次回は別店舗を検討しよう
帰りの馬車は静かだった。
夜会の音が消えた車内は落ち着く。
「少しいいですか」
ヴァレリウスに声をかけてから、エリシアは巾着を取り出した。
琥珀の塩蜜豆。
夜会後の慰労用だ。
一粒、口へ入れる。
「……あれ」
甘い。
甘いのに——後から苦みが追いつく。
薄い膜が舌の奥に残るような、不自然な苦さ。
前回は違った。
その前も違った。
「エリシア?」
ヴァレリウスが短く呼ぶ。
「いいえ、何でもありません。このお店の豆、少し品質が変わったかもしれないと思っただけです」
もう一粒確認する。
見た目は普通だ。
口に入れる。
やはり苦い。
(……次回は別店舗を検討しよう)
そう結論してから、ふと気づいた。
車内が熱い。
違う。
熱いのは、ヴァレリウスだ。
離れて座っているのに、体温が伝わってくる。頬だけが、微かに熱を帯びている。
(——確認しよう。決めていた通りに)
正確な測定の手順を、一瞬考えて——その検討が終わるより先に、手が伸びていた。
*
指先が、彼の頬に触れる。
熱い。
驚くほど。
「……熱があります。基準値を超えていると思います」
ヴァレリウスが、止まった。
本当に、一瞬だけ。
呼吸まで止まったように見えた。
けれど次には、いつもの穏やかな顔へ戻っている。
「……少し、疲れただけだよ」
声が、少し低かった。
エリシアはそれを「問題ない」の範囲として処理した。
処理は、した。けれどこの項目は、やはり閉じなかった。
手を離す。
指先に、彼の熱が残っている。入口で閉じ損ねた項目の隣に、閉じない項目がもうひとつ増えた。
また蜜豆を口に入れる。
苦い。
窓の外へ視線を向けた。
その間、ヴァレリウスは何も言わなかった。
妙に静かだった。
馬車の中には、夜会の残り香と、彼の高い体温だけが残っていた。
エリシアは窓の外を見たまま考える。
(この苦みと、彼の熱には、何か関係があるのだろうか)
答えは出ない。
馬車が伯爵邸へ到着した。
エリシアは巾着をしまい、外へ降りる。
夜気が頬に冷たい。
明日、テオに豆の買い替えを頼もう。
あの苦みと、彼の熱は——答えの出ないまま、ずっと感覚器の端に残っていた。




