……努力します
王が、静かに立ち上がった。
王冠も豪奢な外套も、この場にはない。非公式の密談だからだ。それでも、この部屋で最も"王"なのは、間違いなくこの人だった。白髪の混じる濃金の髪。タンザナイトの瞳——静かな色なのに深い、夜空の底を覗いているような色だった。
王は、窓のない壁を見た。
その視線が何かを"見ている"ことを、エリシアは何となく理解した。この人はたぶん、見える。壁の向こうも、気配も、隠れたものも。そして——見えていないふりをしている。
「始祖の王女は」
王が言った。
「計算する瞳をしていたと伝わる」
部屋が静かになる。
「理を見た。流れを見た。世界の綻びを見た」
王の声は淡々としていた。
だが、どこか祈りのようでもあった。
「だが——完成しなかった」
タンザナイトの瞳が、設計図へ落ちる。
「数百年、誰にも届かなかった」
その声には、長い長い時間を見送ってきた者だけが知る、静かな寂しさが滲んでいた。
王家は、女神アステリアの直系。だからこそ、分かるのだろう。聖域はただの魔術ではない。国を救おうとした誰かの願い——未完成の、祈りだ。
王はゆっくりエリシアを見た。
「正式に承認する」
静かな声だった。
「国家承認案件とする。完成までは非公開。枢機卿への通達も制限する」
そして少しだけ間を置く。
「責任は余が負う」
短い言葉だった。
けれど、重かった。
「お前たちではない。王が決める」
公爵が深く頭を下げる。
宰相も静かに目を伏せた。
王は再びエリシアを見た。
その視線は、不思議と厳しくなかった。
「——娘」
エリシアは少しだけ瞬きをした。
「はい」
「己を、数に入れよ」
部屋が静かになる。
エリシアは、その意味を少し考えた。
だが、完全には分からなかった。
「……努力します」
そう答えると。
王の目元が、ほんのわずかだけ緩んだ。
「難しい顔をしたな、公爵」
「しておりますな……」
公爵が低く返す。
「昔からああなのです。『努力します』と言う時は、大抵もう止まってくれん」
「知っている」
王が言った。
その返答が妙に早くて、エリシアは少し不思議だった。
宰相が立ち上がった。
「うまくいくといいですね」
穏やかな声だった。
けれどその奥には、"君が無事でいる形で"という条件が、きちんと入っていた。
エリシアには、何となくそれが分かった。
「はい」
宰相が退出した。
王も奥へ向かった。
去り際、王は振り返らずに言う。
「ラインハイト公」
「は」
「その娘を、泣かせるな」
短い言葉だった。
公爵は一瞬だけ目を閉じた。
「——御意」




