第三話 初陣
湿った土の匂いが鼻についた。
夜明け前の野営地は、妙に静かだった。
焚き火の火は小さく、兵士たちは皆、無言で銃の手入れをしている。
その空気の重さに耐え切れず、俺は思わず口を開いた。
「……なあジャック。本当に戦うのか?」
「ここまで来て何を言ってるんですか」
隣でコーヒーらしき黒い液体を飲んでいたジャックは、呆れたように肩をすくめた。
「むしろ今さら逃げたら、あなた銃殺されますよ」
「物騒なこと言うなよ!」
思わず声を上げる。
すると周囲の兵士たちが一斉にこちらを見た。
その視線に、俺は慌てて咳払いをする。
「……いや、違うぞ。私はただ、兵士たちの士気を確認していただけだ」
適当に誤魔化す。
しかし兵士たちは感心したように頷き始めた。
「さすが将軍だ……」
「戦いの前でも落ち着いておられる」
「我々とは器が違う」
「いや違う違う違う」
小声で否定するが、もう遅い。
この勘違い、日に日に悪化していないか?
そんなことを考えていると、背後から低い声が聞こえた。
「将軍殿。少しよろしいでしょうか」
振り返ると、軍医のジョンが立っていた。
白衣代わりの汚れた上着を着た女性で、目の下には濃い隈がある。
いかにも『寝ていません』という顔だった。
「どうした?」
「先ほど前線の偵察隊が戻りました。南軍らしき部隊を確認したそうです」
「……らしき?」
「霧が濃く、正確な数は不明です。ただ——」
ジョンは少し言葉を止めた。
「兵士たちが怯えています。実戦経験者が少ないもので」
その言葉で、俺は周囲を見回した。
確かに兵士たちの顔は硬い。
銃を握る手が震えている者までいる。
当然だ。
昨日まで農民だった連中が、今日から戦争なのだから。
「……そりゃ怖いよな」
俺が小さく呟くと、ジョンは少し驚いたような顔をした。
「将軍殿は、兵士を『駒』とは見ないのですね」
「当たり前だろ」
そう返した瞬間。
後ろから勢いよく声が飛んできた。
「その通りです将軍!」
現れたのはスミス小隊長だった。
朝だというのに異様に声が大きい。
というか、この人いつもテンション高いな。
「我々は祖国のために戦う兵士! 将軍が我々を思ってくださるなら、百人力です!」
「いや、そんな大したこと言ってないけど……」
「ハッ! 謙虚なお方だ!」
ダメだ。
この人、もう完全に俺を英雄だと思ってる。
すると守護霊がふわりと現れた。
『あー……これは完全に“名将扱いイベント”入ってるわね』
「イベント感覚で言うな」
『でも実際、歴史ってこういう勘違いから英雄が生まれることあるのよ?』
「嫌なリアルだな……」
俺が頭を抱えていると、突然。
遠くで乾いた音が響いた。
パンッ——!
銃声だった。
一瞬で空気が凍る。
「敵襲!」
見張りの叫び声が響いた。
兵士たちが一斉に立ち上がる。
怒号。
足音。
金属音。
さっきまで静かだった野営地が、瞬く間に混乱に包まれた。
「うおっ!? マジで来た!?」
『当たり前でしょ戦場なんだから!』
守護霊のツッコミが飛ぶ。
するとスミス小隊長が剣を抜きながら叫んだ。
「将軍! ご指示を!」
「えっ」
「我々はどう動けば!?」
「ええっ!?」
知らん!
俺は戦争ゲームならやったことあるけど、本物は初めてなんだぞ!?
だが周囲の視線は真剣だった。
誰もが、俺の命令を待っている。
その瞬間。
頭の中に、昔見た歴史番組の内容が蘇った。
確か——。
南北戦争って、最初の頃はみんな突撃してグダグダになってたような……?
『いや、そこで曖昧な知識出すのやめなさいよ!』
守護霊が即ツッコミする。
だが時間はない。
俺は半ばヤケになって叫んだ。
「と、とりあえず慌てるな! 隊列を維持しろ!」
すると兵士たちが一斉に動き始めた。
「隊列維持!」
「落ち着け!」
「将軍の命令だ!」
「え、通った!?」
自分でも驚く。
だが、混乱しかけていた兵士たちは少しずつ冷静さを取り戻していった。
ジョンが感心したように呟く。
「混乱を抑えるとは……見事です」
「いや偶然だからね?」
そんなやり取りをしている間にも、森の向こうから銃声が近づいてくる。
パンッ! パンッ!
そして。
木々の隙間から、灰色の軍服が見えた。
南軍。
初めて見る、本物の敵兵だった。
その瞬間。
さっきまでどこか現実感のなかった戦争が、一気に現実へ変わる。
兵士の一人が震える声で呟いた。
「……本当に、来た……」
俺も同じ気持ちだった。
ゲームでも映画でもない。
本物の戦争。
本物の死。
もしここで判断を間違えれば、誰かが死ぬ。
その事実が、胃の奥を重く締め付けた。
するとスミス小隊長が叫ぶ。
「敵はあの森を利用して接近しています!」
「森……?」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は思わず周囲を見回した。
木々。
霧。
狭い視界。
そして、こちらは数だけは多い。
——待てよ。
「スミス!」
「ハッ!」
「全員、木の後ろに隠れろ! 絶対に開けた場所に出るな!」
「なっ……?」
スミスが目を見開く。
当時の戦争では、整列して撃ち合うのが基本。
だからこそ、この命令は異常だった。
「し、しかしそれでは隊列が——」
「いいからやれ! 狙い撃ちにされたいのか!?」
一瞬の沈黙。
そして。
「……了解!」
兵士たちが散開する。
直後。
南軍の一斉射撃が飛んできた。
バンッ!!
木片が弾け飛ぶ。
悲鳴。
硝煙。
だが。
「被害が少ない……?」
ジョンが驚いたように呟いた。
本来なら密集隊形の兵士たちがまとめて撃たれていたはずだ。
しかし散開したことで、被害が激減していた。
スミス小隊長が目を見開く。
「これを……読んでいたのですか……?」
「え?」
「敵の射撃を予測し、あえて散開を!」
「いや、なんとなく——」
『そこで正直に言うな!』
守護霊が叫ぶ。
その瞬間だった。
前方の茂みから、一人の北軍兵士が倒れ込んできた。
「た、助け……!」
腹から血を流している。
ジョンがすぐに駆け寄った。
「担架を! 急いで!」
だが兵士は、震える声で呟いた。
「死にたく……ない……」
その言葉で。
戦場の空気が変わった。
さっきまでどこかコメディだった空気が、一気に冷える。
兵士たちの表情から余裕が消えた。
俺も言葉を失う。
これが——戦争。
誰かが、本当に死ぬ場所。
守護霊ですら黙っていた。
遠くで再び銃声が響く。
そして俺は、初めて理解する。
自分は今、“歴史の中”にいるのだと。




