彼の声、最上位
朝のカフェのテラス席には、三つの音があった。
馬車の車輪音。石畳を行き交う人々の足音。遠くで鐘が一つ鳴った。それらが等距離に、意識の余白に滑り込んでくる。カップを両手で包んで、エリシアは街路に面したテラス席から王都の輪郭を見た。
魔核が、静かに動いている。
胸の奥——心臓よりも少し深いところに、それはある。熱源と呼ぶのが一番近い。常に一定の温度で燃えていて、魔力はそこから溢れるように滲み出てくる。エリシアにとってそれは「波長」に近かった。高低があり、広がりがあり、周囲の波長と干渉する。良い朝は、その干渉が穏やかになって、世界がわずかに滑らかに見える。
今朝は、良い。
空気の底には、意識して聴こうとすれば聴こえる音がある。クリスタルが共鳴するような、非常に細い音——この国の魔術が今日も静かに動いているときの音だ。エリシアには、良い朝の指標としてこの音の純度を確認する習慣があった。今朝の音は澄んでいる。
*
王都の中央に、白亜の大聖堂がある。
正面から斜め向かいには、等しく高い王城の尖塔が並んでいる。二つが同じ高さで並立しているのは偶然ではない。設計の意図が、六百年前から今に至るまで維持されているのだ。神権と王権。どちらが高くもなく、どちらが低くもない——そう、見えるように造られている。
(均衡に"見せる"ための演算が、六百年持続している)
それは美しいと思う。釣り合っているという印象そのものを、石の高さだけで設計しきっている。実際の重みがどちらへ傾いているかとは別の話で、そこを混同させない造りが、エリシアには合理的に映った。眺める者は、ただ均衡だけを受け取る。そう仕向けられている。
大聖堂の白い壁を、つる性の花が這い上がっていた。三弦花——通称アステリアの花。建国の女神の象徴花で、神殿という神殿の壁や庭を、必ずこの花が彩っている。三色の魔力が交わる場所に好んで咲くといわれ、聖域の近くでは野生のものもよく見られるらしい。
中でも尊ばれるのは、アメジスト色の一輪だ。女神の瞳と同じ色——とされている。実際に見たことはない。だが神殿の祭壇画や小物は全てアメジスト色の花だ。エリシアも幼い頃、自分の瞳を「アステリア様と同じ色ね」と褒められたことが、何度かあった。深く考えたことはなかった。紫だ、と思う程度のことだった。
テラスの下、街路を人が流れていく。商人が荷を引き、子供が走り、パン屋の煙が上がっている。等間隔に並ぶ魔力灯。通りの縁を流れる用水路。すべてが、完璧に管理されている。
行き交う人々も、その暮らしの中で小さな魔核を使う。炉の着火符に触れて火を起こし、水甕の浄化の輪に触れて水を保つ——用意された術式の引き金を引くだけなら、小さな魔核で足りるのだ。足りなくなるのは、術式を一から設計しようとするときだけ。
(そして私の魔核は、この国でも大きい部類に入る)
三原色の交差。それを自分でも、まだ完全には測りきれていない。
*
通りの先で鐘がもう一度鳴って、エリシアは少し間を置いてからカップを持ち上げた。一口飲んで、動きが止まる。
——少し、苦かった。
いつもと同じ銘柄のはずなのに、味の奥にかすかなノイズが混じっている。昨夜の蜜豆と同じだ、と気づいてしまってからは、気のせいで済ませる道が細くなった。一度なら誤差でも、二度目には名前をつけなければならなくなる。
(……保留)
カップを置いた。置いたあとも、指先だけが縁に残っていた。
*
「そろそろ店を出ようか」
背後から声がした。
朝の三つの音は、等距離のまま鳴っている。その声だけが、割り込みで最上位に来た。再配分は一瞬で終わっていた。彼の声、最上位。理由の欄は空白のまま、処理が通った。
振り返るとヴァレリウスがいた。テラスの入口に立って、こちらを見ている。金髪が朝の光を受けて白に近い色に変わり、碧の目が穏やかに細まった。
「どこへ行くんですか」
「刻の栞を見せてあげたいと思って」
「……見たことはあります」
「近くで見たことは?」
エリシアは少し考えた。文献で読んだことはある。外観は知っている。だが、作動している状態を間近で見たことは——
「ありません」
「じゃあ行こう」




