最初の一人になります
「……一度の儀式で、それが見えたのですか」
宰相が言った。穏やかな声だった。急かすでも、疑うでもなく——確認するような声だった。
「はい」
「設計図はこの一枚に収まるのですか」
「骨格はこれで全部です。作業の詳細は頭の中にあります」
「なるほど」
宰相は頷いた。それから少し間を置いて続けた。
「もう一点だけ確認させてください。この作業が完成した後——聖域の理の全体構造を把握した術者というのは、この国の歴史上、存在したことがありますか」
エリシアは考えた。
「始祖が設計者だったと記録にはあります。ただし未完成のため、全体把握の記録はありません。私は——完成させた後、それを把握する者の最初の一人になります」
「なるほど」
宰相は二度目の「なるほど」を、一度目と同じ温度で言った。
その言葉の中に何が入っていたかを、エリシアは処理しきれなかった。
沈黙がまた広がった。宰相の視線が、静かに卓上の設計図へ落ちる。
長い沈黙だった。ただ考えている、という沈黙には見えなかった。
そして——その沈黙を、公爵が破った。
「一点だけ、よろしいか。陛下」
低く、よく通る声だった。
執務室で笑っている時の声ではない。ラインハイト公爵としての声だ。
「宰相閣下のご懸念は、おそらく"完成後の権能集中"についてかと存じます」
宰相が静かに視線を上げた。
公爵は続ける。
「ですが、その点については既に配属段階で担保されております。祈祷師代理の直接補佐という形式は、すなわち全工程に祈祷師代理が立ち会うということです」
それから、公爵はごく自然にエリシアを見た。
「——エリシア嬢。その認識でよろしいかな」
エリシアは一拍だけ考えた。
(……守られている)
宰相の問いに答えながら、公爵は「危険な存在ではない」と政治的に保証している。しかも、ヴァレリウスが全工程に立ち会う形で。
「はい」
エリシアは静かに頷いた。
「作業の全段階において、ヴァレリウス様が立ち会う想定です」
公爵の口元が、ほんの少しだけ緩む。
たぶん、「それでいい」という顔だった。
口にしてから、気づいた。その一文が式へ入った瞬間、演算の端が、少しだけ静かになっている。
(……「彼が立ち会う」には、安定化の効果がある)
新しい発見だった。今のところ、使い道のない発見だった。
宰相はその二人を見た。
銀の瞳が、一瞬だけ細くなる。
「なるほど」
三度目の言葉だった。
今度は少しだけ、人間らしい温度が混じっていた。
「でしたら、少なくとも"暴走"の懸念は薄い」
言葉は合理的だった。
けれどエリシアには、その「少なくとも」という一語が残った。
暴走の懸念は薄い。消えた、ではない。危険そのものがなくなったのではなく、止める手段がある——宰相は、そう判断したのだと思う。その手段が何を指すのかは、文脈上、明らかだった。祈祷師代理の直接補佐。全工程に立ち会う者。ヴァレリウス。
そう整理すると、公爵の口元がほんの少し緩んだ理由も、ひとつの式に収まった。
宰相の秤は、まだ完全には水平ではない。ただ今は、その傾きを許容できる範囲に収めた——エリシアには、そう見えた。




