少しだけ、ずれた夜
3月5日
朝の世界は、まるでまだ眠っているみたいに、しんと静まり返っていた。
「ピピピ……ピピピ……」
けたたましくせわしない音が、その静けさを一瞬で破る。
「また授業かぁ……」
鈴木は目をこすりながら、眠たそうにぼやいた。
私はびくっとして、あわてて目覚ましを止める。止めたあとも、心臓はどくどくと速く打ち続けていた。
みんなが次々に起き上がる気配を感じて、ようやく少し安心する。
急いで歯を磨き、身支度を整える。
朝日が頬に当たって、ほわっとあたたかい。
なんとかチャイムが鳴る直前に、私たちは教室へ駆け込んだ。
「はぁ……間に合ってよかった。」
小野は少し息を切らし、髪も少し乱れている。
「危なかったね。次はもっと早く起きなきゃ。」
井上はそう言って、そのまま机に突っ伏した。
「はい、静かに。授業を始めます。」
先生がざわつく教室を見渡し、きりっとした声で告げる。
授業の時間は、小川のようにゆっくり流れていく。
あまり好きな科目ではないけれど、私はちゃんと集中して聞いた。
……ちょっとだけ、ほんの少しだけなら、さぼってもいいよね。
えへへ。
終わりが近づくころ、私は退屈まぎれにスマホの画面を見つめ、ときどき黒板横の時計をちらりとうかがう。
教室は日差しで明るく照らされ、私たちは日に当たりすぎた小さな草のように、ぐったりと座っていた。
キーンコーンカーンコーン……
「やっと終わったぁ。」
鈴木はそう言って、また机に突っ伏した。
私は鈴木の席まで行き、耳元にそっと近づいて、手を口に添えながら小声で言った。
「鈴木ちゃん、一緒にトイレ行く?」
「うーん……疲れちゃった。小野たちと行ってきなよ。次は小山先生の授業だし。」
そう言って、鈴木は顔を机に埋めた。
「そっか……おじゃましました。」
自分に言い聞かせるみたいに小さくつぶやき、
私は小野たちのほうへ歩いていく。
「小野ちゃん、一緒にトイレ行く?」背後から声をかける。
「ねえねえ、昨日見たあれがさ――」
小野は楽しそうに友だちと話し込んでいる。
……タイミングが悪かったのかな。
私は小さく笑って、そっと教室を出た。廊下は少しひんやりしている。外はまだ、やわらかい日差しに包まれていた。
教室に戻ると、井上が私に気づいた。
「どこ行ってたの?」
「トイレだよ。」
少しだけ視線をそらして答える。
「なんで呼んでくれなかったの?」
小野が笑いながら言う。
「ううん、ちょっと一人で外の空気吸いたくて。教室、少しこもってたし……それに、みんな楽しそうに話してたから。」
時間は指のすき間からこぼれるみたいに過ぎていき、
あっという間にお昼になった。昼食後、私たちは校内の道を歩く。
午後の空気は、朝ほど澄んでいないし、夕方ほどひんやりもしていない。
やわらかなぬくもりが、ゆっくり鼻の奥に広がっていく。
「夜ごはん、何食べる?」
小野が振り向いて聞いた。
「オムライスはどう?」
井上が少し考えてから言う。
「いいね!」
鈴木が嬉しそうにうなずく。
私の頭の中には、もうその光景が浮かんでいた。
ふわふわの黄色い卵に包まれたごはん。
その上に、大きなとんかつがのっている――。
「うんうん!」
私は両手を胸の前でぎゅっと握り、小さく笑いながらうなずいた。
最後の授業が終わり、私たちは早めに寮へ戻った。
「ねえ、この写真どう?」
小野が嬉しそうにスマホを見せる。
「いい感じだね。」
井上がのぞき込む。
「これ、私が加工したの。どう?」
鈴木が真面目な顔で聞く。
「かわいい!」
……
私も一緒にのぞき込む。どれくらい時間が経ったのだろう。ふと気づくと、外はもうほとんど真っ暗だった。
「ねえ、そろそろごはん行かない?」
小さく、そう聞く。
「あとちょっとだけ。これ見終わったら行こ!」
楽しそうな声が返ってくる。
「……うん。」
私は笑ってうなずいた。
完全に夜になり、少しだけ焦りながら言う。
「今からだと、間に合わないかも……」
「じゃあコンビニで何か買おうか。」
小野が時間を見て、少し困ったように言う。
胸の奥に、言葉にできないものがひっかかっていた。
「……私は、別のもの探してくるね。」
そっとドアを閉める。
いつもより、ほんの少しだけ大きな音がした。
校内の道を走る。
でも着いたときには、店はもう閉まっていた。
提灯だけがぽわんと灯り、その光はどこか冷たく見える。
しばらく立ち尽くしてから、私は近くの焼肉屋に入った。換気扇のごうごうという重い音が、店内に響いている。
メニューを開いたまま、しばらく何も決められなかった。
遠くから足音が聞こえ、振り向くと鈴木だった。
「閉まってたんだね、残念。」
向かいにゆっくり座る。
「コンビニ行く気分じゃなくてさ。あなたを探しに来ちゃった。」
息を切らす鈴木の声を聞きながら、私はうつむいた。
「……オムライス、一緒に食べるって言ったのに。」
小さくつぶやく。
「小野たちはああいうところあるよね。好きなことになると、止まらなくなっちゃうんだよ。」
鈴木は頬杖をつき、少し苦笑いをした。
わかってる。
わざとじゃないって、ちゃんとわかってる。
それでも、胸の奥が少しだけ、きゅっと締めつけられる。
夜。
歯を磨いて顔を洗い、椅子に座る。
クローゼットからゼリーの袋を取り出し、いくつかゆっくり口に入れた。
「……あ、また歯みがきしなきゃ。」
今日も、なんだかんだで一日が終わる。




