途中から、昼食の話でした
その日の午前、エリシアは神殿西棟の執務室にいた。
机の上には古代術式の写本が三冊開いていて、頁の余白はもう自分の書き込みで埋まっている。
原因は、刻の栞だった。
あの、遠い街と街を一瞬で繋ぐ転移の術式。
先日初めて通って以来、あの畳み方が頭から離れないのだ。
目を閉じると折り目が浮かぶ。
食事中も浮かぶ。
たぶん、寝ている間も浮かんでいる。
ヴァレリウスは向かいの椅子に座っていた。午後に宰相のところへ行くまで時間がある、と言って、朝からずっとそこにいる。
エリシアは、見つけたばかりの推論を説明し始めた。
「——刻の栞って、距離を消しているわけじゃないんです。時の記憶を、こう、折り重ねて……出発点と到着点を、同じ一枚に畳んでいる。だから一瞬で。でも、それだと折り目のところで、位相が——」
言葉が、止まらない。
ハブとハブの畳み方、折り目に生じるわずかな時差、古代の術者がなぜ国にこの五か所だけを置いたのか——考えながら話すと、思考の輪郭が外からも確かめられて、心地がいい。
ヴァレリウスは、頷きながら聞いていた。
「うん」
「それで?」
相槌は、いつも一拍だけ遅い。
(……専門外、だろうか)
そう思った。
けれど、ヴァレリウスはこういう話を途中で止めたことがない。
分からないなら分からないなりに聞いている。
分かるなら、最後まで付き合う。
だから話しやすい。
図を指し示した。
「ここです、この折り目の項——」
顔を上げる。
彼の視線は、図ではなかった。
(……?)
エリシアの顔の方を見ていた。
目が合うと、彼は穏やかに微笑んだ。
「続けて」
(……話を、聞いていないわけではないらしい)
ただ、視線の置き場が、少しずれている。
理由は分からなかった。
後で考えよう、と処理棚へ積む。
——最近、その棚が少し渋滞している。
それからどれくらい話したのか。
「エリシア」
ヴァレリウスが、静かに口を挟んだ。
「昼食はもう取った?」
「取りました」
「何を?」
口を開いた。
……開いたまま、止まった。
食べた記憶が、ない。
「忘れていたね」
最初からそうなると分かっていたような、親しげな響きだった。
彼は小さく笑い、もう椅子から立っている。
机の端に、いつのまにか包みがひとつ置かれていた。
開くと、サンドイッチだった。
(……いつから、ここに)
「先に半分でも食べて。午後に宰相のところへ行くから」
エリシアは、それを見た。
それから、彼を見た。
「……ありがとうございます」
一口、齧る。
美味しい。
そのまま黙って食べ始める。
椅子に座りなおしたヴァレリウスは、にこにことエリシアを眺めていた。
「それで」
エリシアが半分まで食べた頃、ヴァレリウスが切り出した。
「折り目の項の話だったかな」
エリシアは瞬きをした。
「聞いていたんですか」
「聞いていたよ」
「途中から、昼食の話でした」
「その前までは」
「……」
エリシアは少し考えた。
本当に聞いていたらしい。
午後は宰相との面談がある。
その前に昼食を忘れていたことは、たぶん良くない。
けれど。
ヴァレリウスがいる日は、なぜか昼食を忘れても問題にならない。
忘れた頃に食事が出てきて、必要な書類は揃っていて、気づくと予定の時間になっている。
仕組みはよく分からない。
けれど、ずっとそうだった。




