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世界を救える天才令嬢は、自分の救い方だけを知らない ~七年越しの初恋を隠す完璧な婚約者は、彼女だけを取り落とさない  作者: 宵野あまね
ヴァレリウス編

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国益だよ

数日後。


父が、大々的な研究発表を行った。

王都の講堂は、貴族と研究者でほぼ埋まっていた。壇上の父は、生き生きとしていた。研究の話をしている時だけは、父は妙に格好いい。のめり込んだ父は、こうなる。


「これは、防護服の革命です」


会場が、ざわついた。


「旧都の作業環境を、根本から変えます。動ける、見える、軽い。魔力汚染地帯での研究と開拓が、現実になる」


ざわめきが、広がる。けれど、それは熱狂ではなかった。


「金が、かかりそうだな」


「夢物語では?」


「莫大な資金と調整が要る。設計だけで何年だ。無理だろう」


懐疑の声が重なる。

実現性は高い。だからこそ厄介だった。誰も最初の一人にはなりたがらない。


そのとき。


会場の隅で、義兄様が静かに立ち上がった。

自然と視線が集まる。


「もし、これが成功した場合」


穏やかな、よく通る声だった。


「魔核肥大症の研究も、飛躍するでしょうね。素晴らしいことだ」


空気が、変わった。


誰もが言葉を止める。


「それは……」


「確かに」


「子供の発症例にも応用できるかもしれん」


ざわめきの質が変わっていく。


魔核肥大症。その言葉だけは、どの貴族も無視できない。

稀少な病だ。めったに起きない。けれど、前触れもなくどの家にも起こりうる。原因も確実な治療法も、まだ誰も知らない。貴族の子であれば誰一人、無関係ではいられない。


だから皆が恐れている。我が子のことを。


僕もその病にかかった一人だ。

幼い僕の魔核が暴走しかけたあの夜、姉が肥大した分を引き受けてくれなければ、僕はここにいない。父も、母も、それを知っている。この会場の誰もが、似た恐怖を胸のどこかに抱えている。


その恐怖に、義兄様はたった一言で火を灯した。


支援者が現れ始めた。一人、また一人。

続いて、支援金の声が上がる。父の研究は、その日のうちに止められないほどの後押しを得た。


僕は講堂を見渡した。


義兄様は、嘘を一つも言っていない。


研究は国益になる。旧都の発展にも繋がる。魔核肥大症の研究にも役立つだろう。

全部本当だ。だから誰も反対できない。


そして、父上は旧都へ行く。次期祈祷師(きとうし)の席は空く。


僕は静かに息を吐いた。


そういうことか。


この結果を最初から見ていたのは、たぶん世界で二人。


義兄様と、僕だけだった。


    *


人波が引いた講堂の隅で、僕は義兄様に近づいた。


「義兄様」


「何かな」


「やりましたね」


「何が、だい?」


義兄様は、本当に心当たりがないような、綺麗な顔で僕を見下ろした。


僕は言葉を選ぶのをやめた。


「父上を、次期祈祷師の候補から外しましたね」


一拍。義兄様が微笑んだ。


あの穏やかで温度の読めない微笑み。


「国益だよ」


その言葉の下にどれだけのものが沈んでいるのか。十二歳の僕にも、もう分かってしまう。


うわあ。


声には出さなかった。


姉のためなら女神の理さえ欺くだろうこの人が、まず手始めに欺いたのは、姉の父親だった。優しさと正論で、にこやかに、誰も傷つけない顔をして。


そして、いちばん恐ろしいのは、その全部が本当に姉のためだということだ。


    *


旧都へ発つ日の朝は晴れていた。

馬車の前で父は何度も義兄様の手を握った。


「ヴァレリウス君には感謝している」


「光栄です」


「研究人生で最高の案件だ。こんな機会をこの歳でもらえるとは」


「それはよかった」


父は最後まで気づかなかった。

自分が誰かの盤面の駒として動かされたことも、その盤を組んだのが娘の婚約者であることも。たぶん、一生気づかない。幸せそうに研究の話をしながら、父は旅立っていく。


その横で、母だけが静かだった。


荷の積み込みが終わる。

母は義兄様へ向き直った。穏やかな顔だった。


そして、にこりと笑った。


義兄様も、にこりと笑った。


言葉はない。


何一つ。


けれど。


ああ。


母上は全部分かっているのだ。


夫がなぜ旧都へ行くことになったのか。誰が最初の一歩を置いたのか。何のためだったのか。全部。

全部分かった上で、何も言わない。


義兄様もまた、何も言わない。


それで十分だった。


母は最後に僕を見た。


「テオ」


「はい、母上」


「姉さんを、お願いね」


それだけだった。


母は馬車へ乗り込む。やがて車輪が動き出す。

遠ざかる馬車を見送りながら、僕は隣の義兄様を見上げた。


「これで良かったのですか」


義兄様は少し考えた。


本当に少しだけ。


「良くはない」


「クレメンス殿が適任だった」


即答だった。


僕は黙る。義兄様も、しばらく黙っていた。


冷たい風が吹く。


その後で、義兄様は本当に小さく笑った。


「だが」


視線は馬車の消えた先を向いたまま。


「エリシアの方が大事だ」


あまりにも迷いのない声だった。


だから僕は何も言えなかった。


馬車が見えなくなるまで、僕たちは並んで立っていた。


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