方が、むしろ『綺麗』だ

台に触れた瞬間、空間全体が応えた。


床の曼荼羅(まんだら)が、淡く灯った。


エリシアが起動させた術式——それは、刻の栞(ときのしおり)とよく似た理で動く。

栞が遠い土地と土地を繋ぐなら、この陣は、自分と世界とを繋ぐ。


回路が開く。


開かれたのは、自らの光衣(こうい)へ至る門だった。


その先から、光衣が顕現する。


引き延ばすのではない。陣が、彼女の光衣そのものへのリンクを開いただけだ。


顕現した光衣は、部屋いっぱいへ広がっていく。


注ぎ込むほど、魔核の芯がしんと細っていく感覚があった。代償だ。いつものことだ。


生光(せいこう)の白が、床から立ち上がった。刻光(こくこう)の金が、宙に糸を張る。造光(ぞうこう)の蒼が、壁を這い上がる。


三色の光は互いに接続し、無数の経路を描きながら空間を埋めていく。


光衣はそれらを抱き込みながら浸透し、石に刻まれた術式の一つ一つへ触れていった。


今この空間そのものが、エリシアの感覚器官になり始めていた。


それは視覚ではない。聴覚でもない。

光脈の流れ。接続点の歪み。構造の欠陥。


本来なら演算の向こう側にあるはずの情報が、指先で触れるもののように流れ込んでくる。


そして光はさらに枝分かれし、結び直され、空間そのものへ根を張っていった。

今この部屋そのものが、ひとつの巨大な術式へと変わり始めていた。


それは、部屋の空間そのものに組み上がった巨大な立体星図だった。


数百年分の聖域の構造が、光の点と線で天井まで埋め尽くすように展開している。


エリシアは、その中心に立っていた。


手を伸ばせば、どの光脈にも触れられる。

指を一つ動かせば、流れが応えて経路を変える。


(——見える)


(全部、見える)


聖域の理の全体構造が、いまや演算の中だけでなく、この部屋の空中に、そのまま形を持っていた。


想像していたより広かった。想像していたより深かった。


始祖は、あの時代に届きうる技術の最高点まで——確かに、到達していた。ただ、最後の結び目だけがどうしても完成に至らなかった。だから始祖は、自らの光衣の情報を欠けた一点へ編み込み、繋ぎ留めたのだろう。


第四結節の欠陥。それが、今、この指先の下にあった。


脈絡が幾重にも交わる、その一点。そこだけ、波形が滲んで、ぶれている。


始祖の光衣は、純粋な魔力まで完全に包み込めるものではなかった。そこから編まれた繋ぎ目もまた、魔力を封じ切れない。始祖の記でそう読み、頭の中では幾度も描いた。けれど、演算の視野の中心にそれが具現化されると、紙の上の数値とは、まるで密度が違った。


滲み出しつづける、この光。数百年のあいだ、歴代の調律師が——そして自分の一族が——代々その身に受け取ってきた『痛み』の、正体だった。


息を吸った。


(全部、一度に置く)


これは継続作業ではない。複数回に分けられない。構造を「開いた」瞬間から、補填されてきた全エネルギーが流動状態になる。その間に第四結節を設置して接続して安定させなければ——そのエネルギーは行き場を失って、この空間ごと爆散する。


猶予は——演算上、約九十秒。


現実感はなかった。あるのは設計図と、三原色の光脈と、この指先だけだった。


接続を始めた。


第一節点——正確だ。第二節点——わずかにずれているが許容範囲。第三節点——接続完了。


(第四結節を、今)


置いた。


その瞬間、光が乱れた。


予測からの逸脱——0.3%の幾何偏差。


小さい数字だ。設計図上では無視できる誤差範囲だった。しかし実構造において0.3%は、第四結節の接続角度を変え、接続エネルギーの分配率を変え、安定化に要する時間を変える。


変えた時間は——猶予から約十一秒を奪う。


(——経路を変える)


一秒未満で、新しい解が来た。


接続角を4.7度傾ける。それによって分配率の変化を吸収できる。安定化時間は元に戻る。ただし——第四結節の形状が変わる。設計図通りではなくなる。


でも。


(これの方が、むしろ)


(「綺麗」だ)


接続角を変えた。


その瞬間、聖域の全エネルギーが新しい経路を通ろうとした。


部屋の光が白になった。


温度が急激に落ちた——あるいは上がったのか、皮膚の感覚が一瞬機能しなくなった。石の壁が、かすかに鳴いた。振動音ではなく——何か別の音だった。周波数が合っていない音が、徐々に整っていくときの音。


(——来た)


エネルギーが、第四結節を通過した。


不均一だった波形が、均一になった。

歪んでいた補正が、不要になった。


そして——部屋が、アメジストに染まった。


三色が、第四結節の一点で完全に交わった瞬間だった。白と金と蒼が溶け合い、見慣れた紫が生まれる。自分の瞳の色だ、とエリシアは思った。壁の術式溝を伝って、外の花にもそれが届いたのだろう——さっきまで不規則に喘いでいた副花冠(ふくかかん)の明滅が、今は、静かな一定の呼吸を取り戻していた。


(……治った)


数百年ものあいだ、一族が担い続けてきた痛みの代償が、石の中で、一瞬だけ光となって——ほどけた。


静かになった。


エリシアは手を離した。


部屋が静かだった。静かすぎて、少しの間、自分の心拍の音だけが聞こえた。


「……成功した」


自分のために言ったのではなかった。計算が完了したとき、答えを声に出すことがある。それだけのことだ。


    *


手が冷えていた。演算に使ったリソースの分、末梢に血が回っていない。よくあることだ。


(……第四結節の形状が変わった)


(でも、これの方がずっと正確だ。始祖はたぶん、ここに辿り着こうとしていた)


設計図を更新しなければならない。頭の中の設計図を。


それから——ヴァレリウスに、いつ話すかも。


(計算は、まだ完了していない)


中央まで終わってから。そう再計算して、胸の奥の小さな軋みごと、次の頁へ畳んだ。


「——エリシア」


公爵の声がした。


振り返ると、公爵が三歩の距離に立っていた。顔を確認した——いつものにこやかな顔ではなかった。引き締まった顔だった。何かを考えている顔だ。


その視線が、一度、エリシアの瞳を見た。それから、まだ床にうっすら残るアメジストの残光へ。そして、また瞳へ。何かを確かめるような——けれど、もう確かめ終えてしまったような目だった。


エリシアには、その往復の意味が、わからなかった。


「手を」


公爵が手を差し出した。


エリシアは少し間を置いてから、その手に触れた。


大きな、温かい手だった。ヴァレリウスの手とは違う温度だ。


(……ああ。この人も、体温が高い家系なのか)


「冷えているな」


「演算後は末梢に血が戻りにくいんです。しばらくすれば」


「そうか」


公爵は手を放さなかった。少しの間、そのままだった。


エリシアはその方向で計算するリソースがなかったので、放置した。


後方で、宰相が動く気配がした。エリシアは振り返らなかった。


(……結果は出た。理論は正しかった。これを中央の聖域に適用すれば——)


設計図が、頭の中で自動的に次の段階へ進み始めた。


(次は、もっと大きい)


甘い、という感覚が遠くにあった。


ポケットの蜜豆のことを思い出した。成功した後に食べようと思っていた。


まだ、その味を確かめてはいない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ